芒(ススキ)と暮らす
「ひとうたの茶席」を始めてもう4年。撮影はだいたいうちの家で行っている。もう30回近く撮影した計算になるはずだ。
華道家は撮影に使った花を置いて行くので、しばらくの間わが家には花が溢れ、時には中から這い出してくる虫たちにぎょっとしつつも、水を換えたり茎を切ったりしてお世話することになる。
花いけには全く成長がないが、なんとなく、花を長持ちさせるのが上手くなったような気がする。4年近く華道家の手さばきを見ていた影響もあるかも知れない。触り方や茎の切り方や葉の落とし方。撮影が終わった後、枝を同じ長さに切り揃えてくるりと新聞にまとめるのが清潔で美しいと思う。
今回の撮影では秋草をたくさん使った。竜胆、フジバカマ、萩。秋の女郎花(オミナエシ)は足の裏の匂いがすることを知った。落ち着いた色調のブーケの他に、芒(ススキ)の鉢植えを置いて行った。根本にはダルマ萩の丸い葉っぱがリズム良く、可愛くそよいでいる。
芒なんてその辺にワサワサ生えているから、買うものという認識がなかった。朝水をやって霧吹きをして、ただの背の高い草に変化があるのかと半信半疑で眺めていたら、まっすぐな細い葉っぱから、斜めにふわふわの素が顔を覗かせて、やがてお馴染みの芒になる。ダルマ萩が赤紫の花を落とした頃、ふわふわが毎日少しずつ増えて、賑やかになった。
並行して、花瓶代わりの湯呑みに差したフジバカマや竜胆が終わり、少しずつ減って行った。一方で、もう諦めかけていたホトトギスの蕾が、ようやく花開きはじめる。だんだんと、互いのいのちのほんのわずかな時間を共にする仲間のように思えて来た。
今日何となく足を運んだ山種美術館では、福田平八郎と琳派の展示をやっていた。秋草を扱ったものもたくさんあったが、この秋草は本当らしくないと思うものも、これは本物を見て描いているしよく描けていると思うものもあった。
以前はそんな風に見られなかったと思う。リビングに置かれた小さな花瓶や鉢植えの、ミニチュアの秋庭からも、分かることはあるものだなと思う。