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できるか、猛烈に心配になってきた。けど。

短大から保育士になるための教材が届いた。

レポートを提出し、スクーリングに通い、最後に教育実習をして終わるらしい。

レポートは別にいい。自己の問題だ。スクーリングも、ピアノが弾けるし問題ないと思う。

ただ、教育実習と実際勤務となった時の精神崩壊が怖くなり、自信がなくなってきた。笑

正直今、不安でしかない。

私は常に人が周りにいると猛烈にストレスを感じるたちだ。
今日だって、出社したけど色んな周りの人の会話や苦手な上司との微妙な距離感に疲れ果てて頭痛に襲われている。笑

そんな人間が動物園みたいな環境、いわゆる幼稚園に四六時中いるとなると、神経がもたないことは目に見えている。

な、何でこれしたんやろう。。
(ごっつい今更!!!)

確かに、理由は何個かある。

・自分に名前をつけたかった(保育士)
・性に合ってると思った(子供好き、ピアノ弾ける、絵が描ける、英語を話せるのでインターナショナルスクール勤務も夢ではない)
・社会に貢献する仕事に憧れた
・30から40代にかけて、ずっとこの仕事を続けていると、自分じゃなくてもできるやん。といつか物足りなさを感じる瞬間が来ると思った
・短大卒資格が欲しかった
・障害のある子供たちと関わりたかった

などなど、いっぱい理由があっての入学だ。
しかも通信自体は三度目の申し込み(残り2個は入学直前で辞退)で、今度こそは、という気持ちだった。

けど、自分の精神面において、子供と他の先生、保護者に板挟みに耐えられないという特大デメリットがあることに気がついた。

学校時代から、休憩時間などにぼーっとこっそり一人になる時間を作っていた。
今考えると脳内を整理して落ち着かせようとしていたのかもしれない、と思う。

この頃朝ごはんを食べながら見る「北欧暮らしの道具店」に出てくる人たちも、デザイナーとか整理アドバイザーとかカフェ店主とかふわっとした職業の人が多く、自分の時間を大切にしてる人たちで、まず保育士って見たことない。

あの人たちの気持ちがわかりすぎて大好きすぎるのに、いきなりその人たちに保育士になってください!って言えば全力で「私は暮らしを大切にしたいから。。」というに決まっている。

自分の繊細さに向き合った結果、在宅という唯一無二の武器を手に入れ、自分の力を最大限に発揮できてるのに、それを壊してしまうのか。。。?

罪悪感で。。?義務感で。。?
でもそれって楽しいの、。???

幼稚園の先生もめっちゃ仕事が楽しい!って思ってなってる人もいるだろうし、人それぞれ仕事のスタイルはある。

叔母だって幼稚園の先生で大変大変って言ってるけど、嫌いであればすぐ辞めていただろう。好きだから続けているというのもあるかもしれない。

私が在宅において罪悪感を感じる必要は全くなかったのだ。。

昔からこういうところは変わらないな、と思う。

私の地区では中学生の時に、一週間職業を経験するという行事があったのだけど、その時に選んだのが障がいのある子達が通う保育園だった。

クラスの誰も行こうとせず、ならば、と立候補した。特別学級に通う男の子と二人でそこに行った。そこであったことはほとんど覚えている。

何でこの子達がいわゆる普通の子達と分けられてるんだろう。と、隣にある市立幼稚園を見ながら思った。
先生方は皆んな疲れた顔をしていた。
砂を食べようとする子供がいた。
ピアノを弾いてみんなで踊りまくった。
脇をこしょばすと、めちゃくちゃ笑ってうわぁー!と走り回る子もいた。
先生から「のんちゃんといると、まーくん(特別学級の男の子)も安心してるわあ。」と言われた。めちゃくちゃ真剣に草抜きした。
「せんせえ、見てえ。」と、女の子が私に言って、ワンピースをひらりとさせて、にっこり笑っていた。

そこにいることが楽しかったし、子供達といるのが嬉しかったのだと思う。
これだけ印象に残ってるということは、何かとても考えることがあり、向き合っていたのだろうとも思う。

今までの仕事で、その中学校の時の職業体験の仕事が一番人間らしさを感じたのではないだろうか。

罪悪感の話がぶれてしまったが、自分を大切にするためにも、人の気持ちを必要以上に背負う必要はないし、気にする必要はないのだ。この頃わかってきたことだ。

線を引かなければ、それは犠牲になってしまうから。

けど、何だかなぁ。
人間らしさは忘れたくないんだよな。

人間らしさっていうと、泥臭さとか、生々しさとか、そういう、20年経った今でも忘れられないことだと、今書いていて思う。

コツコツ、人間らしく、色んなことにあれやこれやと苦しみながら向き合っていきたい。