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「うらやましい」を捨てて、幸せになる。さらば、幸せ泥棒。

「幸せになりたい」と強く願ったことはありますか?

「これも、あれも、それも欲しい。これさえあれば幸せになれるはず。」そう考えるのも、全然変じゃないしむしろ普通のことだと思います。自分が置かれている状況に満足できなくて、自分の生活・人間関係・仕事など全てにおいてモヤモヤと不満が募っていく毎日。

皆さんも経験したことがあるでしょうか?もしかすると今その真っ只中でしょうか。実は私もここ数ヶ月「うらやましい」という気持ちで心がいっぱいで、不平不満だらけの思考に押しつぶされそう…いや、押しつぶされていました。挙げ句の果てに、生活に支障をきたすまで心がやられてしまいました。

ただただ、幸せになりたい。笑顔になりたい。笑いたい。それだけなのに、なぜできないの?と、余計自分に対して、人に対して、世界に対して、生きることに対してがっかりしてしまう。

そんな私が、先日あることに気づかされました。

「人をうらやましいと思う気持ちは、幸せの盗人だ」

他の人をうらやましいと思う気持ちは、私から幸せを取り上げる、幸せ泥棒だ。

今日、電車の中でふと目にした記事に書いてあったフレーズ。これほど心に響くとは思わなかった。どれだけ幸せになりたいと願って祈っても、なかなか抜け出せない妬みの泥沼から少しだけ這い上がれる希望が見えました。

詳しくはこの記事を(英語だけど)読んでみてください、私みたいに励まされる人がきっといるはず。英語のタイトルは、"What to do when you're drowning in comparison"(「比較に溺れている時にどうするべきか」)

https://stephaniemaywilson.com/2016/10/26/what-to-do-when-youre-drowning-in-comparison/?preview=true&_thumbnail_id=15174

いますぐに人生が幸せになる!というような記事ではないけれど、とても励まされたから、心に響いたポイントを2点シェアします。

① 他の人と自分を比較・うらやましく思うことは幸せの盗人であること。

一瞬の隙に私の心から喜びや笑い、幸せを盗んで返さない犯人は「比較」と「妬み」。まずは自分のこの現状を認めることが、喜びを取り返すための一歩かもしれないと思います。

気づいた時には頭の中で比較しながら、心の中で「あの人はああだ、だが自分はこうだ」「自分はこれが劣っていて、あの人のあれがない」と判断してしまう。他の人を妬むことはしょうがないことだからと割り切って、替わりにどうすれば妬む気持ちがなくなるのか考えてみました。

私の場合は同年代の大学の同期の収入と自分の収入の比較、友達の結婚と自分の交際状況の比較、貯金額の比較、ボディの比較…など本当に色々なことにおいて比較をしていたことにやっと気づきました。比較して、不満になって、不幸せになる。比較をする事がどれほど私自身の心と、私の愛する人たちの心を痛めていたか…考えるだけで恐ろしいです。

でも、この現状に気付かされたことに感謝です。やっと自分がいかに「妬み・嫉妬」の泥沼にハマっているかほんの少しだけ見えたから。皆さんはどうでしょうか?辛くて苦しい毎日が続く中、実は他の人と自分を比較しているかもしれません。そして、もしかしたら「比較」をやめたら本当に幸せになれるかもしれない。

では一体どうすればいいのでしょうか。

② 「比較」「妬み」と戦うためには、地道に自分自身に真実を語る必要があること。

他の人と自分の「比較」から生ずる「妬み」と戦うためには、妬む思いが浮かぶ都度自分自身に真実を言い聞かせる必要がある。自分で傷つけた心は、他人につけられた傷より深くて治るまでに時間がかかるから。地道に、ゆっくりと癒してあげる必要があるんです。ながーい時間をかけて心と向き合うこと。

ペッと絆創膏を貼って一晩すれば治る傷じゃないから。

まずは傷をしっかり見て、洗って、消毒して、毎日毎日ケアしてあげなければ、綺麗に治らないから。傷ついた心を癒しましょう。

この地道な治癒のプロセスの中で自分に真実を語ることは慣れるまで少し時間がかかるかもしれない。でもこれから新しい生き方をするならば欠かせないことだと思います。

ここで語る「真実」とは、自分が価値のある存在であるという事実です。自分は神様に作られたこのカタチで十分だということ。神様のタイミング・神様の「経済 (economy)」は人間の考える「最善」とは異なること。自分のチャンスはまだまだあるし、神様が備えてくださっている計画は想像を超えた素晴らしいものということ。

神様は私しか語れない人生のストーリーを誰よりもリアルに描いていて、私にしか歌えない歌をすでに用意されている。私に与えられた賜物と、力がある。

「あなたは私の目に高価で尊い。」(イザヤ43:4)

この揺るぎない神様の言葉こそ真実だから。この言葉に日々しがみついていく。他人と自分を比較して妬む自分にがっかりする時に、この真実を自分自身に語り続けて生きたい。小さな努力の積み重ねかもしれないけれど、心の傷をゆっくり癒して、いつの日か心から喜んで笑えるように、感謝できるように、聖書の言葉の希望にしがみついていく。

不安と劣等感の泥沼から私たちを引き上げてくれて、どんな罪の連鎖さえ完全に打ち切ることができる唯一の方をしっかりと見つめて生きていきたい。


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