ドーナツと迷子の子(完全版)

私が生まれ育った街は、東京の下町。
都電が走り、活気のある商店街にはいつも人が賑わう。

そんな商店街の入口に、ミスドがあった。

今から30年以上も前の話になるが、私には3つ上の姉がいて姉を幼稚園のバス停までお見送りに行った帰りによく母は私をミスドに連れて行ってくれた。私を連れて行ってくれた、というよりは同じバス停のママ友とお喋りをする為に入店していたようだが。

そこのお店はイートインスペースが割と広くて、ウッド調の店内はダークブラウンで統一されカントリー風なオシャレなお店だった。当時、まだスターバックスもドトールもタリーズコーヒーも無い。
お茶すると言ったら純喫茶くらいしか私の住む街にはなかった。なので、ドーナツだけでなく手軽にコーヒーも楽しめるミスドはいつもお年寄りと主婦で賑わっていた。

入店した時にふっと香る甘いドーナツの匂いが大好きだった。ショーケースに並ぶ色々な種類のドーナツがまるで宝物のように輝いて見えた。

『ドーナツってお母さんがホットケーキミックスを使って家で作ってくれるようなやつだけじゃないんだ!』と、あまりの種類の多さに驚愕したのを覚えている。


『今日は何を食べようかな。』そんなことを呟きながら、私が頼むものはいつも決まっていた。

“ショコラフレンチ”

しっとりとした、でも軽めのココア生地に粉砂糖がふりかけられたドーナツ。

お気に入りを見つけたらそればかりの私は、必ずこのショコラフレンチを選んだ。本当に好きすぎて指についた粉砂糖も毎回しっかりと舐めて最後の一口を名残惜しんだ。
大人になった今でもこのショコラフレンチを食べたくなる。是非、復刻を。

ぐるっと店内を見渡すと、ダークブラウンで統一された空間に一際目を引くものがあった。それは、絵。

何種類が壁に絵が飾られていたが、その中で私がいつも気になっていたのが『森の中の女の子』の絵だ。

美味しいドーナツを食べてご機嫌な私とは裏腹に、絵の中の女の子の表情は決して明るいとは言えない。
なんならちょっと悲しそうに見えた。

なんでこんな楽しい場所で悲しそうな顔をしているのだろう。幼心にこの絵はちょっと怖かった。

中学生になると、ちょっと背伸びしたくなって店内でドーナツと一緒にカフェオレを頼むようになった。
昔から母が何度もコーヒーのおかわりをしているのを見て、自分もいつかコーヒーが飲めるようになったらおかわりを頼んでみたいと思っていたから、中学生の時にその夢が叶った。

学校帰り、あとちょっと歩けば自宅なのにあえて商店街の入口のミスドでよく休憩した。
翌日の単語テストの勉強をしながら、カフェオレとドーナツ。

この時のお気に入りは“Dポップ”

一度に6種類の味が楽しめる上に、小さな1口サイズ。かじりかけのドーナツをお皿の上に晒しておく事もなく、また小さなフォークが付いているので手を汚す事もない。

子供の時に指についたショコラフレンチの粉砂糖まで舐めていた少女はしっかりと思春期を迎えていた。

カフェオレを飲みながら、ふと例の『森の中の女の子』の絵が目に入った。
今まで気が付かなかったが、絵の下にはちゃんとタイトルが書かれていた。

《a lost child》

中学生の私はやっとこの絵のタイトルの意味が分かった。
「迷子だったんだ…」

この絵を見た時に感じたちょっとした怖さ。
少女の悲しげな表情。
絵のタイトルを知らない幼かった私でも1枚の絵からしっかりと少女の悲しさや恐怖を感じていたのだ。この絵を描いた人は凄い人だ。と心の中で作者を称えた。

さらに時が経ち、大人になり、結婚した。

大好きな地元を離れて他県へと引っ越したが、その新境地にもまたミスドはあった。
子供が産まれたての頃、寝不足や育児で疲れた私に主人は時々ひとりの時間をくれた。
授乳の関係もあるから、1時間だけ。
1時間だけ自分ひとりだけの時間。

私は決まって、駅前のミスドに行った。

ここのミスドは全体的にポップな印象のお店だ。
白い壁にオレンジ色のソファ。地元のカントリー風なミスドとはまた雰囲気が違って面白い。

そして母になった私が頼むのは、“シュガーレイズド”

家庭で母親が作ってくれるようなシンプルでどこか懐かしい、フワフワのシュガーレイズドにハマっている。

思春期なんてとっくに終えた大人の私は、指についた粉砂糖を舐めるのだってへっちゃらだ。

与えてもらった貴重な1時間をのんびりとミスドで過ごす。学生が多く行き交う駅前を眺めながら、ぼーっとしているだけでリフレッシュ出来た。

そして今、子供は2人に増え2人とも幼稚園に通っている。習い事の帰りによくミスドに寄る。

先日、子供達と3人でドーナツを食べていたら4歳の末っ子が言った。

「見て!この子ドーナツ見てる!食べたいのかな?アーン」

私たちが座る座席の真横の壁に、例の《a lost child》の絵が飾ってあったのだ。

末っ子には絵の中の女の子が、《ドーナツを食べたそうにしている女の子》に見えたようだ。

なるほど、確かにちょっと俯いた瞳はドーナツを食べている我々を眺めているようにも見える。

「末っ子ちゃんにアーンしてもらって、この女の子もきっと喜んでるね。」

私の中でずっと悲しい女の子として見えていたその子が、末っ子のドーナツを分けてもらって少し嬉しそうな顔をしているようにも見えた。

ミスドのドーナツはいつでもみんなを嬉しい顔にしてくれる。本当にキラキラの宝石みたいだ。

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