自己実現

ねほりんぱほりんのウィキペディアンの回を見たときに思ったこと。
ウィキペディアンとは、膨大な時間とお金をかけて本気でWikipediaに記事を書く人たちのことらしい。
Wikipediaは誰でも閲覧できて誰でも編集できるので、記事を書いても報酬はないし、それどころか筆者の名前は匿名?HNになる?ので直接的な名誉も得られない。

それでも記事を書きまくりインターネットに知識を与え続けるウィキペディアンたちに、MCのねほりん(南海キャンディーズの山ちゃん)は
「今までのゲストには自己顕示欲が原因で狂ってる人がたくさんいた。あなたたちはそれがまったくないのがすごい」
というようなことを言って感心していた。

たしかにこの行為には自己顕示欲がないなーと思っていたのだが、そのあとWikipediaにおける"荒らし"についてトークテーマが移り、純粋な悪戯心でWikipediaをめちゃくちゃにしている現役の荒らしのインタビューが流れると、ウィキペディアンの人たちは強く嫌悪感を示し、
「こんな人の考えは理解したくもない」
と拒絶の姿勢を見せた。

わたしはそれにえー?と思ってしまった。
わたしは、危険な人が現れたときに「こんな人の考えは理解したくもない」と思ったことがない。
そう思ったところで嫌な人は生き続け、何も問題は解決しないので、まずは理解だなと考えるからだ。
(しかしその辺のブレーキが結構ガバガバになっていて、なんでもかんでも「へ〜」と思ってしまうため線引きが上手くできずに後々困るという節もあるのでそれがベストとも思わないのだけど…)

たぶん自己顕示欲の反対って自己実現欲で、それはそれでレイプ魔にはならないけど一生オナニーしかできないのだと思う。
わたしは自分のことを自己顕示欲側の人間だと思うし、そういう自分を恥ずかしいと思うこともあるけど、それが無いからと言って聖人になるわけではない。

以前からわたしがヒーローになった際の決め台詞は「業は容れ物を選ばない!」にしたい(そして老若男女関係なく悪いやつは全員ぶん殴る)と思っているのだが、やはり人間はそう簡単には業から逃れられない仕組みになっている。業から逃げた先はまた新たな業だな。と、改めて考えを強くした。

でも何事も極めるのが大事だと思うから、めちゃくちゃぶん殴られてボロボロになりながらもパソコンから目を逸らさずWikipediaに記事を書き続ける人がいたらかっこいいと思う。そういうやつがオナマス(オナニーマスター)だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?