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「いびつな魂」第七章

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第七章 叔父さんの過去とわたしの隠し事

 

1

  家に帰って部屋で制服から着替えても、まだ人型に触れた余韻が残っていた。馴染み深いあの感情はわたしそのものだった。
 あの核の全てか、それともごく一部かは分からないけれど、あそこにわたしの負のエネルギーがある、そう直感がささやいている。
 時間が経つほどにその確信が増してきて居ても立ってもいられず、上野さんの意見が訊きたくて電話を掛けた。すぐに出てくれたので挨拶もそこそこに全てを話すと、
「その人型の核に君の感情が?」と驚いたような声。
「そういうことがあり得ると思いますか」
「分からない。俺は自然発生してしまうものと考えていたから、人が関係しているとは思いもしなかった」
「そうですか」
 途端に確信がしぼんでいく。わたしが関わっているとしても、どうして人型が出来るに至ったのかも分からないし。
「上野さん。もう一度、わたしを霊視してもらえませんか?」
「それは構わないが、この前は何も憑いていなかった。それに君なら自分で分かるんじゃないのか?」
「何も見えません。わたしに何かが憑いているとか変な力があるとか、人型が出来た原因が見えてこないかなと思ったんですけど」
「そういうことなら、もう一度視よう」
 プロに改めて霊視を頼むならタダというわけにはいかないと気が付いて、相談料はいくらか尋ねたら、上野さんは「いらない」ときっぱり言った。
「それよりも情報が欲しい。人型について分かったことは全て俺に教えてくれないか。今後の仕事の役に立つ」
「分かりました。ありがとうございます」
 わたしも話を聞いてもらいたいし上野さんの考えも知りたいから、ありがたい提案だ。
「早い方がいいな。君はどこに住んでいる? 近くまで俺が行こう」
「それは悪いのでわたしがそちらに行きます。上野さんの事務所に行ってもいいですか。他に話したいこともありますし」
「分かった」
 霊視をしてもらうだけではなく、人型について一緒に考察して欲しい。込み入った話になりそうだから、上野さんの事務所が一番落ち着いて話が出来そうだ。
「それから、叔父さんが大学時代に付き合っていた人を知りませんか?」
「知っている。佐和子さんだ。彼女がどうかしたか?」
「叔父さんと何があったのか知りたいんです。叔父さんのマンションの人型が出来た原因がそこにあるかもしれないので。確証はないんですけど」
「俺の妻が佐和子さんと親しかったから、何か知っているかもしれない。今は出かけているが、君が来た時に会わせるから何でも訊くといい」
「本当ですか」
 いきなり近しい人に出くわせた。詳しい話を聞けそうで期待に胸が高まる。はやる気持ちを抑えて、上野さんの事務所の住所や最寄りの駅を訊いた。
「いろいろありがとうございます。この前は上野さんのこと信じずにひどいこと言ってすみませんでした」
「気にしていない。急にあんなことを言われても信じられないのは当然だ。それに人型の情報が得られるのなら助かる。俺にとって見える人は貴重だ。何でも協力しよう」
「ありがとうございます」
 わたしにとってもそうだ。霊や得体の知れないものについて、日常会話のように話せる人がいるなんて思いもしなかった。

 

2

  日曜日、家の最寄り駅から電車に乗って一時間ほどで、上野さんの住む町の駅に着いた。
 小さな駅の改札を抜けて外に出るとロータリーがあり、そこに停まっている黒い乗用車の運転席のドアが開き、上野さんが出てきてわたしに向かって軽く手を上げた。
「迎えに来てくれてありがとうございます」
「ああ。乗ってくれ」
 上野さんの運転する車は畑が広がる中に住宅が点在している、のどかな風景を走り、やがて一軒家のカーポートに入った。
 白壁のカントリーハウスと、離れのようなカントリー小屋、庭では色とりどりの花が咲き乱れている。
「ここですか?」
「俺に似合わないと言いたいのだろう」
 招いた人に驚かれるのはよくある事なのか、上野さんはさらりと受け流した。
 車から降りて庭の花々に見とれていると、初夏の日差しで温まった空気と共にほんのりと花の良い香りが漂ってきた。依頼者として来たらビルの中にある堅苦しいオフィスより、こっちの方が安らぐだろうな。
「素敵な庭ですね」
 上野さんは自分が褒められたみたいに嬉しそうにゆったり笑った。
「妻がガーデニング好きでね。よく手入れしてくれる」
「すごいですね、こんなにも。あの離れもすごくかわいい」
「いつもはあそこでカウンセリングを行っている」
 のんびりと建物と庭を眺めていたら、玄関ドアが内側から開いて女の人が姿を現した。
 ふんわりしたミディアムボブがかわいい小柄な人で、ゆったりしたワンピースが似合っている。こぼれんばかりの笑顔でわたしを出迎えてくれた。
「妻の美晴だ」
「こんにちは。岩久くんの姪御さんね。よく見ると似てる。懐かしいなあ」
 明るくて朗らかで、上野さんとは対照的。
「相川真知です。今日はありがとうございます」
「上野美晴です。さあ上がって」
「お邪魔します」
 インテリアも素敵だろうなとわくわくしながら入ると、玄関を上がってすぐの所にリビング、奥にダイニングとキッチンがある。木目を基調としたインテリアと柔らかい色合いの黄色のファブリック、ドライフラワーが飾られた室内はやっぱり素敵で居心地がいい。 
「岩久くんは元気にしている?」
 対面型のキッチンに立った美晴さんがにこにこして訊いてきた。
「げ……んきです」
 元気だよね? 電話でしか分からないけれど。会わなくなって二週間、叔父さん、何しているんだろう。美晴さんは何かを思い出したのか、一人でふんわりと笑っている。
「岩久くん、大学でいつも本を読んでいたから気になって声をかけたら、心霊現象の本で笑っちゃったな。真剣な顔して読んでいるから、すごく難しい本だと思ったのに」
 叔父さん……
「岩久くん、女の子によく話しかけられていたの。物腰が柔らかそうで話しかけやすかったから。でも霊とか不思議な世界とかそんなものにばかり興味を持つからついていける人はいなかったみたい」
 叔父さん……
「もとくんも、あいつにばれたら付きまとわれそうで怖いって言って、親しいのに霊感あること隠すし」
 叔父さん……
 ん?
「もとくん?」
 誰の事だろうと不思議に思って美晴さんの顔を見ると、美晴さんは近くに立っている上野さんを指さした。
 うえのひろもと、通称もとくん。だめだ、顔がにやけてしまう。
「美晴さんは上野さんの霊感のこと、すんなり信じられたんですか」
 質問することで、にやける顔を何とかごまかした。
「もとくんのその力で助けられたし、それがきっかけで付き合いだしたから、信じないわけにはいかないの」
 軽やかに笑って、美晴さんは上野さんにティ―カップの載ったトレイを渡した。上野さんがそれをリビングに運んでテーブルに並べた。
「わたしね、大学の頃、ある男性に言い寄られていたんだけど、あいつは女性の生霊をたくさん憑けているからやめた方がいいって、もとくんがいきなりわたしに言ってきたの。最初は信じられなかったけれど、人がたくさんいる前で、もとくんがその男性にそれを言ったら相手がものすごく慌てていて、それを見て分かった。もとくんが言ったことは本当だったんだって。それがきっかけでわたしたち付き合いだしたから」
 上野さんが叔父さんにした話と違う。
 叔父さんには霊感があることを知られたくなかったんだろうけれど、美晴さんには自分の見たものを明かして助けているあたり、上野さんの美晴さんへの愛情の深さが窺えて、またも顔がにやけてしまう。
「さて、佐和子の話はあとにする? わたしはひとまず席を外すね」
 この夫婦の馴れ初めを聞くのが楽しくて、当初の目的を忘れそうになっていた。
 美晴さんは部屋を出て行き、上野さんがソファに座るよう勧めてくれたので腰を掛けると、直角の位置に上野さんが座った。対面よりも緊張感が緩和するカウンセリングの座り方。
「やはり何も憑いてない。それに変な力があるようにも見えないな。俺にそれが分かるかどうかは疑問だが」
「そうですか」
 憑いていないか。しょうがない、いい加減、諦めよう。
「何かに憑いていて欲しかったようだな」
 はい、そうです。
「いえ。打つ手がないなあと思っただけです。核に自分の負のエネルギーがあったように感じたんですけど。気のせいだったのかなあ」
「そうだな。負のエネルギーか……」
 上野さんは顎に手を置いて考え込むようにしていたが、何かを思い出したように急に顔を上げた。
「ポルターガイストが起こる家には思春期の子どもがいる場合が多いらしい。だから子どもの不安定な精神エネルギーが、不思議な現象を引き起こしていると分析する研究者もいるようだ。ポルターガイストが起こせるのなら、人型という怪異を起こすことも可能かもしれない」
「そんな説があるんですか」
「ああ。君の言うように核に負のエネルギーがあるとしたら、その核が似たエネルギーを持つ霊や念を引き寄せて、大きくなってしまったのかもしれない」
「なるほど。ああでも、それだと叔父さんのマンションの人型の説明がつかない」
「岩久も情緒不安定なところがあるからな。思春期の子どもと似たようなものかもしれない」
「確かにそうですね。あれ、そう言えばこの話、叔父さんが似たようなこと言っていたんですけど」
 不安定な精神が無意識に作り出してしまう得体の知れない何かについて、叔父さんが語っていたことを上野さんに話した。
「このポルターガイストの話が元ネタだったのかもしれない。人型を作り出す、か。岩久は昔からこういう話が好きだったからからな」
 そう言えば美晴さんの話にも出てきて気になっていた。
「叔父さん、昔からホラーが好きだったんですか」
「エジソンが霊界通信機を作ろうとしていたという話は知っているか? 岩久はそれに興味津々だった。幽霊がいるなら会ってみたいとも言っていたな」
 結婚がダメになってからホラーに傾倒したと思い込んでいたけれど、もとから好きだったんだ。
「叔父さんって、昔からあんな風だったんですか」
「ああ。大学の頃からホラーや変わったものが好きで、現実逃避するようにそれにのめり込んでいたな。君は姪だから知っているだろう、あいつの父親が厳しかったこと。俺はそのせいだと勝手に思っていたんだが」
「そうかもしれません」
「岩久の心にはぽっかりと穴が開いていて、あいつはそれを埋めるために必死のように見えた」
「その結果、叔父さんはマンションにあの人型を作ってしまったんでしょうか」
 上野さんは険しい顔をした。
「そうだとしたら俺たちに何ができる? 作った本人でないとどうにもできなさそうだ。美術室の人型はなぜ小さくなったんだ?」
「分かりません。どうにかしようと思ったからでしょうか」
「作った本人がそれをどうにかしようとする強い意志が必要なのかもしれないな。岩久はそう思っているのだろうか。むしろ、もっと作ろうとしていたら」
 人型はどんどん大きくなって、叔父さんはいずれ飲み込まれてしまうかもしれない。どうすればいいんだろう。人型についてもっと情報が欲しい。
 そう言えば叔父さんが見たものと紺野のお姉さんが見たもの、似ていた。
「あの、わたしの知り合いで黒い影を見てしまう人がいるんですけど、それも人型と同じ類のものでしょうか」
 紺野のお姉さんのアパートで起きたことと、それが家でも見えるようになったことを話した。
「見てみないことには分からないな。ストレスや病気のせいかもしれない。本当の霊障が起きていたかもしれない。不安定な精神が作り出したのかもしれない。その全部が起きていてそれぞれの現象が起きていた可能性もある。一人の人間に起こっているからと言って原因も一つとは限らないし、これだと決めつけてしまうと他の要素も見えなくなる」
「そうですか」
「共通点ならあるな」
 上野さんがわたしをじっと見ている。
「何ですか?」
「三つとも、君が関わっている」
「言われてみれば……」
 たまたま? それともわたしのせい? ますます分からなくなっていく。上野さんも腕を組んで難しい顔をしている。
「人型を君や岩久が作ったと仮定したところで対処法が見つからない。とりあえず観察するくらいしかやれることはなさそうだ」
「そうですね。毎日見ておきます」
「岩久はどうしている?」
「分かりません。心配だから数日おきに電話はしているんです。でも安否確認したらすぐ切ろうとするし何も話してくれないし、マンションを留守にすると言っていたから会いにも行けないし」
「あそこから避難したのか。だったらひとまず安心だが」
 避難? あれ、おかしいな。あそこに何かがいたら叔父さんだったら喜びそうなのに、避難なんてするかな。普通に出かけるなら隠さずに行き先も言えばいいのに。 
「美晴を呼んでくるよ。岩久があれを作ったきっかけが分かるかもしれない」
 上野さんが部屋を出て行きしばらくして二人で戻って来ると、さっきまで上野さんが座っていた所に美晴さんがちょこんと腰を掛け、上野さんはダイニングチェアに腰を掛けた。
 美晴さんは手に持った写真をわたしに見せてくれた。
「これ、岩久くんと佐和子とわたし」
 うわあ、叔父さんが若……。いや、あまり変わってないな。美晴さんもあまり変わっていないな。佐和子さんはストレートの長い黒髪がきれいな清楚な優等生っぽい雰囲気。
「わたしと佐和子、ゼミが一緒だったの。卒業後も会っていたけれど、だんだん疎遠になってしまって、今は住んでいる所も遠くて年賀状くらいしかやりとりないけれど」
「叔父さんと佐和子さん、どれくらい付き合っていたんですか?」
「大学二年頃に付き合いだして、二十七か二十八歳くらいまで付き合っていたのかな。佐和子から結婚することになったって急に連絡が来て、てっきり岩久くんだと思ったら違う人だった」
 その歳まで付き合っていたのなら、結婚がダメになって恋愛小説が書けなくなった、その相手は佐和子さんで間違いなさそう。
「どうして別れたか知っていますか」
「岩久くん、仕事が忙しくて全然会ってくれなくなって、自然消滅したって聞いたよ」
 変だな。自分が放って置いたくせに、恋愛小説が書けなくなるくらい落ち込むかな。もっとひどいことが起こったと思っていたのに。
「佐和子さんが叔父さんを振ったとか裏切ったとか、そういうことはありませんか?」
「ないと思う。岩久くんの方から離れていったみたいだし、佐和子は岩久くんと別れた後すぐに北川くんと結婚したけれど、二股かけていたわけじゃないと思うよ」
「北川くん?」どっかで聞いたような。
「北川くんもわたしたちの同期よ。岩久くんとも仲が良かった」
 思い出した。北川ってあの人だ。お母さんが言っていた、大学を辞めた叔父さんをアパートに住まわせていた友人。
 何だろう、胸がざわざわする。
「本当に自然消滅だったんでしょうか」
「佐和子はそう言ってた。岩久くんとは半年以上会っていなくて自然消滅したって。それから北川くんと付き合いだして、北川くんの子を妊娠して結婚することになったって」
 妊娠、そして結婚。すごく嫌な予感がする。
 自然消滅したとは思いもせず叔父さんは付き合っているつもりだったら。知らない間に恋人が友人の子を妊娠していた。叔父さんは、二人に裏切られたことになる。
「叔父さんは佐和子さんの妊娠や結婚を知っているのでしょうか」
「どうかなあ。佐和子や北川くんが報告したかもしれないけれど。二人の結婚式には来てなかったよ」
 どっちだろう。恋愛小説を書けなくなったことを思えば、知っていると考えられるけれど。
「気になるなら、佐和子に電話して聞いてみようか」
「いいんですか?」
「出るかどうかは分からないけどね」
「あの、叔父さんと結婚するつもりはなかったか、本当に自然消滅なのかも聞いてもらえませんか」
「分かった。とりあえず訊き出せそうなことは全部訊いてみる」
 美晴さんはテレビ台の上で充電中のスマホを手に取ると、操作して耳に押しあてた。
「出るかな。日曜だし、子どもいるし、忙しいかな」とつぶやき、しばらくすると「もしもし佐和子、久しぶり」と弾んだ声で話し始めた。簡単な近況報告を話した後「岩久くんのことだけど」と切り出す。
「何があったか詳しく聞きたいんだけど。それは、ええっと、実はもとくんが近々岩久くんに会うらしくて、それで過去のこと話題に出していいかすごく気にしているから」
 なぜ叔父さんのことを知りたいのか、佐和子さんに訊かれたのかもしれない。適当にごまかしてくれたみたい。人型の調査のためなんて言えるわけない。
「岩久くんと結婚は考えていなかったの? うん、うん、自然消滅したって言うのは、うん、岩久くんとは会っていないの? うん、うん、それで」
 佐和子さんが一方的に話をしているようで、美晴さんは相づちばかりになり、その声がどんどん暗くなっていく。
 やがてお礼と別れの挨拶を口にすると、美晴さんは電話を切ってスマホをテーブルに静かに置いた。表情が暗く、口を開くのをためらっているよう。
「あの、美晴さん」と声を掛けると、こちらに顔を向け暗い表情のまま「全部訊けたよ」と静かに言った。
「岩久くんは自分の本が何万部売れたら結婚するっていう目標を立てていたみたいで、でも佐和子は早く結婚したかったみたい。仕事が忙しいと言って半年も放って置かれたものだから、うんざりして留守電に別れると吹き込んで、それで終わったつもりで北川くんと付き合い出したって」
 叔父さんが留守電を聞いていなかった可能性がある。佐和子さんは北川って人と元から仲が良かったのかな。何でそんなにタイミングよく付き合えるんだろう。
「北川くんと付き合いだして妊娠が分かった頃、岩久くんから急に連絡がきて、会ってみたら結婚しようと言われたって」
 やっぱりそうだ、叔父さんは別れたつもりはなかった。
「佐和子は、別れたつもりでいたこと、今は北川くんと付き合っていて、お腹に北川くんの子がいることを話したんだけど、岩久くんは、結婚しよう、僕がお腹の子の父親だって言い張ったらしくて」
 何でそうなるの、叔父さん。口の中に何か苦い物が広がった。
「何日か岩久くんに付きまとわれたって。佐和子に執着しているというより、お腹の子に執着しているみたいですごく怖かったって。だから赤ちゃんはダメになったって嘘をついたら、岩久くんはすごく悲しそうにして去って行って、それが最後らしいよ」
「岩久は、その赤ん坊を……」上野さんがぽつりとつぶやいた。
 叔父さんは、佐和子さんのお腹の子が自分の子だと思い込むことで、恋人と友人に裏切られた衝撃から逃れようとしたのかもしれない。
 その子に執着すれば自分の子だと強く思い込むことが出来る。そして子に死なれて狂ってしまった男になりきっていれば、裏切られた現実を忘れることができる。元からのホラー好きも加わって死んだ子どもを呼び寄せようとしたけれど、死んだ子どもなどいないから訳の分からないものを変わりに呼び寄せてしまった。

 ああそうか。叔父さんは、あの柔らかい笑顔の奥で、もうとっくに壊れていたんだ。

  いろいろと知ることが出来て、叔父さんのマンションに人型が出来た原因も分かった。これが正解かどうかは分からないけれど、知り得た情報をつなぎ合わせるとそうとしか考えられない。辛い事実を知ってしまった衝撃が少しずつ和らぐと、叔父さんを助けたいという思いが強くなってきた。
 顔を上げると上野さんも美晴さんも心配そうにわたしを見ていた。わたしの気持ちが落ち着いたのが分かったようで、すぐにほっとしたような顔をした。
「美晴さんのおかげで知りたいことは全部知ることができました」
「本当? よかった」
「いろいろとありがとうございました。そろそろ失礼します」
「また遊びに来てね。今度は岩久くんも一緒に」
 美晴さんに笑顔で見送られて、上野さんに車で駅まで送ってもらいながら今後どうするかを話し合った。
「とりあえず叔父さんと会います。マンションにいるのか避難しているのか分からないけれど」
「そうだな。岩久に会わないことには話が進まない」
「はい、それでマンションの人型に向き合ってみます」
「害がないとは限らない。助けが必要ならいつでも呼んでくれ」
「ありがとうございます」
 駅に着いて、最後にもう一度お礼を言ってから上野さんと別れた。
 
 電車で一時間かけて家に帰って来る間、紺野のお姉さんのことが気になり出した。
 あれからどうなったのだろう。何か情報は得られないかな。
 紺野に電話で訊きたくなって、家の最寄りの駅に着いて改札を抜けると、すぐにスマホを取り出して電話を掛けてみた。
 ……出ない。テスト週間だし勉強をしに図書館に行っているかもしれない。
 お姉さんに会って話が聞きたい。人型と黒い影が同じものとは限らないけれど、何か有力な情報が得られるかもしれない。
 お姉さんが家にいるか分からないし、急に押しかけるのも迷惑かなとは思ったけれど、とりあえず駅から歩いて紺野の家に行くことにした。
 十分ちょっとで紺野の家の前に着くと、庭でしゃがんで草むしりをしている女の人の丸い背中が見えた。
「こんにちは」
 声を掛けると女の人は振り向いてゆっくり立ち上がり、首から下げているタオルで顔を拭きながらこちらにやって来た。紺野のお母さんだよね。
「こんにちは。あらあら、翔太のお友達かしら?」
「紺野くんの中学の同級生の相川です」
「ごめんね。翔太、今出かけているのよ」
「いえ、紺野くんではなく、紺野くんのお姉さんはいますか?」
「由衣ならいるわよ。呼んでくるわね」
 玄関先で待っていると、紺野のお母さんが出てきて、そのあとお姉さんが姿を現した。表情は明るく元気そう。
「真知ちゃんだ。どうしたの? あたしに用?」
「はい。あれからどうなったか聞きたくて」
「あれから? ああ、影のこと? やっぱり気のせいだったみたい。もう見ないよ」
 見ないということは消えたのだろうか。
 お姉さんに何かが憑いているとして、わたしに見えるかどうか分からないけれど、お姉さんの周りに何かがいるような気配はない。
 今日も廊下の奥でおじいさんがにこにこしている。
「何か気になることでもあるの?」
「実は、わたしの友達も黒い影が見えることがあるらしくて、参考にお姉さんの話を聞きたいのですが、見た時の状況を詳しく教えてもらえませんか」 
 友達というか、わたしと叔父さんだけど。
「いいよ。上がって」
 気さくに言って、お姉さんはわたしをリビングに招き入れた。
「見たのはここだよ」リビングのソファを指さした。
「あの日、ここで寝転がってスマホで動画を見ていたの。十時か十一時くらいだったかな。急に目の端に黒い影が見えるようになって。気のせいかと思ったんだけど、だんだん見える回数が増えていって怖くなって家から飛び出したの」
「それであのコンビニにいたんですね。家に帰ってからは見ましたか?」
「見てないよ」
 先ほど廊下にいたおじいさんが音もなくリビングに入ってくると、隣の和室に行き腰を下ろした。和室にある仏壇、その上の鴨居に飾られた写真、おじいさんと同じ顔。
「お姉さんは霊感ありますか」
「ないない。自分がこういう経験するまで、霊なんてまったく信じてなかったし」
 わたしが和室を見ているのが気になったのか、お姉さんはそちらを見るけれど、すぐにわたしに視線を戻した。見えてない、おじいさんを黒い影として見たわけじゃない。
「黒い影の正体は何だと思いますか」
「ストレスで見えると言われればそうかもしれないけれど。ストレスだったら気分が落ち込んでいる時に見えそうじゃない? 家でのんびりしている時に見えるのは変だよね」
「確かにそうですよね」
 ストレスで見える、ストレスで影が強まる? あの日の昼前。ストレスを抱えていたのは、お姉さんではなく、もしかしたら。
「お姉さん、ありがとうございました」
「何か分かった?」
「はっきりしたことは分かりませんが、何とかなりそうです。また何か起きたらすぐに教えてもらえますか?」
「うん、分かった。翔太に連絡させるね」
 お姉さんに再びお礼を言って玄関から外へ出た。
 庭で草むしりを続けている紺野のお母さんにも「お邪魔しました」と声をかけてから道に出ると、向こうから紺野がこちらにやってくるのが見えた。
「あれ、相川? どうしたの?」
「おかえり紺野。お姉さんに聞きたいことがあったんだ。さっき紺野に電話したけど、出なかったから」
「姉ちゃんに?」
「わたしの友達が黒い影が見えるらしくて、お姉さんと一緒みたいだから」
「大丈夫か、その友達」
「大丈夫だと思う。たいしたことなさそうだし」
 いろいろ分かって来たから、何とかなりそう。
 紺野と期末テストの話や終わったら何して遊ぼうという話を少ししてから、手を振って別れた。

 

  家に帰ると、わたしはリビングのソファに疲れた体を横たえた。途端に口から大きなため息が漏れる。お母さんは買い物にでも行っているのか、いない。
 お姉さんが影を見た時、それはわたしが紺野に彼女がいると知った時。そして凛と気まずくなった後に美術室の怪異がひどくなった。
 二人が自分から離れていく、そのことにわたしが強いストレスを感じている時、影や人型が現れている。二人を自分につなぎとめるためにわたしの無意識がそれらを出現させた。わたしはそう結論を出した。
 凛とは美術室の音がきっかけで話をするようになった。音がすればまた話せる。怖いことが起こればわたしを頼ってくれる。
 紺野とはお姉さんのアパートで起こる怪奇現象がきっかけで会うようになった。お姉さんに何かがあれば、紺野はわたしを頼ってくれる。
 そしてたぶん、わたしの無意識が怪異を必要としなくなったことで、それが収まった。
 マンションの人型もわたしが作ったとしたらその動機は。
 叔父さんが人型に夢中になって人と交流をしなくなれば、わたしは叔父さんを独り占めできる。そんなところだろう。
 初めてマンションに行った日、あそこには何かがいた。それをわたしが人型にまで大きくしてしまったのかもしれない。ごまかさずにちゃんと見るべきだった。
 わたしは霊が見えている。
 そんなこと指摘されなくても最初から知っていた。でもわたしは霊が存在していると認めたくなかったからいつもごまかしていた。
 そこに何かがいそうだと感じたら初めから見ないようにした。そしたらそのうち目に入らなくなった。何も見えない、だから何もいない、気のせい、見間違い、疲れていただけ、科学的に解明できる、どうとでも説明がつく。何度も自分に言い聞かせて、テレビで放送している心霊映像を解明して霊など存在しない証拠を集めた。
 でも本当はちゃんと分かっている。ずっと見えていた。
 人の霊、動物の霊、何なのか分からない不思議なもの、それらはあたりまえのように周りにいる。
 会いたい人がわたしに会いに来てくれなくても、わたしに憑いていなくても。その事実が悲しくて、だから霊など存在しないと思い込もうとしても。
 心にぽっかり穴があいて、それを埋めてくれる人を求めた。今度は絶対にいなくならない人。無意識に怪異を起こしてその人たちを自分に縛り付けようとした。最低だ。

 最初から一番壊れていたのはわたし。
 
 マンションで叔父さんとやったコックリさんを思い出す。
 不覚筋動、無意識に勝手に動くと解明されている現象。その言葉を示したものの正体は分からないけれど。 
 幽霊を見る方法は、
「しみてる」死を見ている。
「おまえみてる」お前は死を見ている。
 お前とは、わたしのこと。

 

 


 マンションの玄関ドアを開け、廊下の電灯のスイッチに手を伸ばす。パチッと確かに音がしたのに電気はつかない。何度かパチパチとスイッチを入れたり切ったりする。

  ああ、明かりなんてどうでもいいか。

  そのまま、暗闇の中を進む。長年ここに住んでいるのだ、見えなくてもどこに何があるかは体が覚えている。
 リビングの扉を開け、手探りで電灯のスイッチを入れる。こちらも付かない。部屋の中は漆黒の闇。
 流石におかしい。いつもなら外の明かりがカーテンの隙間からもれているのに。
 真っ暗闇、自分の手すら見えない。自分の体が見えなくて自分が存在しているのかどうかも分からなくなる。
 それが、ものすごく、安心する。
 僕は、ここに存在していない。もう、この世界のどことも関わらなくていい。この安堵をゆったりと味わう、ただそれだけの存在になり果てる。

 

いびつな魂 第八章(完結)に続く

 


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