財布1

     日記より27-19「財布」1         H夕闇
               三月二十一日(木曜日)曇り
 財布(さいふ)を無くした。
 新聞の折り込み散らしにSドラッグの割り引きクーポンが入り、それで昼前に乳児用の果汁を買った。更にスーパーBへ行って、週末対策の商品を選び、レジに並んだ所で、はたと紛失に気が付いた。
 慌てて、来た道を逆に辿(たど)り、、、煩(わずら)わしいから、以下は中略。
 自宅にも無い。中にカードも入っていたので、取り敢(あ)えず銀行へ連絡して、機能を停止。その際、警察へも届け出を勧められた。
 SとB二店のカウンターで尋ねても届いていなかったのだから、望みは薄いだろう、と僕は半(なか)ば諦(あきら)めつつも、昼から散歩がてらに一応I警察署へ立ち寄った所(ところ)、そこに有った。
 会計課員(落とし物係り)が言うことには、拾い主はS店裏の路上で見付けて、その足で警察へ届けてくれたそうだ。僕は財布に玄関の鍵(かぎ)を付けているのだが、きっと家にも入れずに困っているだろうから、とて拾って直ぐ持って来たそうだ。
 但し、匿名で、報労金(謝礼)等は不要とのこと。せめて電話で謝意を表するだけでも、、、と僕は申し出たが、それも予(あらかじ)め御辞退とのことだった。

 財布を紛失しても、持ち主の手へ戻って来る。そういう国は世界でも多くないらしい。治安だけでなく、国民性や教育に外人が賞賛するとも聞く。云(い)わゆる「文明国」からのイン・バウンド旅行客に褒(ほ)められたり、そのインタービューが報道されたりすると、日本人はウッカリその気になってしまうが、社交辞令などというのも文明の一部であることを割り引きした方が良い。
 そう言えば、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」なんて本(社会学者Eヴォーゲル著)が一時は大いに売れたが、その後にバブル経済が崩壊して、就職氷河期や失われた三十年が待っていた。今その当時の株価を(一世代も経て)漸(ようや)く回復したと言うが、、、
 国会議員が裏金を作ったり、大金持ちがタックス・ヘイブンを利用したり、、、年に一度ずつ散々(さんざん)頭を絞(しぼ)って確定申告する貧乏人には憤(いきどお)ろしいが、チャッカリと猫ババする「お得(とく)感」よりも、遺失物の所有者の困却を先ず推し量る人々の国柄を、僕らは誇りとしよう。
 きっと見付けた人に横領されたに違い無い、この侭(まま)で迷宮入りだろう、と(恥ずかし乍(なが)ら、)僕は予測していた。店内で拾った場合い、(防犯カメラや店員の目が有るから、)チャッカリ云々(うんぬん)し難(にく)いが、道で拾ったとなると、(他に通行人でも無い限り、)チャッカリ出来る。それが、神を意識する罪の文化と人目を気にする恥ぢの文化との違いだろう。(戦後日本の占領政策を研究したアメリカ人の文化人類学者Rベネディクト著「菊と刀」)
 所(ところ)が、その人は(性別も年齢層も不明な人物だが、)僕のポケットから零(こぼ)れ落ちたらしい財布を道で拾うと、真っ直ぐ警察署へ向かったと言う。Sドラッグのレシートには、お買い上げ時刻が九時四十八分と印字されている。I警察署の「拾得物届」には(窓口でチラリと見えた所では)確か十時二十分と受け付け時刻が記録されていた。ドラッグ・ストアから警察署までは、車でなら(信号待ちを含めて)十分程度、歩けば半時間近くを要する。そちら方面が御自宅なら、余り回り道にならずに済むのだが。

 ここ半年ばかり僕は不如意(ふにょい)な出来事が多く、厭世的な気分だった。両店のカウンターに問い合わせても届いていなかった時、だから僕は性悪説に傾いた。人は信じられない、と己(おのれ)に再確認した。要(い)らぬ期待は、更なる落胆を招く。それよりは心まで自(みずか)ら鎧(よろい)で身構え、必要以上の打撃に因(よ)るエネルギー消費を事前に防ぐ方が賢い。一般に悲観的な人が感性を鈍麻抑制して気持ちを自己管理(セルフ・コントロール)する防衛本能が、僕にも働いたようだ。
 だから、落とし物係りの窓口で自身の持ち物を目にした時には、余計に意外だった。一縷(いちる)の望みを抱いて訪れるべき所なのに、「そんな筈(はず)が無い。」というのが僕の瞬間的な印象だった。この物を一体(いったい)どう受け止めたら良いのか、と反射的に困ってしまった。探し物が見付かって困った、とは妙な言い条だが、然(しか)し実際それが最も正直(しょうじ)きな心象と云(い)える。
 在中の保険証の個人情報が僕の持参したマイ・ナンバー・カードの記載と一致し、さっき機能停止した銀行カードも確かに入っている。間違い無く、僕の所有物である。家の鍵もブラ下がっている。
 然(しか)も、千円札が×枚との僕の記憶に反して、それ以上の金額が入っていた。末娘が幼い頃に僕へ初めて呉(く)れた貨幣を勘定(かんじょう)に入れてなかった為(ため)である。どういう出費だったか、記憶が薄れたが、自分の為に「おとうさんに沢山(たくさん)お金を使わせてしまった。」と感じた時、幼少の末娘が自身の小さな財布から僕へ「おこづかい」を呉(く)れたのである。あどけない心使いが有(あ)り難(がた)くて、紙幣を四つに畳んで記念に取って置き、財布の中に持ち歩いていたのである。その分も加えた額が、正に出て来た。
(日記より、続く)

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