若干の延命を期待して,季節外れのクリスマスソングを聴いている.

夏に聴くクリスマスソングが、短い夏を少しだけ伸ばしてくれそうな気がする.
そしてクリスマスソングが伸ばしてくれた若干の夏は、その若干さ故に、心に保存される気がする.

捉えどころのない人生を考えるとき、真っ暗な高速道路を走っている車の視界を思い浮かべる.
唯一見えるのはヘッドライトで照らされた数メートル先の道路と、遠くに輝く夜景.
自分が見ることのできる何かを励みにしてアクセルを踏み続ける感覚が、なんだか不安な未来と付き合い続ける人生論と似ている気がする.

どうやら心臓が悪いらしい.
いや、これは少し大袈裟な言い方で、どうやら自分の心臓は弱っているらしい.
思い当たる理由はあって、自分の意志で心臓を強くすることができる中、それをやっても意味のない無慈悲さが潜んでいた場合、それに対面するのが嫌だから、なんだか心臓に対する怠慢を働いてしまう.

若干の延命を期待する気持ちは、やっぱり終わりを意識していることの表れだと思う.
きっと自分は終わりを恐れているし、だからこそ今を恐れているんだと思う.
「何の話だよ」と言われるけど、自分にとっては大事にしたいと同時に忘れたいほど怖い.

自分に何ができるかなんて考えたくないし、夏の終わりも意識したくない.
完全に冬派の人間だけど、それでも夏が終わるのは嫌だ.
何が終わるのも嫌すぎるから、少しでも延命できる気がすることを試しているのかもしれない.

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