灯台1

     日記より27-16「灯台」1         H夕闇
            二月七日(水曜日)晴れ後に曇り
 きのうの雪は(半月前に比べると、)ズッと少なかった。夜来の積雪は五センチとか。裏の道の雪掻(ゆきか)きが(隣家の前も含め)三十分程で済んだ。前回は薄明から一時間半も掛(か)かったことを思えば、遥かに楽だった。集めた雪の山も、(この前の半ば融(と)けた残雪に積み上げたのだが、それでも)脱衣所の窓の半分程の高さ。これじゃ、子供が入って遊べるような本格的かまくらは作れない。それで簡便なミニチュアを作った。
 先ずバケツの底に雪を詰(つ)め込んでギューギュー固め、少し水を掛(か)けて放って置(お)くと、夕方には厚く凍った天井(てんじょう)部分が出来る。ここを強固に仕上げるのが骨(こつ)である。その上に、ふろ場で使う片手桶(おけ)を(中央から少し片寄せて)入れ、その周囲を雪で埋める。
 昨夕そのバケツを土手のベンチの上で引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)して、ミニかまくらが出来上がり!それを大小二つ作って並べ、手桶を抜いて出来た雪室(ゆきむろ)の中に蝋燭(ろうそく)を灯(とも)した。灯し火の熱で天井に穴が空くのを防ぐ為(ため)、そこを予(あらかじ)め厚目に固く仕上げたのである。室の入り口を南側に向けたのは、そちらに人が通る道が有るから丈(だけ)でなく、北風が蝋燭を消すのを予防する為でもある。
 確か数年前にも、これを孫娘と二人で二つ作ったことが有る。偶々(たまたま)雪の降る日に、親子で訪れた。凩(こがらし)が冷たくて、むすこのスマホ写真に納まった孫の顔は固(こわ)張(ば)っていた。だが、堤(つつみ)一帯が夕暮れる中、小さな雪の家二つが全体セピア色に染まって、そこだけボンヤリと明かり、妙に温(ぬく)もった趣(おもむき)だった。昨日それを思い出して、再現してみたくなかった。
 良い年して雪遊びに興じるとは、子供じみた行いであろう。道行く人の顰蹙(ひんしゅく)を買うやも知(し)れぬ。けれど、僕は敢(あ)えて居直(いなお)ろう。元より稚気(ちき)である。僕は未(いま)だに幼い所が有ると言って良い。寧(むし)ろ、それが僕の本性さえ形作っているようだ。省(かえり)みれば、恥じ多き人生だったが、失態の多くは件(くだん)の性癖から発しているように思われる。最早(もはや)これを改めるには手遅れであり、又この生涯を否定されるようにも感じられる。拙(つたな)い乍(なが)らも、これが他ならぬ我が人生であって見(み)れば、今更(いまさら)の更生など御免(ごめん)を被(こうむ)りたい。ここは強(し)いて痴態を演じよう。人目を憚(はばか)って己(おのれ)を窮屈(きゅうくつ)にする生(い)き様(ざま)は、もう終わりにしたい年頃である。老醜で結構、今こそ自由でありたい。
 それに、この小路(こうじ)を(学校や職場からの帰途に)通り掛(か)かる人たちが、小かまくらを目にして必ずしも気分を害するとは限るまい。もしや自身の幼い頃の雪遊びや親兄弟の記憶と結び付いて、仄(ほの)かな郷愁を覚えるかも知(し)れない。社会で揉(も)まれて冷え冷えした思いを、家路(いえじ)を辿(たど)る途中でホンノリ癒(いや)すかも知れない。そしたら、これを作る僕の童心と共鳴する物が有り、望外の幸せである。

 かまくらを並べた土手のベンチは、その昔むすこと一緒(いっしょ)に作った。廃材を使って大工(だいく)仕事を子供に体験させる催(もよお)しに、親子で参加したのである。長い丸太を縦に割った端材を貰(もら)い、その両端の平らな面に短い丸太の脚を(コの字の太い釘(くぎ)で)立てた丈(だけ)の簡単(かんたん)な作りだが、何せ物が大きい。森林公園の広場から自宅まで持ち帰るのに、一苦労した。電車に乗せることが出来たのは、勿怪(もっけ)の幸(さいわ)いだったが、帰り着いて、どこに置くか。もう一騒動が有った。庭のベンチとしても良さそうな所(ところ)だが、結局(僕の意見で)見晴らしの良い裏の土手の上に据(す)えた。
 川景色を眺(なが)め乍(なが)ら堤を散歩する老人がチョイと一休みするには、恰好(かっこう)な代物(しろもの)だろう。若い男女が並んで語らう姿も、見掛けた。その後あちこち壊れたり朽(く)ちたりして手を加えたが、僕は今も日々ここで起き抜けのコーヒーと共に朝焼けのパノラマを満喫している。地球と共に目覚めるような浩然(こうぜん)の気(き)である。大河や野鳥や山や雲が一斉(いっせい)に立ち上がる気宇(きう)壮大なドラマの中に身を置くと、僕まで釣られて浄化され、屹立(きつりつ)する気がする。

 土手下には(道路に沿って)細長く花畑を作った。ここへ同居する前(母が他界した後)実家で一人暮らしをしていた父を呼んで「父の日」に耕(たがや)した荒れ地である。幼かった孫たちも手伝って、コスモスの種を蒔(ま)いた。花が咲き、種が零(こぼ)れて、自生すること二十星霜。期せずして、亡父の記念となった。僕の孫や隣りの母子と共に追い追い延長したが、最初は長さ五メートル程(幅は一メートルばかり)の小さな花壇だった。
 秋風そよぐ色とりどりのコスモス畑を土手のベンチから見下ろしたら、、、又は宵(よい)に及んで堤の果てに名月を迎え、、、はた又ビール片手に夏祭りの花火を愛(め)でる夕涼み、、、春は対岸に水仙(すいせん)や菜の花が萌(も)え、、、今の季節なら、果てし無く澄んで拡がる雪晴れの銀世界、、、と中々(なかなか)に剛毅(ごうき)、愉快な空間である。
 芽ぐむ頃に草を摘(つ)んだり、種を採(と)ったりしていると、近所の人から声を掛けられる。毎年の花を楽しみにしている、などと言われると、満更(まんざら)でもない。小川の土手を勝手に利用するのは初め気が引けたのだが、そこはかと無く町内会でも承認を得、僕は「私設公園」と号している。   
 家路に就(つ)く道すがら、世間の荒波で心底ささくれ立った気持ちを花の姿でチョッと和(なご)ませたら、要(い)らぬ不機嫌を家庭へ持ち帰らずに済むのではないか、と僕の幼心(おさなごころ)が夢想する。
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(日記より、続く)

こすもすよ強く立てよと云ひに行く女の子かな秋雨の中
(「晶子新集」より)

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