わたしの心の声は必要か?
わたしたちの心の中では、常に色々なおしゃべりをしている。
それは、オカルト的な話ではなく、『お腹空いたな』、『今日の仕事は嫌だな』、『早く出かけないと』、『あの人とは話したくない』、『マジでムカつく』こうしたおしゃべりを誰でもしているだろう。
それは、ほぼ自動的に起こり、考えたくないようなことも勝手に話してきて思い出させる。
仕事のミスを家に帰ってからも考え、辛いできごとを何気ない日常の中で思い出し、楽しく遊んでいるのにそれを壊すようなことを考えてしまったり。
私たちは、この心の声をコントロールすることはなく、ただ出てくるままに任せ、それを受け入れ、ときには会話に参加し、時には抵抗して考えないようにする。
はたして、この心の声は必要な存在なんでしょうか?
セルフ1とセルフ2
この心の声に疑問を持ったのは、インナーゲームという本がきっかけです。
常に話しかけてくる自分(セルフ1)と、それを聞かされる自分(セルフ2)。
大きな失敗をしたときに、このセルフ1の存在はとても大きくなる。
なんでこんなことしたんだよ、なぜあのときに注意しなかったのか、次はどうしたらいいだろうか、別にそこまで怒られるようなことじゃない、この経験は自分には必要なんだ。
自分も他人も、批判し、肯定し、慰め、アドバイスしてくるセルフ1。
そしてそれを聞かされて生きていく自分セルフ2。
自己欺瞞
自分を欺く。セルフ1はそういった傾向がある。
自身を批判しすぎたときには、そこまで自分は悪くない。
自分は悪くないと正当化すると、お前が悪いと批判する。
そのどちらの気持ちもあるから、この正反対の主張が心の中にあらわれる。
シーソーゲームのように、片方に傾くとその反対のセルフ1があらわれ、もう片方に傾くとその反対のセルフ1があらわれる。
その気持ちを書き出してみて、並べてみると、やっぱり自分の中で出てきたものだけあって、どちらも正しいような気がしてくる。
そう、セルフ1の主張はほとんど正しい。
私たちは、結論をださないまま心を置いておけない。
セルフ1の色々な主張がある中で、今回はどれが正しいのか決めないとスッキリできない。
でないと、セルフ1が永遠に主張し続けるから。
ずっと頭の中で、ああいえばこういう状態は疲れるので、何かの結論を出して解決したくなる。
たとえそれが、自分が悪いという結論だったとしても。
セルフ1は必要なのか?
セルフ1という心の声を考えるきっかけとなった、インナーゲームではセルフ1は不要だという。
それは、本来の自分セルフ2を妨害していると。
本来の自分がどういったものかは分からないが、自分に話しかけながら生きていくのは必要なのか?
先日、スーツのズボンに穴があいたので、その補修作業を行った。
作業は、アイロンで、穴を塞ぐ布を当ててれば、布が張り付いて補修できる単純なもの。
初めての作業なので、頭の中では色々なセルフ1がでてくる。
布の大きさはそのままで大丈夫か?
生地が薄くなっているので、大きめに貼りつけた方がいいんじゃないか?
アイロンはもっと強く押し付けた方がいいんじゃないか?
少しずれているな。
しわになっちゃったよ。
やっぱり自分は不器用だな。
この単純な作業でも、セルフ2は常にセルフ1から話しかけられている。
きっと誰でも同じだろう。
ただ、アドバイスも、主張していることも、正しいように思う。
布は大きく切った方が良かったし、実際に少しズレてしわになったし、結果を見る限り不器用だと思う。
セルフ1は役立つのか?
この自分自身のセルフ1は何かに役立っているのでしょうか?
主張していることは正しく、役立つアドバイスもあるような気もする。
だからこそ、このセルフ1を放置して、自由に発言の機会を与え、そのアドバイスに従ったり、抵抗したりしていた。
ただ、セルフ1にさらされている時は、とても疲れる。
さきほどのズボンの補修作業でも、楽しい作業ではなかったし、次もやりたいと思う作業ではなかった。
『失敗したくない』と思うときは、よりセルフ1が多くなる。
セルフ1はアドバイスしたがるし、注意したがるし、批評したがる。
全て、自分が正しいと思っている。
セルフ1は味方なのか敵なのか?
そのどちらでもないような気がする。
なぜなら、そのままで良いと言っていたかと思うと、それではダメだと言ってくるときもある。
今回は自分は悪くないと思う時もあれば、今回は自分が悪かったと思う時もある。
ポジティブ思考もこのセルフ1があるから上手くいかない。
どれだけポジティブに考えても、セルフ1が本当はポジティブに思ってなければとたんに崩れる。
ポジティブ思考は、セルフ1を全て自分を肯定するものに塗り替えるようなものですが、セルフ1は気まぐれなのでそれには従ってくれない。
ポジティブを受け入れていたかと思えば、突然批判してくる。
ポジティブ思考が上手くいかなかった人は、自分のセルフ1がポジティブだけではいられなかっただろうか?
セルフ1の影響
これはとても大きい。
自分を褒めてくるようなときには私は調子にのり、自分をけなしてくるときには私は落ち込む。
感情は、このセルフ1にコントロールされている。
そして、セルフ1の影響からは逃れられない。
なぜなら、セルフ1の主張はほぼ正しい。
他の人から見たら、間違っていると思うかもしれないが、自分自身は正しいと感じる。
その感じていることを、それは違うと否定するのは、自分でも周りから言われても受け入れられない。
何を主張したとしても、それはセルフ1だから。
でも、だって、だけど。
いろいろな言葉で主張するセルフ1は、正しいことも間違っていることも全て包括して主張する。
だから、逃れられるわけがない。
どれだけ、ポジティブ思考したって、思考である限りセルフ1からは逃れられない。
セルフ2を選択する
インナーゲームはセルフ1を避け、自分自身のセルフ2に経験させる。
その結果、失敗することもあるし、成功するときもある。
セルフ1を受け入れても、セルフ2自身にやらせても、成功も失敗もある。
必ず成功できるものではない。
ただ、成功も失敗も、自分への影響は少なくなる。
感情はセルフ1にコントロールされている。
成功したときの喜びも多い反面、失敗したときのダメージも大きい。
起きた出来事をいつまでも考え、それについて思いを巡らせ、落ち込み続ける心のダメージはとても大きい。
次に挑戦する意欲を奪い、同じ失敗を繰り返すかと心配し、絶対に失敗してはならないという緊張を生む。
それは、失敗した時だけでなく、次の行動にも影響を与えてしまう。
やっぱりセルフ1の影響はとても大きい。
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