幸先

     日記より27-14「幸先」            H夕闇
             令和六年正月十四日(日曜日)晴れ
 年賀状を呉(く)れた教え子と旧同僚へ、きのう寒中見舞いを投函して、ホッとした。ここ数年来は虚礼廃止の方針で、こちらからは出さないのだが、それでも新年の挨拶(あいさつ)が来る相手は、有り難く、必ず答礼することにしている。
 肩の荷が下りた、と言えば、きのう七回目の新型コロナ・ウイルス感染症のワクチン接種も果たした。昨秋は二回も立て続けにキャンセルしてしまった。その一回目は、僕自身が風を引いた時で、てっきりコロナかと思った。それで慌てて、永らく会えない孫へ遺言めいた電話を掛(か)けた位(くらい)だ。二回目は、娘が大層ひどく目舞いがして、三週間ばかり乳児を連れて里帰り。僕はワクチンの副反応で寝込む訳には行かなかったのである。猫の手ぐらいには貢献できるのだから。
 僕は副反応が毎回ひどい。実際きのうも昼下がりに打って、夜には(肩は勿論(もちろん)、)体中の節々が痛み、一晩中うつらウツラして寝苦しかった。けさも微熱が残る。頭が重く、体は怠(だる)い。
 事(こと)程(ほど)さように、接種する度(たび)グダグダ寝込むのが恒例になっており、今も朝からPC(パソ・コン)を寝床へ持ち込んで書いている。どんと祭の松も、先ほど家内に(散歩がてら)H神社へ持って行ってもらった。
 掛かり付けのSクリニックで、僕が予約したワクチンは他の人に打つことが出来ず、無駄(むだ)になってしまう、と注意された。液体ワクチンに僕の名前が書いて有る訳でもあるまいし、次ぎに申し込みが有ったら、その人へ融通(ゆうずう)すれば良さそうなものだが、制度上そうは行かないのだろうか。
 いずれ貴重な公費のワクチンを浪費してしまい、重々心苦しい次第(しだい)である。

 今年の初日の出は、S町A浜で迎えた。
 むすこの自動車が海辺に着いたのは、日の出の時刻より半時間ばかり前の六時半。大海原と砂浜を見渡せる堤防に立つと、右手の大きな雲が少し茜(あかね)色に染まっており、それが映って、海面もウッスラ朝焼けしていた。夜来の風は凪(な)ぎ、余り寒くない。見物客も集まり始めていた。サーファー仲間が小さな波に乗る。
 道々かなり多くの自転車を追い越したが、同じ方角を目指し、やはり日の出を見に行くらしい。その殆(ほとん)どが少年らしく、友だち同士で誘い合って行くようだ。真冬の未明に自転車で海へ向かって走る、その元気に感心する。
 僕も中学生の元旦に実家の有ったT市からG干潟(ひがた)まで走ったことが有る。海から昇る朝日を見た後、汀(みぎわ)から戻る桟橋で、僕は晴れ着姿の女性たちと出会った。向こうから渡って来る気配なのだが、幅が狭く、無理(むり)に橋上で擦(す)れ違(ちが)おうとすれば、入り江の水に落ちる危惧(きぐ)が有った。それで僕は先方が渡り切るのを待つことにした。潟の桟橋は長く、娘たちの足取りは遅々として進まなかった。軈(やが)て僕は橋の袂(たもと)で焦(じ)れ、あちらが渡ろうか待とうか迷っている時に道を譲ったことを(実の所(ところ))後悔した。レディー・ファーストなんて紳士気取(きど)りは、僕に似合わなかった。
 先頭を来る年下らしい人は、桟橋の狭さに怖(お)じけるでもなく、一人だけGパンで、活発な小走り。橋の先端まで来てヒョイと飛び降りる身の熟(こな)しも、軽やかだった。それから軽く会釈(えしゃく)を送って来た。やや斜めに頭を下げる仕草が、(僕と同年配らしい割りに、)とても艶(つや)めいて見えた。
 続く着物姿には待たされたが、渡り切った後に「明けまして、おめでとうございます。」と丁寧(ていねい)な辞儀(じぎ)を受けた。落ち着いた訪問着に真っ白いショールを巻いた晴れ姿で、いかにも優雅な作法だった。僕はドギマギしてしまい、無口に礼を返した。
 三人目も姉に習って、見知らぬ僕に新年の挨拶を述べた。最も華やかな振り袖が、僕には眩(まぶ)しい程だった。最後尾の妹は「有り難うございます。」と、待ってくれた配慮に謝意を表した。
 長女と思われる人の礼儀正しい所作(しょさ)が、続く妹たちへ次ぎ次ぎと伝わって行く美しい光景に、僕は目を瞠(みは)った。日本の床しい文化と伝統が(明確な形を伴(ともな)って)目の前に現れた気がした。そして、その感動を詩に書いた。省(かえり)みると、あれが僕の文学の出発点だったかも知(し)れない。
 然(しか)し、残念なことに、震災後にG海岸を訪れると、(実は中々(なかなか)見に行く勇気が出なかったのだが、)その桟橋は津波で無残に破壊され、朽ちた杭(くい)の残骸だけが昔の跡を留めていた。

 今年の元旦、A浜から望む水平線上(太陽が昇るらしい当たり)には細長い雲が横たわり、それが(双眼鏡を覗(のぞ)くと、)ゴツゴツした岩山のように厳然そそり立つ。その峰々の稜線が、軈(やが)て黄金色(こがねいろ)に輝き始めた。すると、そこから僕らの護岸へ向かって、光り輝く帯が真っ直ぐ水上に敷かれた。ちょうど中学生の頃にG干潟で見た初日の出のように。但し、あの時は赤絨緞(あかじゅうたん)のような緋(ひ)色だったような記憶が残るが、本年は金色だ。それが横へ翼を拡げる黒い波の陰に時々途切れては、かなたから海を渡って伸びている。
 伜(せがれ)がキャンプで使う組み立て椅子(いす)を二つ車から運び出して、僕ら両親に提供。それに踏(ふ)ん反(ぞ)り返り、その場で挽(ひ)いてくれた熱いコーヒーを啜(すす)り乍(なが)ら、水平線の向こうに迎えた贅沢(ぜいたく)な朝日。親子で新年の幸福を願い、「良い年を」と乾杯した。爽快(そうかい)だった。
 眼前かなたに展開する海と空の雄大なパノラマ。紆余曲折(うよきょくせつ)を経て共に年を越した親と子三人。同様に旭日を祝賀して海辺に集(つど)う人々にも、多幸な新年が訪れるよう願う優しい心境になる。
 傍(かたわ)らに立った家族の幼児は、ピーター・ラビットに登場するベンジャミンみたいな繋(つな)ぎ服(ふく)を着ていた。フードの上に付いた長い耳が、ダランと垂れ下がっているのだ。我が家の孫の服と似ていた。同じく去年の産まれだそうだ。内の孫娘の方が断然かわいい顔立ちに見えたが、(それは内輪の話しとして、)この子にも良い年を! とは言え、果たして本当に良い年になるのだろうか。
 帰路は日の出を見た人々の車で道路が渋滞、ひどく難渋した。それと、妻が夢見が悪かったと言い出して、帰途に二軒(僕と妻の実家の)墓参り。僕が毎日のように買い物するスーパーBにも立ち寄って、顔なじみの店員さんと「今年も宜(よろ)しく」と挨拶を交わした。
(続く)

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