私の中の黒木渚ver1.0「序章」
日を追うごとに、
私の中の黒木渚の存在が大きくなっていく。
こうして、文字を綴りたくなるほどに。
私が黒木渚という人物に初めて会ったのは、歌手としてではなく小説家の黒木渚だった。
2017年春、社会人なりたての私は、ふらっと立ち寄った本屋さんで鮮やかなピンク色で書かれた「本性」という2文字を見つけた。表紙買いをしたのは、24年の人生でこの1冊のみ。そのほかは、映画化されたものやCMなどで事前から欲しいと思ったものだけ。それだけ印象深い表紙だった。
今思えば、エロスの描写が想像できたから、手に取ったのかもしれない。当時18歳の私は、思春期から大人への移行期。進化寸前だ。
「本性」は人間が元々持っている本質、性質が生々しく描かれていて、衝撃を受けた。誰と出会うか、出会わないか。この人の行く先を変えるスイッチは何か。人生は分岐点、選択の連続でどれか間違っていたならば、現在この生活を送っていないかもしれない。そして、あの時本屋に寄っていなかったら。陳列棚に別の本が並んでいたら。そのスイッチがOFFになっていたなら黒木渚に出会っていない。
新人の作家かと思いきや、シンガーソングライターとの二刀流。どんな曲を作っているのか気になった。初めて聞いた曲は「虎視眈々と淡々と」。カッコイイ。素直に思った。聴く曲も他人に流されやすかった私は、初めて自分で開拓し、黒木渚を見つけた。正直、この頃は誰にも布教したくなかった。
密かに応援していた。周りに好きな人は居なかったし、ひとりでライブに行く勇気もなかった。この頃の自分を殴りたい。
2022年、ベストアルバムを発表しそれを掲げてワンマンライブを行うそうだ。「予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる」。そそられるいい匂いがしてきそうなタイトル。これまで参加したことがあったイベントは、檸檬の棘の記者会見イベント。2022年。本人の生歌を無性に聴きたくなった。1人だけど、関係ないと、会いたくなる気持ちが勝ったんだ。
大正解だった。私が会いたかった光はそこにあった。あの勢いでこれからも連れてってほしい、引っ張ってほしい、そう思った。目印だ。
濁流のような世の中、非常にやるせないことばかりだけど、目印は明確にしておきたい。
最高すぎて苦しいね
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