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【雑記】コロナ禍がしんどい。

どうも、みなさんお久しぶりです。ゆうやです。
コロナ禍も2年目、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
福岡は3度目の緊急事態宣言が出されました。
さすがにしんどいです。
今回はその”しんどさ”について記事を書きたいと思います。
※今回の記事は私の主観が多分に含まれています。


1.コロナ禍を「辛い」と言えないネット環境

2020年の6月ぐらいの事だったと思います。
コロナ禍が始まって、緊急事態宣言が始まって、いよいよ物々しい雰囲気が漂い出したころに、毎日のようにTwitterで近況を発信した友人が、無言で更新を止めている事に気がつきました。
結構繊細な友人だったので、何かあったのかなとLINEで連絡を取ると、次のように返ってきました。

「今のTwitterは悪口ばかりだ。見たくない」

……ああ。
ああ、そうだよなー。
同様の理由で、私も実はTwitterを見る頻度が減っていました。

第1回目の緊急事態宣言による強い自粛に伴い、過剰に他者を取り締まろうとする、いわゆる「自粛警察」が横行した時期でもありましたが、自粛警察ほど過激でないにしろ、Twitterのタイムラインは誰が正しい・間違っているの記事で殺伐していました。

世間が「自粛警察」という単語を作り、過剰に弾圧する行為をやめるように呼び掛けた結果、比較的落ち着いてきたのですが、あの時の強く相互を監視し合う雰囲気、「正しい」「間違っている」の物差しを殴り合う空間は、自由気ままだったTwitterに大きな影を落としました。
「右」と言っても叩かれる。
「左」と言っても叩かれる。
日本には「一理ある」という言葉がありますが、今のネット社会で「それも一理あるよね」というやり取りがされる事はほぼないです。

全員が納得できなければ「間違っている」
それが『コロナ禍が辛い』というセリフ一つにものしかかっているのです。

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2.「しんどい」と言うと何が起きるのか

インターネット上は、テレビや書籍と違って規制が緩く、比較的自由にものを話すことができます。
「あー、月曜日しんどい」とかガンガン言っても大丈夫なんです。
月曜日が「俺を差別すんな!」と怒ってくることもありません。

しかし「コロナ禍がしんどい」と言うと話が変わってきます。
大きく分けて下の4つです。

①「自分はコロナ禍でもしんどくないよ」
⇒唐突に現れる全否定型。「自分は月曜日でもしんどくないよ」という人はいないのに何故。

②「家で仕事すればいいじゃん。やること沢山あるだろ」
⇒おうち時間で解決できる型。おうち時間何たらで解決できるような問題ならネットでぼやかないと思います。さすがに2年目なので。

③「コロナ禍は災害なんだから仕方ないだろ」
⇒「月曜日は火曜日になれないんだから仕方ないんだろ」理論。いや月曜日に文句があるわけではない。

④「医療従事者は今も頑張っているんだから」
⇒唐突に「アフリカ難民の代表」みたいな話

「しんどい」理由を聞きだし、不適切であれば否定する。
要するに同調圧力です。
「皆で乗り越えよう」は聞こえはとても良いのですが、副作用的に「しんどい」と発言する誰かの存在を消そうとします。
同時に、このコロナ禍にしんどさを覚える人は「皆に認められる適切な理由」を探そうとしてしまい、探せない自分や、探す気力も尽きている自分を否定してしまう(=自己否定が起きてしまう)のです。

この「自己否定」がまずい

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3.コロナ禍は月曜日以上にしんどい

少なくとも、私のケースの話ですが
私はコロナ禍がしんどいです。

まず緊急事態宣言。
月曜日はかならず1週間おきにくるけど、緊急事態宣言は突然やってきます。
社会人でも退職願は1か月前って言ってるだろ!と思います。
そして勝手に延長されます。
社会人でも退職願は(以下、省略)

この「いつ始まるか分からない」「いつ終わるか分からない」は、もう本当に打撃を受けます。
働いている人は、スケジュールに思い切り影響が出ますし、取引先もスケジュール調整で、こちらとの予定をキャンセル⇒次回未定、なんてザラです。
メールを送っても返事が返ってこないというのも頻回します。

また、育児・介護も多大な影響を受けます。
自分には新1年生になった子供がいるのですが、授業参観・運動会・保護者会、全て中止です。しかも4~5日前告知。
カレンダーが書き直しでぐちゃぐちゃです。中止・延期のプリントが大量にあって、大切なプリントを見落としがちになり、対策を取ってはまた新しい対策をとって、それでも笑顔で過ごし続けるのはなかなかの難易度があります。

自分の実父がコロナ禍で癌になり、検査入院までして手術日が定まらず、未定の入院期間が続いていました。
なお、先日は義父も癌になりまして、やはり手術の日程が組めない状況に置かれていました。

唐突に連絡がつかなくなる取引先、見通しの立たない日程、抜き打ちで増えるプリント、癌なのに手術してもらえない不安、子どもの為に無理やり作る笑顔。

こいつらが全部、緊急事態宣言、強いてはコロナ禍の元に起きているのを「コロナ禍がしんどい」以外の何と表現しようか。

このしんどさを「理不尽」と言わずして何と言えばいいのでしょうか。

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4.言わせてあげて「理不尽だ」って

2000年頃に流行って「明日があるさ」という曲に「どうして自分は頑張っているんだろう~♪」というフレーズがあります。

今回のコロナ禍は、多かれ少なかれ、誰もが頑張らなければならない環境にあります。
それが1年も続くと、やっぱり出てくるんですよね。「どうして自分は頑張ってるんだろう」って。

恐らくこの「どうして自分は~」が、普段は「月曜日がしんどい」みたいなもので
今は「コロナ禍がしんどい」になるんだと思います。
でも、ここで1.に上げたように
「自分はコロナ禍でもしんどくないよ」とか
「家で仕事すればいいじゃん。やること沢山あるだろ」とか
「コロナ禍は災害なんだから仕方ないだろ」とか
「医療従事者は今も頑張っているんだから」とか言って
全否定しちゃうと

(あれ?しんどいと思ってる自分が悪いのかな)

とか考えだしちゃって、自己否定になっちゃうんですよね。

もうはっきり言うとね

コロナ禍でしんどいな~って思ってる人

全然、悪くないからね!!

何も悪い事してないのに、こんなに頑張らされてるの、超理不尽だからね!!

理不尽だって言っていいし、言いたがってる人がいたら言わせてあげて!!

そりゃまあ、信じられないうぇ~い系の無責任な呆れた行動!のような特集が暇つぶしのようにニュースで組まれていますが
何となくぽそっと「コロナ禍、しんどい」と言う人は、絶対そういうタイプじゃないですよね。真面目ですよね。

「しんどいから何だ」
「弱音を吐いたってなにも変わりはしないぞ」
「俺に何をしてほしいって言うんだよ」

とか逆切れしたり、押さえつけるのはダメ、絶対!
ここで一言「そうだね」と言うか言わないか、何なら何も言わずにそっとしておくだけでも、救われる命ってものがあります。

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5.コロナ禍が開けたら日本はどうなるの

昨年は何かとメールの文末に「コロナ禍が明けたらまた会いましょう(遊びましょう)」みたいなものを付けていました。
正直、今はコロナ禍が明けたらどうなるのだろう、と思っています。

身内を亡くした方。
不当な差別を受けた方。
失業した方。
必要な医療が受けられずに苦しんだ方。
学校に行けなかった子供たち。
インターネットで心無い言葉を浴びせられた人。
Twitterを辞めた友人。

コロナさけ明ければ?
また元の日常に戻る?

最近、車で出かけていると、以前は見ないものを見るようになりました。

ランドセルや制服を着て泣いている子供とその親です。

私の知人でも、中高生のお子さんが、長い休校生活で不登校になったという話を聞きます。
休みたいな~と言って休みに喜んでいた私たちの時代とは全然違う。
休みたくもないのに休まされた子供たちが、もう明確に、悲鳴を上げ始めています。

熊本大震災の時、災害の子供に対するメンタルケアに、大学の恩師が派遣された事がありました。
その時、先生が書いた記事に以下のような文章がありました。

「子どもは災害時ほど大人しくしようとする。子どもの心の傷が表出するのは、災害が落ち着いた頃だ」

――みんなで協力して、コロナを乗り越えよう。

「みんな」とはどこまでなのか、「乗り越える」とはどういう事なのか。
少なくとも私は、これ以上、大人も子供も不必要に「心」が傷つく事の無いように、そう願っています。

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