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自分らしさより,自分っぽさ.

自分らしさって難しい.
なぜ難しいのかを自分なりに考えると「“本当の自分”のような概念的な自分をしっかり捉えられている人にしか厳密な“自分らしさ”を意識的に出すことはできないから」となった.

「自分らしさ」は自分の影のように形や大きさが条件によって変わるものの、自分で自分の影だと判別できる程度には自分の本体に近い気がする.

それに比べて「自分っぽさ」は、雰囲気だったり匂いだったり、とにかく視覚的に捉えることがほとんど不可能なだけあって、それだけ曖昧さが保存されているような、感覚的な自分だと思う.

つまり「自分らしさ」を意識的に出したり使ったりするのはテクニカルな課題が多く、「自分っぽさ」を出したり使ったりするのは曖昧さが保存されていることで、それほどしっかり自分を認識できていなくても良かったりする.
配置された自分っぽさを追いかけても、ほとんどの場合本体である自分にたどり着くことはできないのだけれども、自分の小さな一部分を切り取ったり千切ったりする感覚でたくさん配置し、バーチャル的な自分を残像のように残すことはできる.

私はSNSでの過去の投稿などを、ある意味残像的だと捉えているし、時間が経っても同じ意見や考え方を持っているのであれば、何年経っても過去の投稿が自分のバーチャルbotのように働いてくれるはず.

自分らしさ:概念的
自分っぽさ:感覚的
(多分これで良いと思う.)

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