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Goose tour「→83.」を観て

衝撃だった。理解不能だった。

2018年春、Goose houseが活動休止を宣言した。

この年、自分は浪人生として、俗世との関わりをある程度断ち、流行というものを追わなかった。しかし、毎月一回、土曜の夜に配信される、Goose houseの「Ustream Live」が何よりの楽しみだった。そのはずだった。

当時はそのショックを憂いていられなかった。もちろん、それどころじゃなかったからである。そんな余裕はなかった。


奇妙なことに、グース(Goose house)のファンはウチの家族のなかで、自分だけではなかった。妹もだった。母もだった。父もだった。つまり、全員だった。2017年の自分の誕生日には、家族全員で三宮の神戸国際会館に、全国ツアー公演を観に行くなどした。恥ずかしい余談ではあるが、自分の「コンサート・ライブの類の経験」は後にも先にもこの一回だけとなる。

自分がグースに初めて触れたのは、既にYouTubeガチキッズだった中3の春のことである。何かの曲を聞きたくて、検索結果の上の方にグースの動画があったのでタップして、それからだった。2014年のことなので、既に「オトノナルホウヘ→」の発売も控えており、知名度もそれなりにあった頃の話である。

「Goose houseというユニットがYouTubeで活動している」「月イチでライブをやっているらしい」「せっかくだから観ないか?」そんな会話を家族と繰り広げたかはさておき、初めて家族でユースト(Ustream Live)を観ることになった。いろんなカバー曲を聴き漁り、すっかりグースにハマっていた自分、こんな家庭がハマらないわけがなく。気づいた時には、本田家の月イチのルーティンワークになっていた。


父はグースのメンバーのうち、みぎちゃん(竹澤汀さん)を推していた(?) 結構熱狂的だった。%%やるな、おっさん。%%(これで伏字になってなかったら『なんだこの突然のパーセンテージは!』という)

これが厄介だったのだ。父は一度ハマった物は徹底的に認めて周りに布教していくタイプのオタクで(?)、実際にJUJUだの、SHISHAMOだの、最近ではYouTubeで髭男のカバーをしていた女性デュオだの(名前忘れた…)「女性ばっかやんけ!」というツッコミは抑えてもろて。1回生の頃、実家に帰省した際に、散々カバー曲流れてるなと思い、母に問いただしたところ、「休みの日はお父さんか笑梨がパソコン占領して朝からずっとコレよ」「髭男ってのとキングヌーってのが流行ってるのは知ってる。でも原曲聞いたことないのよ、全部カバー(笑)」ダメだこりゃ。

これで済めばまだいい。父はその反面として、ハマらない物や知らない物は徹底的に認めず悪態をつくタイプのオタクである(?) おまけに人の好きな物であっても散々に文句を垂れるのだ。ウザい。実際にSHISHAMOを初めて聞かせた時は「チャットモンチーと変わらんやん(笑)」、キングヌーは「高い声出しとるだけ(笑)」うーむ。

それから父は声がデカい、物理的にもいろんな意味でも。

みぎちゃんは2017年の春、全国ツアー終了後にグースを卒業された。勘のいい読者の方は察しただろうが、みぎちゃんがいなくなったグースを見て、父は…

別にいちいち機嫌を窺うタイプの父ではなかったが、ユーストを観てても「みぎちゃんおらんしな~」「なんか音が薄くなった感じ」「ワッシュウ(ワタナベシュウヘイさん)くらいちゃう?音楽界で生きてけるの」 みぎちゃんがいなくなってからすぐは、妹や母は積極的にユーストを観ていたのだが、自分が忙しくなり、自分自身の端末を持っていなかった妹も母も、自分から観に行くことはなくなった。


その矢先、と言えば聞こえはいいだろうが、ちょっとグースから離れたタイミングでの出来事であった。このまま解散するのだろうか、などと脳裏に過ったこともあった。だが自分はそれどころじゃなかった。

受験生活も佳境を迎える冬ごろ、グースが「Play.Goose」として活動を再開することを妹から聞かされた。余談だが、妹は情報を掴むのが速い。ワッシュウの結婚報告もいち早くLINEを送ってきた記憶がある。恐らくツイ廃かと思われる。困った妹だ。(ツッコミはNG)

「Play.Goose」に合流しなかったジョニー君(齊藤ジョニーさん)がツイートしていた内容を見て、ある種の違和感を覚えた。

「この人たちは何をしたいんだ?」

他のメンバーからはちゃんとした事情説明がなく、ちょっとガッカリした。「もしかしたら新しいチャンネルで何か話しているのかも」そう思ったが、気づけば受験は最終戦を経て、無事岡山の土を踏むことになり、ステキなキャンパスライフが始まり、毎日がとんでもなく楽しく、グースをはじめ、YouTubeそのものと疎遠になった。


あれから一年半、今年の初めにSpotifyを始め、いろんな曲に触れあうようになった。その中で、慶ちゃん(竹渕慶さん)のソロ曲にエンカすることとなる。このちょっと前に、あるチャンネルに慶ちゃんが出演し、グースの話をしていたことを思い出し、なんとなく思いを馳せるのだった。「オトノナルホウヘ→」が週間プレイリストに出てきたときに、自分がSpotifyを始めてからグースに触れていないことに気づかされた。ライブを観るに至ったきっかけでもある。

3月には、旧Goose houseチャンネルに、ジョニー君とダイズさん(d-iZeさん)が10年前の3月にアップしたDef Techの「My way」の再カバーとYOASOBIの「群青」のカバーがアップされた。余談が多いが、このとき父が家族LINEでこの動画を、涙の顔文字とともに共有した。やっぱりグースが好きなんだなとしみじみ。因みに、上記のことがあってか、家族は誰一人として反応してなかったそうな(他人事)

「My way」の再カバーはアツかった。そもそもこのカバー曲が上げられたのは、2011年3月、あの震災の直後のことである。当時は「Play you house」として活動していた彼らが、「どんな状況でも、僕たちは音楽を届けるのだ」という信念のもと、ダイズさんとジョニー君が練習もなくカメラを回したものらしい。あれから10年、グースは事実上解散となり、Goose houseとして活動すると決めたジョニー君と、サラリーマンとして生きる傍ら音楽も続けていたダイズさんが、10年経った今だからこそ、という形で集まって歌ったというのだ。この動画が投稿された時は、言葉にならない感情が心に溜まった。


そして、「Goose tour『→83.』」に出会う。

最初はどのツアーのことかわからず、観るか迷っていたが、その日偶然にも予定が入りリアルタイムで鑑賞することができなかった。あとでインスタのストーリーを確認すると、とんでもない量の反響があったことに驚き、アーカイブ配信されてないことを悔やんだ。その矢先、アーカイブが限定配信されることが発表され、これはチャンスとスケジュールを確認し、29日の昼にSurfaceに向かったのだ。


泣いた。

ちゃんと泣いた。


「Sing」に始まり、「オトノナルホウヘ→」「光るなら」「Sky」、「HOYメドレー」では懐かしいカバー曲が沢山。どこかで耳にしていた「Play this song」や聞いたことのなかった「何もかも有り余っている こんな時代も」クソええ曲やんけと思わされた。カジサックが出てきたときには、グースって有名になったんだなと気づいた。ワッシュウのプロポーズ、あんなん泣くに決まっとるやん。アンコールも終わって、コアメンバーのまなみん(マナミさん)、さや姉(沙夜香さん)、ワッシュウとくどしゅう(工藤秀平さん)の四人が泣きながら抱き合って、ライブ中一度も泣かなかったくどしゅうが泣き崩れるシーンがあった。最後まで泣かせてくれる。フィーチャリングメンバーの慶ちゃん、みぎちゃん、木村君(木村マサヒデさん)も合わせて7人。7人が奏でる音楽はものすごかった。

でも、ちょっとだけ、ここにジョニー君や、もっと言えばダイズさんがいなかったのが、悔やまれる…


ライブの最中、くどしゅう改めリーダーが、Goose houseが解体されることになった経緯を説明する一幕があった。初めはなんのことだ、と思ったのだが、このライブの日付・名称を一瞥してやっと気づいた。そうか、このツアーは「解体することになってすぐのツアー」であるのか、と。「→83.」というのは、83回目のユーストライブができずに、活動休止となり、「Play.Goose」として新たなステージに向かうグースが、83回目のライブとして、Goose houseそのものに「ピリオド」を打つという意味が込められているんだ、と。

「無知は罪」だと念じて生きている。「結局のところ、知らずに損をするのは自分なのだから」本当にその通りだった。グースについて何も知らなかった、もとい何も知ろうとしなかったのを、本当に恥じた。推測するに、事務所や会社と揉めたのだろう、いろんな話し合いがあったのだろう、でも彼らは音楽を届けるために必死だったのだ。真っすぐに音楽を届けるために、「Play.Goose」として活動を始めた。そんなことにすら気付かなかった自分が情けなかった。ちょっと大袈裟ではあるが。


自分は「好きなアーティスト」を語るつもりはない。いろんなアーティストの作品を楽しみ、姿勢を学び、生き方に共鳴する。それでこそ音楽を楽しむことができると信じていた。ならそういう楽しみ方を教えてくれたのは?

今になっていろいろ気付いた。カバー曲を通していろんな音楽を教えてくれたのは誰か、いろんな音楽に触れるという自分の音楽に対する根本的な姿勢を教えてくれたのは誰か、そして音楽を素直に楽しむことを教えてくれたのは誰か。全部「グース」だった。気づけば自分は、グースからいろんなことを得ていたのだ。


Goose tour「→83.」を観て、グースが奏でる音楽の素晴らしさや、グースが自分たちの奏でる音楽にかける思いだけでなく、自分がグースにどれだけのことを教わっていたのか、一度いいと思ったものを追い続けることがどれだけいいことなのか、いろんな思いが想起された。本当に良かった。「エモい」という言葉だけじゃ表せない、そんなライブだった。ちゃんとグースに触れることができた。


これからは、「好きなアーティストは?」と尋ねられたら、胸を張って「Play.Goose」そして「Goose house」と答えることができるだろう。


本田雄也

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