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2024.07. 輪島に行った(写真)

7月中旬、海の日がある3連休に、輪島市の実家に帰省した。実家には祖父母が、集団避難を終えて4月から暮らしている。今年2024年元日に地震があり、石川県、とりわけ輪島市を含む能登地方が被害を受けた。地震が起きてから6か月たった。しかしいまだ、帰省した時に見た輪島市は、まだ復興の途中という感じだった。
仮設住宅が多かった。コンテナがグラウンドや公園に敷き詰められていて、そこに住んでいる人がいるということだった。涙の形をした白いテントが、ぽつぽつと家の敷地やグラウンドにあった。石川に住んでいる親に聞いたところでは、まだ避難所にいる人もいるらしい。自衛隊が開設してくれたお風呂は、今はNPOが運営しているらしい。
6か月の間にそこそこ復興してるんだろうな、と思っていたがそんなことはなかった。そのことはショックだった。

以下に輪島に行った時の写真を掲載した。壊れた建物、錆びた車、波打ったままの道路などを撮った。我々となんら変わらない日常を過ごしていた・今も過ごしている人たちがいるということだ。そのことをまず知ってもらえたらと思う。

金沢から輪島に至るのと里山海道には、こうしたう回路が目立った。


輪島市内。倒壊した家が道路にはみ出している。こうした家はぽつぽつとみられた。


傾いている電柱は多い。


倒壊したビルはそのままだ。


朝市通り。火災が起こったところで、たくさんの店が並んでいたがなくなった。このように見晴らしのいい場所ではなかった。



稲舟海岸。地面が隆起して道路は波打っていた。奥の山は地滑りしている。



このラーメンは保育所のころから食べている。中華そばはこの店のものが一番おいしいと思っている。輪島の人ってこういうの食べてるんだな、と思ってください。よければ食べに行ってください。

私のように、直接被災した地域を支援できない人たちができるのは、例えば観光に行って地元のおいしいものを食べたり、その土地ならではの特産品を楽しんだりすることだと思っている。特に漆器と海産物は良いものがあると思います。旅行先の候補にしてみてはいかがでしょうか。