赤シャツ②〜珍好玉嫌〜

先日書いた「赤シャツ」の感想(https://note.com/yuyuyuyu_0901/n/n26f65fea0058)のつづき。

桐山くんのような男らしい容姿の人が「男らしくなりたいなあ」と惨めに泣くさまに"性癖"を感じたという話なのだけど、第一幕は特に桐山くん演じる赤シャツのどうしようもない男ぶりを描いているシーンが多かった。

具体的には、女に言い寄られるとタジタジする。
外ではかっこつけなのに家の侍女には子どものように駄々をこねる。

昔ってよく"女の腐ったの"という言い回しが使われていて、大抵それは男のくせに豪胆でないという侮辱の意味合いだけど、たぶん"女の腐ったの"って性癖としてかなりメジャーだと思う。

赤シャツはまさにそれだった。

わたし自身は女の腐ったのは別に好きじゃないタイプなのだけど、前述した通り性癖としては結構メジャーじゃない?と思う。
オトナめの少女漫画(一条ゆかりとか)や、BLにもこういうのは結構多いし(時代によるかも?)、ゲイもこういうパターンがいるなーと思う。

という話を友だちにしたら、「あー、ちんこ大好きキンタマ大嫌いみたいなことでしょ」と言われて、膝を連打しながら大笑いした。

なのでこれからは女の腐ったののことをちんこ大好きキンタマ大嫌い、略して珍好玉嫌と表記します。

わたしはまったく珍好玉嫌愛好家でないので、そういう人たちのことを単純にしょうもない奴だと思ってしまう。いわゆる無鉄砲サイドの人間だ。

個人的にハア?と思うのは赤シャツがこんなにも甲斐性なしのくせにどうにも女好きというところで、シンプルにおまえ何でそんなしょうもない奴のくせにいっちょまえに女好きなんだよと思ってしまう。

しかし珍好玉嫌になるためにはまず珍好でなくてはならなくて、その上で玉嫌でないといけない。
珍好が先、玉嫌が後。
そこに生じる劣等感がキモで、珍好玉嫌愛好家はそこに劣情を感じるのだと思う。

わたしはバカ正直に珍好玉嫌は悪(生殖的な責任を持つ度胸がないなら棒で楽しむ資格はねえ!)だと思ってしまうので、赤シャツに共感もしなければ萌えも感じないぶん、躊躇なく石とか投げられてしまうと思う。
(自分の情緒の無さは結構課題だと思ってる…)

しかし、ストーリーとしては「珍好玉嫌な奴が強者であるこんな国、間違ってるだろ!?」という主張だったので、すんなり呑み込むことができた。
やっぱり珍好玉嫌って悪趣味ではある。
その上で「悪趣味で何が悪い」と言うべきというか、性癖って得てしてそういうものなんだろう。
正義とは別にあるべきものだと思うし、どんな形であれどこかから石を投げられることは覚悟した方がいい。

あと、赤シャツの珍好玉嫌的なディティールがとても細かくて、その表現に対する情熱はすごく感じた。
性癖を感じるというのは情熱を感じることと表裏一体だったりする。
やっぱり情熱はめちゃくちゃ大事。むしろそれがないと間違いも正しさも面白くない。

覚悟と情熱。

覚悟と情熱だよな。

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