みえさんの挑戦と軌跡〜多文化で培ったクリエイティブの可能性に迫る〜
様々な国のバックボーンを持ち、4ヶ国語を話すマルチリンガルのみえさん。
SNSマーケティングに従事する彼女がなぜ今クリエイティブディレクターという道に関心を持ったのか?
彼女の生い立ちから、アメリカ留学とインターン経験、数々の転職を経て辿り着いた『今』を語ってもらいました。
〈編集・執筆:塩川雄也〉
1.プロフィールと経歴
2.ルーツと生い立ち
ーーどういう生い立ちから4ヶ国語を話すようになったんでしょうか?
みえ:両親は韓国のルーツを持っていて、生まれは中国です。私は朝鮮学校に通っていて、読み書きは韓国語でやっていました。
ーー家庭での日常会話も韓国語だったんですか?
みえ:当時は韓国語と中国語が混ざってました。今は日本語も混ざって会話しています。
ーー多言語が飛び交ってるんですね。日本語に触れたのはいつからですか?
みえ:8歳の時です。言葉を習得しやすい時期だったのもあって、半年くらいで慣れました。普通の公立の学校だったので、教頭先生とマンツーマンの授業を受けたり、帰ってお母さんと一緒に勉強したりしてました。
ーー半年で慣れたのは凄いですね。環境の変化で感じた事はありますか?
みえ:中国の頃は学校のリーダーみたいな立ち位置だった。
でも、名古屋から岐阜に引っ越した時に、外国人の転校生という立場になり、どうやったら学校に馴染めるか悩みました。引っ越しも多かったし、仲の良い友達を作ることも難しかった。高校になってようやく親友と呼べる友達ができました。
ーーそんな高校生活で英語にも興味を持ったんですね。
みえ:その頃は英語を話している人がかっこいい、自分も話せるようになりたいと思っていましたね。自分が外国人というのもあるし、将来は海外で活躍できたらいいなと感じていました。
3.アメリカ西海岸に恋して
ーー大学に入り何年生の時に休学したんでしょうか?
みえ:3年生。就職活動の前ですね。
ーーその時に行ったアメリカ留学はどうでしたか?
みえ:西海岸は天気がいつも良くて、都会だけど少し足を延ばすと自然もたくさんあり、とても暮らしやすく、常に英語を話す環境で学ぶことができました。
あとは日本ではできなかった韓国人や中国人の友達ができて、自分の家族以外でもそれぞれの言語を話せる環境も新鮮でした。
色んな文化や価値観の友人と過ごす中で、どんどん知る新しい世界が刺激的で面白いと思いました。
ーー文化の違いで感じた事はありましたか?
みえ:色々ありましたが、私が一番好きだった文化は仕事よりも家族を大事にしていると感じました。
今でこそ日本は変わってきてますが、仕事優先で、凄く残業をして、早く帰らないとかありますが、アメリカでは家庭や家族のイベントを第一優先している文化があって、そこが魅了的でした。
人生で大事な事の優先順位をみんなが認識していて、社会全体がそれを理解し優先している、そんな印象を当時は持ちましたね。自分の理想の生活がここにあるのかもしれないなと感じました。
1年だけの生活は短すぎるし、学生としてではなくアメリカで働いてもう少し暮らしてみたいと思うようになりました。
ーー中国や韓国の文化と比較するとどうでしょうか?
みえ:中国も韓国も情に深く、家族を大切にしているという部分は似ていると思います。そこは自分の中で大事にしている事なんです。また、家族だけでなく友人同士でも言いたい事をストレートに言い合える関係も心地いいと感じています。
4.辿り着いたデジタルノマド生活
ーー大学を卒業して最初に勤めたのはどんな会社でしたか?
みえ:最初はインターホンメーカーの営業をやっていました。当時はあまり視野が広くなかったので、転職しやすいという単純な理由で営業の仕事を選びました。名古屋のメーカーを選んだのも実家に暮らしながらお金を貯めて、アメリカに戻るのを目標にして働いてました。
ーーその後、ビザを取得して念願のアメリカに戻ったんですね。
みえ:インターンシップとしてアメリカのビザを取得したのですが、同じ営業職としてのキャリアをレベルアップするという条件でとれたものだったんです。本当は現地企業に就きたかったのですが、やはり営業職となると外国人は選ばれずに、アメリカ人を雇います。そのため日系企業に営業職として入ることになりました。
ーー思っていた仕事には従事できなかったんですね。
みえ:ただ、今思えばその頃からSNSやマーケティングの仕事には踏み込んでいましたね。わさびの会社だったのですが、すでに人気のわさび味のお菓子がある市場で、どうやったら自社の商品を好きになってもらえるか、どのようにして日本の本物のわさびを知ってもらうか、面白いプロジェクトでした。
ーーアメリカに住んで働くことで感じたギャップはありますか?
みえ:まずはビザを取ることの大変さを実感しました。実際に一年半住んで、もっと住みたいというのはありましたが、マーケテングの仕事を本格的にやりたいと思った時に、アメリカにいると職種を制限されてしまいます。アメリカという土地ではいつまで経っても外国人なんだなと感じました。
ーーそこでコロナの時代が到来するんですね。
みえ:ちょうどビザが切れる頃にコロナの感染者数が増えたという報道がされました。職種も制限されるアメリカで本当にまだ働きたいのか、一回考え直すことにして帰国しました。住む場所や環境に拘っていましたが、どんな仕事をするかの方が大事なんじゃないかと考え方も徐々に変わってきました。
ーー帰国後は他職種に就くことになるんですよね?
みえ:その時は人の心理を考えるという点でマーケティングの仕事に興味を持っていたので、まずは広告代理店のアカウントプランナーとしてデジタルマーケティングをやるというファーストステップが良いと考え就職しました。自分が何をしたいかよりも、どんなスキルセットが将来役に立つかという考えに変わっていたんです。
ーー実際に入ってみてどうでしたか?
実務としては数値を解析する広告運用の仕事だと思っていたので、苦手な分野ではありましたが、思い切って挑戦しました。
しかし、上手くいかずに自信を失ってしまったんです。これまで自分の達成したい事のために仕事をしていましたが、自己分析が足りていなかったと感じました。
ーーそこで友人のリファラルもあり転職するんですね。
みえ:将来何をやりたいか迷子になった私にとって、手を挙げれば色んなポジションにチャレンジできる社風は有り難かったです。色々やってみる事で、自分の仕事で「どんな事をしたいのか」を明らかにしたかったので。
裁量労働制という、実際に仕事した時間ではなく成果が評価される働き方も自分の性格に合うと思い、直感でこの会社だと思って入社しました。
ーー具体的にどんな仕事に取り組んでますか?
みえ:様々な業界のクライアント様のSNSマーケティングの戦略立案とその戦略に沿ったXやInstagramの運用がが主な業務です。
ーーデジタルノマドをするようになったきっかけは何だったのですか?
みえ:好奇心旺盛なところがあるので、デジタルノマド生活できる条件があるのにやらないのはもったいないんじゃないかと思い、軽い気持ちではじめました。
また、自分の中では、色んな国に住んでみてから将来住む国を決めたいという気持ちがあったので、移住先として興味のあったタイのバンコクと韓国のソウルを中心にノマド生活をしています。
ーーノマド生活を続けて行く中で感じたことはありますか?
みえ:オフラインでの仕事が続く中で気づいたのは、やはり私は人が大好きで、直接コミュニケーションをとることで仕事の幸福度も高まると感じました。意見を言い合い、お互いを高め合えるような仲間と仕事をしたいと思っています。
どの国も完璧じゃないし、場所や環境も大事ですが、自分の内側にある物事の考え方が大事ですね。
5.ネオンアカデミーとの出会い
ーーそこでクリエイティブディレクターを育てるオンラインスクール『ネオンアカデミー』と巡り合ったんですね。
みえ:知り合いのストーリーに塾長のAllyさんが載っていて、楽しそうに仕事をしているのを見て「自分も好きな仲間に囲まれて、わくわくする仕事をしたい」と惹かれました。そこからネオンアカデミーに辿り着きました。
ーー入校を決めたきっかけは何だったのでしょうか?
みえ:正解がないクリエイティブという世界で、クリエイティビティを目一杯発揮できるような仕事をした時に自分はどんな感情になるのかを知りたいと思ったからです。ネアカはそれが疑似体験できる絶好の機会だと感じました。
ーーどんな感情になるか知りたいというのは具体的にどういう事ですか?
みえ:色んな仕事を通して、「個人の人生に良い影響を与える」「好奇心を満たす」「ビジョンが同じチームメンバーと働く」という大事な三つの価値観がある事に気がつきました。
今は副業として英語コーチングの仕事をしているんですが、そこでは6ヶ月伴走して生徒と絆を築いていきます。まさに生徒さんの人生に良い影響を与え、喜んでもらえる事にやりがいを感じています。
また、クリエイティブな分野にも興味はありましたが、メインで取り組むことがなかったので、好奇心を満たしたかったというのも一つです。
クリエイティブの仕事にも戦略設計、ライティング、デザインディレクションなど色んな種類があるので、まず自分が何に楽しさや喜び、またはやりがいを感じるのか、実務を通して知りたいです。
更には仲間と一緒にやるので、他の人と比べた時に自分の独自性は何か、どんな強みがあるのか見つけたいと思いました。
ーー現状どんなクリエイティブディレクター像を描いてますか?
みえ:仕事が楽しくなるような現場の雰囲気作りができたら嬉しいです。各分野のプロの力を最大限引き出し、誰かの人生にポジティブな影響を与えるようなクリエイティブを世の中に出せたらと思います。
6.今後やりたいこと
ーー今後やっていきたい事はありますか?
みえ:自分の語学という強みと自分の興味を掛け合わせられる仕事がやりたいです。あとは、人生を豊かにできる取り組みや、日本が生きやすい世の中になるような活動ですね。
ーー生きにくさですか?どういうところに感じているのでしょうか。
みえ:これまで仕事の中で感じた性への期待値、固定概念、同調圧力など生きにくさを感じることがありました。
黒のスーツで、黒の髪で就活をしていた新卒の頃を思い返してみると異常だなと思います。みんな個性的で、それぞれの色もカラフルなはずなのに、世の中や会社の当たり前やこれが正解だというものを変えることができればという想いがあります。
ーー具体的にどういう活動をイメージしてますか?
みえ:今やっている英語コーチングも続けながらライフコーチングやYouTube、ドキュメンタリーにも興味があります。
ーーどんなYouTubeを撮ろうと考えてますか?
みえ:発信をする事は好きなんです。自分が悩んでた時に見たコンテンツのリアルな声に助けられた経験もあったので、いつか発信できれば良いと思っています。
あとは海外の有益なコンテンツを翻訳して日本に伝えたり、日本に住んでいる外国人をディープに取材するコンテンツを作ったり、自分の言語力を活かせるんじゃないかなって思います。
ーーその取材のアプローチもある意味ドキュメンタリーですよね。
みえ:私は本来人は繋がりを求めているはずなのに、それがネット上では断片的なネガティブな情報に左右されて、薄れていっているような気がしています。なので家族愛を思い出させるドキュメンタリーだったり、人の心を動かしてあったかい気持ちにするものを目指したいと思います。
ーーみえさんの根っこには家族からもらった大切な愛を感じます。
みえ:私にとっての幸せは人からくる幸せ。人が本当に好きなんです。家族はもちろん、友達も家族と同じくらい大切な存在です。
迷いや葛藤を抱えながら、困難な状況に陥っても、環境や自分と向き合い続けていたみえさん。
その背景には中国、韓国、日本、アメリカの多文化のルーツと経験があり、常識に縛られない発想や、疑問を持って立ち向かう姿勢はクリエイティブの分野においても大きな可能性を秘めていると感じた。
人を大切にしたいという想いと共に、これまでの経験が確実に繋がっていくだろう。
皆様のサポートは、今後の写真展や写真集などの作品制作に使わせて頂きます。より良い作品を皆様のもとに届けられたらと思っていますので、お気持ちだけでも幸せます。