私がこの春やりたいことは、鉄棒です。
私がこの春やりたいことは、鉄棒です。
連続逆上がりをやりたい。
そんなことを言うと、何を言っているんだ、と思われますが、上半身の筋肉量が少ない私にとってもこれはやるべきなんだと思います。
(大事なことなのでタイトルと出だしで2度言いました。)
きっかけ
訳あって鉄棒をしたときに、逆上がりはできるのに、連続逆上がりができない。
1番はできない自分に悔しくなったこと。
まさかこの歳で鉄棒をやるなんて想像もしておらず、周りも私がこんなことをしているなんて誰も知りません。鉄棒をやる将来を思い描いていなかった私が、このような機会を与えられたら、もうやるしかないでしょう。せっかくのチャンスをムダにしたくないですし、何より身につけたものを聞かれたときに堂々と答えることができる。
仮に、相手ができない技であれば、すごいと思ってもらえる。それだけでも認めてもらえる気がするんです。少しでも可能性があることはやってみようと思いました。
コロナの影響で
実は去年も同じように思っていました。でも去年の今頃はできるようになれたらいいなーぐらいでした。
その理由は、コロナの影響で遊具で遊ぶのが禁止されていたんです。遊具にはテープが貼られ、近づけないようになっていました。鉄棒はできたのかもしれませんが、全国の子どもだけでなく、私も我慢したうちの1人でした。ただの言い訳です。今年は練習させてください。
年齢に縛られず、苦手なことを克服していきたいです。ただ、いつ、何があるかわからないため、独り身のうちにやっておきます。コロナの時期を経験したからこそ、考えさせられたこともあるんです。「こんなことできたの」って思わせたいんです!今やらなくていつやるの?です。
早速、夜練しました
日中に公園で練習すると、子どもたちに見られちゃうというか、子どもが遊ぶところなので、私は遠慮しておきますね。あと、すごい変な目で見られるかと思うので、真っ暗で顔が見えないであろう、夜に練習させてください。夜練も見られるの恥ずかしいですよ。
ちなみに練習に付き合ってくれる人もいるのでいろんな意味で心強い。ご安心ください。
目の当たりにした方へ、、久しぶりの鉄棒に騒がしくしてしまい、大変申し訳ございませんでした。以後気をつけます。
小学生の頃の私は、鉄棒やうんていをマメができるまでやっていました。登り棒なんて大好きだったのに、今の私は少し手が痛いだけで諦めようとしてしまいます。目が回るだとか弱気なことを言って、すぐ休憩してしまう。小学生時代の私は本当に頑張り屋さんだったんだなと思います。ケガには注意して練習します。
思い返せば負けず嫌い
私の人生を左右した縄跳び。小学1年生のときに前跳びが3回も跳べなくて学年1できないと言っても過言でないぐらい底辺でした。体育の時間も周りの子は跳び終えて休憩したり、他の種目の練習をしているのに私は取り残されていました。バカにされて悔しくてお正月に親戚の家でひたすら練習しました。その甲斐あって、年明けにみんなに驚かれました。そこから毎日どこへでも縄跳びを持ち歩くようになりました。
その後は「◯回跳べてから夜ご飯を食べる」と言って練習した時期もありました。失敗したら1から数え直すという自分に厳しいスパルタ練習をしていました。真っ暗になっても帰ってこないから心配した親が呼びにくるんですけど、そんなの無視でした。タイマーをセットして休憩を設けたり、やってること筋トレです。
おかげで、学年1跳べるようになって、家には学校からの表彰状がたくさんあります。ちなみに私の特技は、はやぶさ(あや二重跳び)です。
最後に
もしかしたら、この「やればできる精神」を受け継いでいきたい、と思って就職したのかもしれません。あのとき頑張ったから今があるんです。負けず嫌いでよかったと思う部分です。
今は縄跳びから遠ざかってしまいましたが、子どもたちが縄跳びの練習をしているのを見ると過去を思い出します。
今、鉄棒の練習をして、数年後に、こんな時期もあったんだな、と笑って思い返す日がくると、何事も乗り越えていけるのではないかと思います。
皆さんご存知でしょうが、鉄棒をやると手がすごく鉄臭くなるんです。練習した分、手に現れます。練習後は自分のマメを見ながら、しっかりと手を洗い、清潔に保っていこうと思います。
そして、これができたら今度はバク転に挑戦しようと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。このnoteが何かしらのお役に立てたら嬉しいです。それでは、有意義な1日をお過ごしください。
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