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モノも制度も無い無い尽くしの環境から日本人が学ぶこと。

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(初心に戻るため)昔の日記を公開しています。

2015年8月15日(17:12)

「トライシクル(サイドカーがついたバイクタクシー)」の壁に埋め込まれた自作のスピーカー。狭い車内、座った乗客に音がダイレクトに当たり、特に低音はぐわんぐわん迫ってきて、苦しい。

フィリピンでフィリピン人と生活をしてみると、モノも制度も無い無いだらけである。ただ、「無い」と感じ、「勝手に」失望するのは「有る」ことを知っている私、日本人だけである。

私が「勝手に」危機だと思う状態を、彼らは創意工夫して乗り越える。凄まじいDIY精神である。

大学時代、フィリピンへの留学を決意した自分は、「発展途上国から何を学ぶんだ!」と言われたけれど、この国に足を踏み入れたときから、私は色々と学ばせてもらい続けている。

「無い」という環境を知り、今まで「モノがあり過ぎた、制度が整っていた」という環境に置かれていたことを痛感する。このギャップを埋める作業が本当に面白いのだ。

当たり前だと思っていたことが、音を立てて瓦解する。自らの目と足を使って得られた違いをスポンジのように吸収し、自分が心地よいと思うしなやかな軸を、自分の中に作り上げ、壊されてはつくり上げ、その繰り返し。自分が変化し続けなければ、生きていけない環境である。

モノが有り溢れ、社会制度も整ったようには見え、発展し続けては疲弊した先進国日本。そういった観点で見ると、フィリピンという国がどのように発展していくのか、まずは無いものを埋めていくことである程度は予想できる。そして、発展することで生まれる弊害を、私達は既に知っている。

課題を沢山抱えている日本を、ネガティブな視点だけで捉えたくない。課題を沢山抱えているからこそ、逆にできることが沢山ある。

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