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インナーゲームの知覚ってどうやるの?

インナーゲームのセルフ1の妨害を減らすのに、書籍では、知覚・意識するということを教えています。

書籍では、色々なやり方が書かれています。


しかしインナーゲームは、テニス、ゴルフ、スキー、音楽での方法について書かれているので、それをやらない人には、分かりにくくなっています。

私もそのタイプでした。


なので、私が試行錯誤してきた、知覚・意識の方法を伝えたいと思います。


そもそも知覚・意識とはなんなのか?


私は、知覚・意識するとは、注意を向けることだと思っています。

この文章を読むとき、目はこちらを向いています。
目を向けなければ、読むことはできません。


知覚・意識も同じで、文章は目でしか読めませんが、5感を通して私たちは色々な情報を得ることができます。

でも、どの5感を使うかによって、得られる情報が変わります。


この文章を読んでいるときに、周りの音に注意が向いていたら、文章をすんなり読むことはできなくなります。

どの5感を使うのかは、私たちに選択することができます。


頑張ると上手くいかない


では、文章から情報を得たいとしましょう。
でも、周りでは音がうるさくて、文章に集中できなくなります。

そんなとき、文字に注意を向けようと頑張ってしまいませんか?

実は、注意を向けることを頑張ると、インナーゲームは上手くいかなくなります。なぜか?


疲れるからです。
注意をひとつに集中しようとするのは、非常に疲れます。
ストレスが溜まります。
すると、うるさい周りの音が余計にうるさく感じるようになります。


インナーゲームは集中力の科学と言われており、集中する方法を教えてくれているのですが、集中はさせるのはなく、集中しちゃうものです。

意図的に、注意をひとつに集めて集中しようと頑張ると、インナーゲームは失敗します。


注意を置く


私は、知覚・意識については、『注意を置く』と表現しています。
注意を向けるだと、そこに意識を向け続けると勘違いしそうだからです。

私たちの5感は、何もしなくても感じています。

文章を読もうと思わなくても、目を向ければ文字が見えますし、
聞こうと思わなくても、音が聞こえますし、
嗅ぎたくなくても、嗅いでしまいますし、
暑いとか、寒いとか、なにもしなくても感じています。


なにか力をいれなくても、私たちは5感で感じています。
知覚・意識とは、そのどれかを選択するだけです。

あえて見よう・聞こうとしなくても、見ちゃうし、聞いてしまいます。
感じようとしなくても、感じてしまうんです。


だから、その感じている感覚のひとつにそっと注意を置くだけ
インナーゲームの知覚・意識は、本当にこれぐらい力をいれない、注意の向け方です。


集中させるのではなく、集中しちゃう


仕事、スポーツ、勉強とあらゆることで、私たちは集中しようと頑張っています。スポーツの試合を見ていると、自分で『集中!集中!』と言って、頑張っていますね。

でも私は、『集中はさせるものではなく、集中しちゃうもの』だと思っています。
インナーゲームも、この考え方です。

意識・知覚を使うのは、結局のところ集中するためです。
ものごとをより感じることで、得られる情報量が変わってきますので、それをもとに私たちの体は勝手に動いていきます。
得られる情報量が少なければ、体はそれに反応することができません。


その集中を妨害するのにセルフ1があるのですが、知覚・意識することで、そのセルフ1を減らすことができます。
知覚・意識すると、集中していくからです。


先ほど、知覚・意識は、ひとつにそっと注意を置くだけと説明しましたが、注意を置くだけだから、疲れることはありません。
疲れないから、続けることができます。
注意を置いていると、そこに変化があることに気づき、いろいろなことが分かってきます。
それを分析する必要はありません。
注意を置いているだけで、情報がスムーズに頭の中に入ってきます。
集中しています。


純粋な興味


私たちの興味も、知覚・意識の能力を助けてくれます。
どうなっているのか知りたいと思っていれば、感覚に注意を置きやすくなり、より知覚・意識が冴えます。

しかし、もっとよく知りたいと頑張ると、疲れてしまって、知覚・意識の力が衰えてしまいます。


こうしたところにも、セルフ1が出てきます。
もっと情報を得る必要がある、もっと情報が得られれば上手くいくはずだ・・・。

こうしたセルフ1が、私たちの体を意図的に、頑張ろうとさせてしまいます。


なので、純粋な興味です。
どうなっているんだろう、少しづつ変わっているな、意外とこんなことになっていたんだ、という知りたいという興味です。
純粋な興味は結果を求めませんから、セルフ1の妨害が減り、頑張ろうとする意識を薄れさせます。

ただし、純粋な興味がないときもあります。
そのときは、知覚・意識とは、注意を置くことで、疲れないことだと忘れなければ、少なくとも頑張ることは減ってくると思います。


頑張ると変化は起きない


テニスのコーチも、生徒にもっとリラックスして、と指導します。
リラックスしてと指導してしまうぐらい、頑張るっていうのは、私たちの能力発揮を妨害します。

でも、頑張っているときは、そういうことに気づいていません。


インナーワークでは、STOPというツールを紹介しています。
どんな状況でも、アラームがなったら数分間作業を止めるという方法です。

書籍を読んだときは、これは本当にインナーゲームなのか?と思いましたが、頑張ることから解放するための方法だったのかと気づきました。


結果を求めるときは、結果を出そうと頑張ってしまいます。
何かいい方法を知ると、それで変われるんだと頑張ってしまいます。
それは、インナーゲームも同じことです。

私がインナーゲームを学び始めたときは、何かに注意を向けていれば結果がでるんだと思い、集中しようと頑張っていました。
すると、余計にできないところ、できていないところが気になります。
頑張ってする集中は、そうした見たくないものまで、見えるようにしてしまうようです。
これでは、セルフ2の能力は発揮することはできません。


疲れる、できていないことが目につく、全然変化が起きない、これらはまさに、セルフ1によるインナーゲームをしている状態です。
自分で妨害して、自分の能力発揮を妨げています。

『集中はさせるものではなく、集中しちゃうもの』。


私たちにできるのは、注意を置く、ということだけ。
あとは、セルフ2が集中へ導いてくれます。

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