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企画展「久米正雄の出現」講演メモ

金沢市の徳田秋聲記念館で、企画展「久米正雄の出現」が開催されている。
久米の名前を冠した展示というだけで嬉しい
参加してきた記念講演がとても素晴らしく、あっという間の2時間。今回は内容メモをまとめてみる。

◆企画展記念講演「煙管の音―久米正雄と秋聲」
◆講師:日本大学教授 山岸郁子氏

1.現代日本文学巡礼

現代日本文学巡礼は、改造社の現代日本文学全集の宣伝のために久米が監督して撮影されたもの。作家の日常を切り取った作品で、木登りや煙草を吸う芥川龍之介の映像が知られている。

メディアによって作家のゴシップが一般にも広まった時期で、作家の生活に人々の関心が向いていた。徳田秋声は、妻の死後恋愛関係にあった山田順子と2人で写っている。

現代日本文学全集は大変な人気で、予約数は23万部を超えた。読書好きや作家ファンというよりは、文学知識を手に入れたい、自宅に本を並べたいと考えるような層が多かったのではないか。
出版が産業として大きくなり始めた時期で、全集は作家にも印税が入り生活が潤った。(秋声は家の増改築にあてた)
文壇の中で格差が生じ、売れることへの嫉妬やネガティブなイメージが出てきたとみられる。

2.純文学と通俗小説

文学が大衆化し、おもしろい作品/そうでない作品を読者が選び始めるようになると、作家は危機感を抱いていく。文壇の権威を出すことが必要になり、文学を芸術的な小説と低俗な小説に二分する考えが出てきた。全集に作品が収められる中で階層化され、文学賞といった権威化がされ文学と切り離され価値が後から決められていく。
そして読者におもねる通俗小説は下に見られるようになった。

3.新聞小説

新聞小説は、最後まで読ませる必要があることと読者層が広いという特徴がある。プロットが重要になり、読者の最大公約的な興味をテーマにしなくてはならないため、文芸誌とは違うスキルが必要になる。
 
久米の『蛍草』はプロットもしっかりした作品だが、漱石門下の兄弟子からは通俗小説を書いたとバッシングを受けた。
(なお『蛍草』連載終了後、秋声の『路傍の花』の連載が始まっている)
 
新聞小説の原稿料は文芸誌よりも高く、長期連載にもできるため作家の経済基盤につながる。登場人物を大きく動かすことから、舞台や映画等メディアミックスしやすい作品になる。

4.久米の葛藤

久米の俳句・演劇の経験は、新聞小説を書くうえでの下地になっている。
新しい読者層を獲得し、人気作家となったことで久米も自信を得ただろう。
 
けれども、久米の自意識の中では通俗小説と言われることへの葛藤があったとみられる。文壇の中で久米自身が下に見られていたわけではないが、漱石門下としての重責もあった。(当時漱石最後の門下生としては久米と芥川の名が挙がる)

5.秋声と久米

秋声と久米の年齢差はちょうど20歳。
徳田秋声と田山花袋の誕生50年の祝賀会は久米が司会を務め、震災の後であったため身内だけで執り行われた久米の結婚式には芥川や菊池の他に秋声が招待されている。
 
秋声は通俗小説の新しい読者に対して何をすべきか考えており、久米の中に通俗小説を書く必然性を認め、同じ作家として一緒に考えようとしていたのではないか。久米も秋声の中に近いものを感じていた。秋声と久米は年齢差を超えたつながりがあった。

◆感想
破船』を読んで、ゴシップ的な紹介のされ方と読んだ感想とのギャップに疑問があったところにぴったりの講演。全集によって文壇や作家が変化していったこと、純文学と通俗小説の区分ができたことなど理解できた。

久米の作品について「切り取るシーンが映像的」ということを講師が何度か言及していた。これには頷くばかりで、作品を読んでいてそのシーンが映像として目に浮かんでくる、現代の読者にも分かりやすい作品だと思う。
需要はある気がするので新潮社か岩波書店あたりが出版してくれないかと。

 企画展でも秋声の久米評が多く紹介されており、こんなに仲良しだったのかと驚いた。自然主義や新思潮といった文学史的な括り方では2人のつながりは見えないので、同時代の作家の関わりを軸にした展示が増えると嬉しい

 展示も講演も本当に素晴らしくて、秋声も久米も大好きな私のための企画展かと思うくらい楽しかった。

徳田秋聲記念館
企画展 没後70年記念「久米正雄の出現」
2022年7月31日(日)~11月6日(日)

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