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【結城友奈は勇者である考察】救世主という存在について

はじめまして。来覇(くるは)と申します。
本日より、私が以前から考えてきた勇者であるシリーズに関する考察を少しずつ紹介していきたいと思います。

私が考えた考察を通して、みなさんが「結城友奈は勇者である」という世界をより深く楽しめるように。また私自身も考えを言語化し皆さんから多くの意見をもらうことで、より勇者であるシリーズに対する理解を深めていきたいという思いで筆をとりました。

記念すべき初投稿となる今回は勇者であるシリーズにおける『救世主』という存在についての考察を紹介いたします。

1.救世主とはなにか

まず最初に、勇者であるシリーズにおいて『救世主』とはどんな存在であるか、作中で明言のあった部分を紹介します。

『救世主』という言葉が初めて登場したのは結城友奈は勇者である ビジュアルファンブックの書き下ろし小説「その後の園子」での乃木園子のセリフです。

「わっしーは、巫女であり勇者だからね~。神様の声が聞けて、なおかつ、力が使える。そういう人の事を、救世主って呼ぶらしいよ」

『結城友奈は勇者である ビジュアルファンブック P86』より引用

このセリフにより、東郷美森が『救世主』であること。また、『救世主』とは勇者と巫女の素質を併せ持つものであることが明かされます。

東郷美森が勇者と巫女の素質を併せ持つ存在であることは小説「鷲尾須美は勇者である」での担任の先生のセリフやアニメ「結城友奈は勇者である -勇者の章-」での東郷美森の独白でも語られています。

「鷲尾さんは、勇者になるだけじゃなくて、神樹様のお告げが聞ける”神樹様の巫女”の資質も極めて高いということね」

『鷲尾須美は勇者である P128』より引用

「私は勇者の資格を持ちながらも、巫女の力も持つという唯一無二の存在だとか」

『結城友奈は勇者である 勇者の章 第2話』より引用

これらの描写より、『救世主』とは勇者の資格と巫女の力を併せ持つ存在であり、神世紀300年において東郷美森が唯一無二の『救世主』であることが読み取れます。

2.作中における救世主の働き

ではここからは、実際の作中において東郷美森が『救世主』としてどのような働きをしたのかを考えていきます。

『救世主』としての条件のうち、勇者としての東郷美森の働きは語るまでもないと思います。
神世紀298年には鷲尾須美として、神世紀300年・301年には東郷美森として神樹様に選ばれた勇者となってバーテックスと戦いました。

『結城友奈は勇者である 鷲尾須美の章6話』より

一方で巫女としての働きはどうでしょうか。
東郷美森が巫女としての力を発揮したのは、鷲尾須美の頃、神樹様に直接触れることで「バーテックス数体が近日中に襲来する」という内容の神託を受け取ったことが挙げられます。
しかし神世紀300年以降、東郷美森として巫女の力を発揮し神託を受け取ったという描写は見られません。
結城友奈は勇者である 花結いのきらめきでは東郷美森が巫女として神事を行ったり、巫女にのみ使用可能なカガミブネという機能を使うことも可能でしたが、東郷美森が巫女としての力を発揮していると示された場面は本編時空の作中ではあまりにも少ないのです。

また、東郷美森が救世主としてお役目を果たしたといえる部分は勇者の章において、本来6人の巫女が行う奉火祭を一人で請け負うことができたという点のみに思われます。
巫女6人が犠牲になるはずだった奉火祭を肩代わりすることができ、なおかつ、讃州中学勇者部に救出されたことと東郷美森自身の強い生命力により自身も生き残ることができたという面では素晴らしいことですが、本当にこれが『救世主』としての働きなのでしょうか。

『結城友奈は勇者である 勇者の章2話』より

ここで私はある疑問が浮かびました……。

勇者と巫女の力を併せ持つ『救世主』と言われる存在にしては作中における働きが少なすぎるのではないかと…。
人々や世界を救う存在、という意味を持つ『救世主』の名を冠するからにはもっと特別な力やお役目があったのではないかと…。

そこで私は『救世主』という存在について、作中で東郷さんが行ってきた描写から、ある一つの仮説を立ててみることとしました。


3.仮説の設定

私は勇者であるシリーズにおける『救世主』とは、

「人類で唯一、人から神に対して声を届けることのできる存在である」

という仮説をたてました。

この仮説をたてた理由を以下で説明していきます。

まず前提として、勇者であるシリーズの世界において神から人への声は神託という形で巫女が受け取ることができますが、それは一方通行のものであり人から神に対して声を届けることはできません。
このルールは作中でも繰り返し語られています。

巫女と言っても神との会話は常に一方通行、神から巫女へと神託が告げられるだけだから

『乃木若葉は勇者である P211 特別番外編 白鳥歌野は勇者である』より引用

巫女は神の声を聞く。だが、今まで神樹との交信でさえ、神から人への一方通行だった。

『乃木若葉は勇者である P199』より引用

「神樹と対話するのは、巫女が普段している事。なのに、巫女から話しかけ
てはいけないのか?」
「相手は神様……。普段はいくら私たちの味方でもそれは本来、御法度とさ
れる行為なんだよ。」

『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき 石紡ぎの章13話 「一生かけて」』より引用

このように巫女と言えども神様に声を届けることは叶いませんし、度が過ぎると神の怒りに触れ、声を届けようとした巫女自身に罰が降りかかることさえあります。

そんな中、おそらく作中で唯一、人の身でありながら神樹様に対して自らの願いを届けた存在がいました。

それこそが『救世主』と呼ばれた東郷美森だったのです。


私は、東郷美森が作中で神樹様に対して願いを届けたと思われる描写は2点あると考えています。


まず一点目は、「結城友奈は勇者である -勇者の章-」において、東郷美森が奉火祭の犠牲となる際に世界から自分の存在を消し去った場面です。

私がいなくなれば、きっと友奈ちゃんたちが、みんなが私を探す。そうしないように、神樹様、お願いします。

『結城友奈は勇者である 勇者の章2話』より引用
『結城友奈は勇者である 勇者の章2話』より

この時、東郷美森という存在はズッ友である乃木園子や大親友である結城友奈の記憶の中だけでなく、写真やメモ、学校の机などあらゆる痕跡が消去されていました。これは東郷美森個人はもちろん大赦でもできることではないでしょう。世界の理そのものを変える、まさに神の所業によって東郷美森という存在は世界から完全に消え去っていました。

この「世界から東郷美森という存在を完全に消す」という状況がなぜ起きたのかという点について、私はシンプルに東郷美森が神樹様に願ったからであると考えました。
通常ならばどんな願いであろうとヒトが神様に願いを届けることはできませんし、東郷美森という一個人の存在を世界から消すなどという個人的な願いを神樹様が叶える義理もありません。
しかし、『救世主』である東郷美森だったからこそ、それを可能とすることができたのではないでしょうか。

ただ、この際の記憶改変に関しては完璧ではありませんでした。
散華により失われた記憶は神樹様が供物を返してくれるまで絶対に戻ることはありませんでしたが、東郷美森の願いによる記憶改変はかすかな違和感から、讃州中学勇者部のみんなは記憶を取り戻すことが可能でした。


続いて二点目は、「結城友奈は勇者である -勇者の章- 第6話」において東郷美森が私たちはヒトとして生きる、という決意を神樹様に届けた場面です。

三好夏凜「神樹様」
犬吠埼樹「人は、いろんな人がいます」
犬吠埼風「それでも、人を本当に救おうというのなら」
乃木園子「人を、信じてくれませんか」

東郷美森「…………私たちは人としての道を進みます。」

『結城友奈は勇者である 勇者の章 第6話』より引用
『結城友奈は勇者である 勇者の章 第6話』より

ここでは歴代の勇者の魂が集い、讃州中学勇者部のメンバーが一人ひとり、人として生きるという決意を神樹様に伝えています。
この場面は歴代勇者すべての思いの結晶が神樹様に届いたという解釈もできますが、その中心にいたのは東郷美森だったのではないかと私は考えています。
神樹様に最も近い位置におり、最後に総意として「私たちは人としての道を進みます」と『救世主』である東郷美森が人としての決意を届けることで、神樹様は人の可能性を信じ、大満開友奈という奇跡へとつながったのではないかと思います。

結城友奈は勇者である 勇者の章6話より

ここで、結城友奈は勇者である 花結いのきらめきにおいて赤嶺友奈が『友奈』という存在と『救世主』という存在について説明した部分も併せて考えていきます。

「友奈の因子を持つ人は、すなわち天の逆手を持つってことだから。
勇者と巫女の素養を併せ持つ、そこの東郷さんと同じく大変なポジションだよ。」

『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき 花結いの章31話』より引用

天の逆手の力を宿し、天の神を直接退けることに成功した結城友奈と、同じくらい大変なポジションとして『救世主』である東郷美森の名前が挙げられています。

作中のセリフなどでは救世主として東郷美森が何をやったのかがはっきりとは描写されていません。
しかし、人の可能性を神樹様に示し、人は人として生きるという決意を救世主である東郷美森が神樹様に伝えることで大満開友奈へとつながるのだとしたら、
赤嶺友奈が言うように『救世主』という存在は、天の神を倒しうる友奈因子を持つ存在に匹敵する重要なお役目を担っていたのではないでしょうか。


これらの点から、私は『救世主』という存在を
「人類で唯一、ヒトから神に対して声を届けることのできる存在である」
と考えました。

天の神を撃退し、300年以上にわたる天の神との戦いに終止符を打つことができたのは、友奈因子をもち天の逆手を宿す結城友奈と、勇者と巫女の素質を併せ持つ唯一の存在、『救世主』である東郷美森。
両者がそろったからこそだったのではないでしょうか。



4.反証

ここまで語ったところで、今度はあえて自分の説に対する反論を考えてみたいと思います。
これまでは、『救世主』は神樹様に願いを届けることのできる存在であると語ってきましたが、『救世主』である東郷美森の願いが作中ですべて叶えられてきたというわけではありません。

作中で東郷美森が明確に神樹様に対して願いを言っているにもかかわらず、願いが聞き届けられなかった場面が作中で一つだけあります。
それが、結城友奈は勇者である花結いのきらめき 結城友奈の章 第6話 「愛情の絆」での東郷美森のセリフです。

私は神樹様に祈った。せめて脚か記憶かどちらかでも、戻してくださいませんか…と。

『結城友奈は勇者である花結いのきらめき 結城友奈の章 第6話 「愛情の絆」』より引用

この願いは東郷美森が散華により記憶と両脚の機能を失い、結城友奈に出会う間にしたものですが、ご存じの通りこの願いはその後1年以上叶うことはなく、「結城友奈は勇者である 結城友奈の章 第12話」において、神樹様から供物を返してもらうまで脚の機能と記憶は戻ることはありませんでした。

この時の願いが叶えられなかった要因として、
①当時はバーテックスがすべて撃退されており、東郷美森は勇者のお役目か 
ら一時的に解放されていたため、『救世主』としての力も発揮されなかった。

②東郷美森が神樹様に声を届けることのできた2つの事例ではどちらも勇者
に変身した状態だったがこの時は勇者に変身していなかったため、神樹様に願いを届けるために勇者に変身する必要がある。

などを考えましたが、作中での描写が少ないためはっきりとした解答を示すことは今のところできていません。
『救世主』が神樹様に願いを届けることのできる条件にはどのようなものがあるのか。
こちらは今後の考察の課題としていきたいと思います。


5.最後に

いかがでしたでしょうか。
今回は勇者であるシリーズの中から『救世主』という存在に焦点を当て、作中の描写から
「『救世主』とは人類で唯一、ヒトから神に対して声を届けることのできる存在である」
という仮説を立て、その根拠となる作中描写をもとにどのような能力やお役目があったのかを考察していきました。


この記事を通して、皆さんが少しでも『救世主』という存在を知り、今までとは違った側面から結城友奈は勇者であるという物語を楽しみ、世界観をより深く楽しむ一助となれていれば幸いです。

また、この記事を読んだ皆さんの中には、『救世主』という存在について私とは異なる解釈をした方や、より深くまで考察をした方もいるかもしれません。
そうした方々はぜひコメントでそれぞれの解釈や考察を聞かせていただきたいです。

勇者であるシリーズは設定がはっきりと描写されることが少ないため、人によってさまざまな解釈ができることが魅力の一つだと思います。
なので『救世主』に関する皆さんの様々な考えや解釈をぜひ聞かせてください!


最後になりますが、これからも少しずつ勇者であるシリーズについて、私の個人的な考察を紹介していきたいと思いますので今後ともどうかよろしくお願いいたします。


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