不便で面倒なことをしたい
アマプラも、ネトフリも、おもしろいのをよく作る。すごい。そして楽しい。なんだけど、僕は空想することが大好きな人間なので、このサブスク娯楽がだんだん邪魔に感じてきたのだ。そんなこと気にしないで、黙って空想に没頭すればいいじゃないかという声が聞こえてくるようだが、スマホの誘引力は半端なものではない。その誘惑を断ち切るには眠ってしまう他ないほどのパワーだ。これについてより深く入りたければスマホ脳を一読することをおすすめする。
そうだ、読書も邪魔されている!この文章を書いていて気がついてしまい、沸々と怒りが湧いてきたが、読書は視覚から文字データをインプットして、脳で噛み砕く娯楽であると認識しているのだが、サブスク娯楽でその日に使える分の視覚と脳のスキマを使い果たしてしまうと、もう読書どころではなく、眠りたいの一心である。そんなこともあり、一時期はオーディオブックなるもので本を読む(?)というヘンテコなことを習慣化しようと試みたが、読みたい本に限ってコンテンツが販売されていないため、早々に止めてしまった。
兎にも角にも、今の自分にはサブスクが邪魔である。よくよく考えれば毎月、毎日、見聞きしたいものなどはなく、スクリーンをタップすると向こうから訴えかけてくるので、試しにひとつまみ、が命取りになっているきらいがある。そこで最近は「したいことしかできない」状況を作ることを試している。
読書をするときはスマホのマナーモードが半ば強制される図書館へ向かい、その空間も楽しみながら読む。スマホの非通知がなんと心地よいものかとしみじみと感じられる。
鉄道での長時間移動では、目的地に着くまでその場所を離れることができないので、案外読書に集中するには向いている。映像娯楽は下車駅で視聴を中断することがストレスになるので向いていない。
映像娯楽は、映画館で公開中に映画館で楽しむ。1,800円を支払った事実と、払ったんだから最後まで見ようという意識により集中せざる負えない。結果的に強烈に映画の世界に飛び込めることで満足度が高い。
この程度しか試していないが、気づいたことがある。便利になると、不便になる。目的のモノに辿り着くまでの道中が短いと、手間と時間が省略できて効率的だなあと、血気盛んな30代前半ごろまでは思っていた。その筆者も40代を迎え、余裕を楽しむ余裕が出てきた。すると、目的のモノに辿り着くまでの「道中」を含めて楽しいのにと、自然と口を衝いて出てきた。
そうなのだ。音楽を楽しむにはレコード店へ走り、CDを買い、家まで急ぎ足で帰り、プレイヤーにセットするまでが楽しかった。おまけにジャケットのデザインと、ライナーノーツに綴られた作り手の想いも読みながら楽しむことができる。なんて贅沢だろう。
読書を楽しむには書店や図書館へ向かい、目的の本を探す。すると棚には他にも気になる本がずらりと並んでいて、自分の興味の幅をグッと広げてくれる体験ができる。そのため、帰り道では目的ではなかった本も抱えていたりして、読みたい本が、もっと読みたい本を呼んで来てくれるのだ。最高じゃないか。
思えば、人生そのものが不要不急なので、まあそこまで効率化しなくてもいっか、と言いつつ今週はお掃除ロボットのルンバが我が家にやってきた。四十不惑なんて、嘘っぱちだ。
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