何かを強烈に信じたことがない君へ.
人は何かを信じていないと生きていけない.
もともと群れで行動する動物だし、何かしらの安全が常に保障されていないと精神を病んだり体調を崩したりして、あっけなく死ぬ.
誰もが何かを信じていることに軽く触れたら、次に考えたいのは「強烈に信じるものがあるか」ということ.
人を信じてもいいし、テクノロジーでも、過去に起こったとされている歴史でもいい.
とにかく何かを強烈に信じる感覚を持ったことがないなら、もしかするとそれは、全身全霊で生きられていないことの印かもしれない.
全身全霊で生きるというのは、別に何かを全力で頑張ったりしないといけない訳じゃない.
この世に存在する素晴らしいものに囲まれて生きることを素直に受け入れて、たまに悪いものとかと戦って自分を含めた人々の幸せを守ったり、未体験な幸せを発掘したりして、死ぬときに後悔しない生き方をすればいい、というだけの話だ.
まず言っておくと、生きる上で大切なことを学校は教えてくれない.
たまに教師として優れた人がいて、その人が教えてくれることがあっても、学校は「社会のシステムを維持するため、最低限の能力を持った人材を育成する工場」なのだから、教育課程に「生きる上で大切なこと」は含まれていない.
つまり、教育課程に含まれていない重要なことを教えてくれる、教育者として実質的に優秀で優しい教師に巡り合うか、親に教えてもらうか、映画や本などの何らかの形になったものや文化に触れるか、自分で転んで気付くか、これぐらいしか「生きる上で大切なこと」とか「人生で重要なこと」を学ぶことはできない.
コストに対するリターンが大きいことは馬鹿でもわかるが、同時に莫大なコストが必要なことも分かる.
とても泥臭い作業だといえるし、めんどくさがりな人にとっては最悪だと思う.
でも、どんなめんどくさがりも、一度味わうと人が変わるほどのインパクトがあるのが「未体験な幸せの発掘」だ.
その達成感や到達する境地の快感は、体験しないとわからない.
どれだけ長生きしても、情報に触れなければ海の存在を知らずに寿命を迎えるのと同じぐらい単純な原理である.
急に良い奴になったり、急に意識が高くなったり、そんな人が周りにいるなら、その人は何かを発掘したのだろう.
周りの人間から不審に思われたりしても、本人は幸せの最中なのだから気にしない.
まとめると、
自分が知らない、未体験で未到達な幸せを見つけることが出来れば、しばらくの間は幸せだし、人間として成長できるくらいにはパワフルに生きられる、、、というような話である.
これが「何かを強烈に信じること」に繋がる.
そして「何か」とは、「自分自身」ということに気づくことが出来て、次の幸せの発掘を、死ぬまで続けるモチベーションにもなる.
わかりやすく言えば、「負の連鎖」の逆が起こるのである.
夢を抱いて進むことは、その連鎖を生み出す第一歩ともいえるので、ぜひ夢とか目標とか、大きくなくても、どんなことでも掲げて生きていって欲しい.
君が足踏みしている間にも、連鎖を実感している人は生まれ続けているのだから、君も思い切ってその流れに身を投じてみれば、何か良い方向に変わるかもしれない.
「何かを強烈に信じたことがない君へ.」
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