人は自分が期待するほど見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない
こんちには。お昼になっちゃいましたね。
自分本位で動くくせに人の目を割と気にする西岡です。矛盾しているようで共存できる感情なんですよw
さて、タイトルは幻冬社見城さんとサイバーエージェント藤田さんの共著の本の丸パクリですが、その本についてではないです。人はどれだけ見てるのかって話です。
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期待してもがっかりするだけ
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今はSNSである程度のお互いの動向、近況を知れる時代。でもそんなに情報を追っているわけではない。仕事の上でも、あいつはどれくらいちゃんと仕事しているのか、と全員をずっと追っているわけではない。追ってる人や追ってない人が人それぞれあります。それは親密度だけではなく気になる動きをしているかなど様々な複合的な理由で人は人を追います。ある程度のハードルを超えていかないと目も止められない。というよりもそういう無意識の濾過をしないと、全ての情報を受け止めることのできる人なんていない。
だからこそ、特定の人に本当に伝えたいことはSNSのタイムラインだけではなく、個別に連絡しないと。「あれ?Facebookにアップしたんだけどな」なんて言う人いるけど、「そんなずっとあなたのこと追えるか!」が言われた人の本音です。仕事でもある程度はアピールが必要。豊臣秀吉が織田信長の草履を温めてたって逸話もギリギリ誰がやったかわかるようにやっていたと言われてます。まー僕はそういうの苦手ですけどねw
社交辞令でもよくある話。近々飲みに行こうね!とか、絶対お店行くね!とか、その本気度まで期待するのは野暮です。実行に移してくれたときに、喜べばよくて、それがなくてもがっかりしたりするほど期待してるとただ疲れるだけ。なので、僕の場合は無駄な社交辞令は言わないし、言ったら実行に移す努力をするようにはしています。社交辞令で終わってる案件があればごめんなさい。そんな気はないのですが、結果そうなってしまってます。逆に僕に対してそうな人も気にしないでください、きっとお互い様だと思いますw
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でも意外と見てくれている
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先日目を覚ますと1件LINEが届いていました。
今の僕の状況をSNSで見てくださっていた昔からの知り合い。というか昔のバイト先のお客さんから。
そこには、シンプルに「今のお前はこう見えてるぞ」という指摘のようなコメントとメリークリスマスの画像だった。
めちゃくちゃ嬉しかった。
自分に対してどこまで関心があるのかはわからないけど、僕が1mmでも前に進むため、もしくは後退を防ぐために言葉をくれた。近々、お会いしてお話ししたいなって思いました。意外と自分を見てくれてるんだなって感じることのできた嬉しい連絡でした。
こういう思いがけない人からの声掛け、上司に対しての「意外と見てくれて評価してくれてる」とか、「この人、社交辞令じゃなくてちゃんと飲みに行こうとしてくれた!」とか、そういうの嬉しいですよね。逆に、なるべくそういう風な「嬉しい」を生み出す側になれば喜んでもらえる存在になれる気がします。
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適度に気にして、適度に気にしない
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期待するほどは見てくれないけどがっかりするほどじゃない、となれば、言い換えれば、気にしすぎても自分を見失うだけだけど、気にしなさすぎると痛い目にあうと言えなくもない。
人の目線を期待したり、がっかりせずに、一番大事なのは主体性。でも悪評価や汚いとか、人間性を疑われるような誤解が生まれそうであればそこは気にします。誤解を生まない方法はないかとか、別の方法はないか、など気にすればいいのかな、と。
要は、見られると困るような行動はせずに、見られたいと願う行動も見られたらラッキーくらいに思えればいいと思うんですよね。
それに対しての賞賛や批判はサイレントの世界で行われていて、時に声をかけてくれる人はそのサイレントの代表だと思うんです。なのでそこで少し立ち止まって考えてみるくらいでちょうどいいのかもしれない。こうした方がいい!という正解がない分、きっとひとそれぞれに合うスタンスがあると思います。永遠のテーマ、といえる一つかもしれないですね。
#主体性 #ビジネス #評価 #他者の目
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