「ある」と信じる

※2023年10月に私の教室の会員の皆さん向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。


急にグッと涼しさを感じるようになった10月です。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、ちゃんと季節は移り変わってゆくものですね。とはいえ、日中はまだまだ半袖短パンでもウロウロできる10月初旬です。(ウロウロしています)季節の変わり目で体調を崩す人も多いようです。先月もそうでしたけど。。。体調管理は、物理的なものだけでなく、心理的なものも大きく影響しています。心の法則と身体の法則は、車の両輪のようなもの。どちらが欠けてもいけません。心身両面で自身を整えて、万全の状態で日々を過ごしてまいりましょう!

心の法則と身体の法則は車の両輪、と言いました。心身統一合氣道の創始者の藤平光一先生の言葉や著書でもよく出てくる表現です。心身統一合氣道は、この両輪を学ぶものです。「心身統一」という言葉通り、心も身体も両方とも大事、当たり前のことですよね。教室でもよくお話ししていますが、まずはこの「心身統一」ということについて書いてみます。

この言葉、漢字の意味だけを捉えると、「心」と「身体」を一つにする、という意味にとれます。もちろん、心と身体がバラバラの状態(「心身分離」と言います)では、私たちは本来の力を発揮することが出来ません。本を読んでいても、いつの間にか思考が別のことに飛んでしまうことってありませんか?そうなると、目では活字を追っているのですが、本の内容は頭に入って来なくて、氣がついた時にはストーリーが繋がらなくなってしまっています。また、仕事に取り組む時に、それがやりたくないことだったりすると、なかなか効率が上がらず、仕事が進まない。そんなこともありませんか?これが「心身分離」の状態です。なので、心と身体が一つの状態(「心身一如」と言います)であることは、もちろん大切なことです。

しかし「心身統一」という言葉を使う時は、心身一如であるだけでなく、「天地と一体である」という意味を含めています。そう言っても、なかなかスッと意味が入って来ない、という人は多いと思いますので、もう少し説明します。ここでいう「天地」というのは、「大自然」とか「大宇宙」といった大きな概念のことです。空と大地、上と下、というよりも広く、「天地自然」を指しています。その「天地」と一体であると、どうなのかというと、”人間が本来持っている能力を最大限に発揮できる”、ということです。合氣道の技でいえば、血の滲むような特訓をして、素晴らしい技を覚えて身につけたとしても、いざ敵の攻撃を受けた瞬間に恐怖で身体が固まって動けなくなってしまったら、その身につけた能力は意味のないものになってしまいます。能力を身につけること、だけではなく、それを必要な場面で発揮できるようにすることは、とても大切なことですが、そのためにどうしたら良いのか、っていうのは、意外と皆さん知らないのではないでしょうか?「心を静める」「リラックス」「落ち着き」など、いつでも本来の能力を発揮できる自分でいられるための稽古を、心身統一合氣道では毎回しているわけです。

今回のコラムでは、もっと根幹の部分に立ち入って、「人間本来の能力」という言葉を掘り下げてみたいと思います。身につけた技を使えるかどうか、というのは、「習得した技術」を使えるかどうかの話です。もちろんそれは大事なことですが、私の考えでは、「心身統一」の枝葉の部分のことのように思えています。「人間本来の」という言葉は、もっともっと深いところにあって、私たちの「思考」や「想像」の中にある「能力」よりも、高いところのもののように思えるんです。

例えば、水泳も何も教えていない赤ちゃんをいきなりプールに入れた様子を動画などでみたことありませんか?慌てる様子もなく、水に身を任せて自然にプカプカ浮かんでいたりします。根源的な部分にある、人間本来の能力というのは、私たちが今の経験知識の範囲で考えているよりも、もっともっと凄いのではないでしょうか?野生の動植物の生態などを紹介する番組を観ていると、自然界の生物が持っている能力の凄さに驚くことってたくさんありますよね。人間だって、自然界に生み出されて、長い年月を経て進化して生き残ってきた、素晴らしい能力を有する種族なのは、間違いありません。自分の常識の範囲内では想像できないような能力を、我々自身は持っている!そんな風には思えませんか?

自分にそのような能力があると信じること。その信念を強く持てていること。「心身統一」であるためには、それがとても大切で必要なことです。自分の能力や可能性を信じることが出来ること、それが「自信」ですよね。そもそもそんな力があることを信じられないのであれば、そして出来るかどうか試してみることもしなければ、そんな力を発揮することが出来るはずがありません。あると思わないものを、引っ張り出すことは出来ません。部屋で何か物を探している時、こんな所にあるはずない、と思っている所って、よく見ていないことありませんか?こどもが適当に探して「見つからない」と言っていても、「そこにあるはずだ」と思っている自分が探してみたら、簡単に見つかった。そんな経験ってありませんか?「あると信じる」からこそ、見つけられることってあるんですよね。

人間本来の能力、と言った時、その力をどのくらいの大きさで見積もれるかによって、その人の発揮できる能力に差がついてくるのではないでしょうか?もちろん持って生まれた才能は、人によって差があります。誰もが大谷翔平選手のような野球が出来るというわけではないでしょう。しかし、最初から諦めたことは、永遠に出来ません。少なくとも「出来るかも」と思ってチャレンジすることは、無駄なことではありませんので、自分のポテンシャルを果てしなく大きく高く見積もることが出来るのって、意味のあることだと思います。
ちっぽけな孤立した個人である自分、「孤」や「個」としての自分だけを見ていると、そんな凄い能力を持っていると信じることは難しいかもしれません。しかし、天地自然が与えた生命として、「人間」という長い年月を経て進化発展してきた「種族」として、大自然の一部である自分を見た時、そこには無限の可能性があるのだと信じる気持ちになれませんか?

実際に我々の身体は、物凄い能力に満ちています。呼吸や心拍や消化排泄や免疫や発汗、そして自然治癒力など、生命維持のメカニズム。この地球上で完璧に生きていける能力を、最初から与えられています。様々なテクノロジーを生み出し、それらを使いこなして日々の生活は、数十年前まででは想像が出来ないぐらい変わっています。そんな風に、大きく大きく捉えていくことで、我々自身が持っている能力は、もっともっと高く見積もって良いものだと思えていきます。そして、それに基づいて行動することで、知識経験が広がり、可能性は無限に広げていくことが出来ます。

心身統一合氣道の先輩がたには、80代でも激しく動いて受け身をとって、週に何回も稽古をしているような人がたくさんいます。そんなおじいちゃんおばあちゃんって、想像の中にいますか?そういう皆さんも、はじめから80歳超えても合氣道をしよう、と思っていたわけではないでしょう。でも、はじめから無理だとも思っていなかったから、続けられています。
頭の中で考えて、計算していたのでは、得られない「人間本来の能力」を引き出すためにも、まずは理屈抜きに「信じる」ことをしてみませんか?心身統一合氣道の稽古の中では、そうした「可能性」に氣づくきっかけがたくさんあります。信念を育てて、可能性を育てて、皆さんが持っている人間本来の能力を最大限に発揮する。それが私たちが目指している教室です。

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