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【雑記】ある日突然「性同一性障害」と診断された話。

注意※こちらの記事にはLGBTQに関するカミングアウトが含まれています。

まさか自分が性同一性障害に?
合宿免許WAO!

こんにちは、この度カミングアウトをする事になりました。ゆうやです。

タイトルの通りです。
そうです実はこの私、過去に性同一性障害の診断を受けた事があります。
今回はその話を中心に、トランスジェンダーの話をしたいと思います。

色々あって精神科に入院してた話

「それはLGBTQより濃密なカミングアウトでは?」という突っ込みはさておき、今から(ピー!)年ほど前、色々あって精神科に入院していた時期がありました。

ストレス性の重度の不眠症?だったんです。
原因が分からなくてですね。
何が原因の不眠なのか調べるために、入院して心理テストや脳波やら、色々検査していたのですよ。

そんなある日のこと。
精神科医が検査結果見ながら言いました。

「性同一性障害ですね」

「……はい?」

「性同一性障害です」

性同一性障害(GID: Gender Identity Disorder)とは、自分の産まれ持った身体の性と、心の性(自分自身が自分の性をどう感じているか)が一致しない状態。近年では“性の多様性の一部”として理解しようとする動きが広まっており、アメリカ精神医学会が発表した最新の診断基準の中では“障害”という言葉が外され、性別違和(GD: Gender Dysphoria)という名称に改められた。

http://www.ktq-kokoro.jp/lecture/2064

私の戸籍上の性別は女性。
見た目も、たぶん女性。
男性の恋人もいる。

いやいやいやいや、
何で私が性同一性障害?

この時の感想は
「いったい何を根拠にそんな発想が出てきたんだ」
というものでした。

変な精神科医だ、ぐらいの気持ちでした。

実はあった「性同一性障害」の心当たり

唐突に精神科医から「性同一性障害」と診断されたときは
「何をご冗談を!」と失笑した私でしたが
実はその一方で
やんわりと心当たりがありました。

小学生の頃からスカートが好きで、まさに「女の子らしい」ヒラヒラしたスカートばかり好んではいていた私
(ラジコンやブロック遊びが好きで、木登りや危ない遊びばかり好んでいたとか、若干の傾向はあっても決定打になるものはなかった)
実は10歳ぐらいの頃から女湯に入れなくなっていました。

最初は自然教室でした。
皆んなで女湯に入るのが何となく嫌で、周りから「恥ずかしがることないよ!」と励まされていました。
(そっか、私は恥ずかしがり屋なんだな)
そんな風に考えていく内、
女湯だけでなく、プールの更衣室、女子トイレ、同室で女性と寝ることもどんどん辛くなっていきます。

ある日「どんだけ私はシャイなんだ!勇気出せ勇気!」と無理して女湯に入った事がありました。が、その夜、熱を出してしまいました。

何かよく分からないけど、女湯に入るのが嫌で嫌でたまらない。
私の裸を見られたくないんじゃくて、女性の裸や寝顔を見てはいけない気がする。

就職活動時、私はあるワードをNGワードにして求人検索をしていました。
それは「社員旅行」でした。

社員旅行は一般的に温泉地が選ばれる。
温泉地は女湯になる、複数人と同室になる。
だから求人票から外す…。

「シャイだ」「恥ずかしがり屋だ」「繊細なんだ」と理由をつけて、私の女湯に入れない問題は静かに深刻化していたのです。

精神科に入院していた時、
私は特別に個室に入院していました。
精神科病棟というのは、基本、大浴場で患者みんなでお風呂に入ります。(事故防止の為)

入院した当初、私は病棟スタッフに「お風呂を個別にできませんか」と尋ねていました。
「昔から、女湯に入るのが辛いんです」と。
怒られるかな?と思ったのですが、お風呂個別どころかすぐさま個室が用意され、(大部屋も抵抗あったから)良かったラッキーぐらいに思っていました。

今思えば、その時から性同一性障害を疑われてたんですね…。

「性自認が女性ではない」無自覚の自責

LGBTQに対して、私はいくつか大きな勘違いをしていました。
一つは、性同一性障害とは「反対の性別になりたがる人」の事だと思っていた事。
(勿論そういう方も居ますが、必ず全員がそうではないようです。)
もう一つは「性自認」についてです。

私はてっきり「私は女性だ!」「男性だ!」「中性だ!」「両性だ!」と明確に自覚し、主張する事が、性自認だと思っていました。

しかし、もし、私が頑なに女湯に入る事に苦痛を感じる、この感情が性自認から来るものならば
性自認は自覚するしないに関係なく、刻まれるように存在するという事になります。

そして、恐ろしいのは
自身の性自認を自覚してない場合、原因不明の苦痛に苛まれる事があるということです。

ある日、突然「性同一性障害」と診断された私は、過去を見つめ直す事によって、様々な「?」が解決していくようになりました。

例えば、小学生、中学生の頃
クラスの女子が恋愛話で盛り上がっていた際
「好きな男子いるの?」と聞かれるたびに、とにかく誰か男子の名前を挙げていました。

ーー女の子は、恋をしてなきゃいけない。
ーーとにかく誰でもいいから、私は恋をしてなきゃいけない。
こんな風に「女の子ならどうあるべきか」必死に模倣していたのです。

私の友達なんかは「女なら恋愛してなきゃとかバッカみたい!」と豪語して、髪を短くしズボンをはくような娘で、「私は女になんかなりたくない!女子と話すより男子と話してる方がずーっと楽!」とか言っていて、
そうなんですよ。
『女の子なら○○でなければならない』なんて本当は無くて、女らしさを要求するな!と叫んだって良かったんです。
けれど、何故でしょうか。
なんでか、そう"思う事"すらできなかったんです。

これは今も若干そうなのですが
私の中でいくつか"絶対に考えてはいけない"事項があります。

ーー何故、私はお風呂に入るのがそんなに嫌なのか
ーー女性の裸を見た時に私は何を思うのか
ーー私は本当の意味で男性と恋愛できてるのか
ーー本当に私は男装に興味がないのか

これらの事に思いを馳せようとすると、頭が真っ白になって思考が中断される。
私が女性でないかもしれないと疑うような事は全て自ら全否定する。
「性自認が女性じゃないかもしれない」私は存在してはならない。
それは「性自認が女性でない私」が「女性として生きていかねばならない」中で生み出した知恵のようなものでした。

いや、それは知恵でも何でもなく
自分の自我を、自分で半分殺してしまう、とてもとても危険な事だったのです。

FtX?Xジェンダー?もうバラバラにしない

私みたいな性自認の人間は「Xジェンダー」「FtX」とも呼ぶらしいですが
今の自分は「まあなんか性自認が女性じゃないっぽい」ぐらいの表現がしっくりくるかな、と考えてます。

別に特別に変化する必要もないし、知人友人の方がまだこの記事を読むことになっても、今まで通りでいいんじゃないかな。と思います。
女湯に壊滅的に入れないだけで、男性と恋愛もしますし性交渉もしますしね。

ただ、今回の件を敢えて告白したのは
性自認にはこのような無自覚ならケースがあること。
人知れず無自覚に自分の自我を殺し、苦しむ人がいるかもしれないこと。
それを忘れないようにするため、こうして文章に残す事にしました。

トランスジェンダーと気づいたからと言って、明日から男になる訳じゃない、周りに態度を変えてくれと言うつもりもない。

ただただ。

「名前のない、とにかく全否定されるべき私」に、「トランスジェンダー」という名前を与え、「存在しててもいいよ」と言ってあげる。
たったそれだけの事で、バラバラになった自我が救われる。
「私は生きていていいんだ」
やっと自分にそう言ってあげられるのです。
そういう事もあるのです。

もし、これを読んだ人で
「何か女湯(男湯)が入れないだよねー」と言っている人がいたら。
あなたが人知れず、悩んでいるのであれば
何かしら、ここに書いた事が何かの役に立てれば、と思います。

全ての男性、女性、LGBTQの方達に幸あらんことを。
かしこ。


※2023年4月8日、自我の項目を加筆修正。