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7月30日


7月30日(日)
ねじさんとのツーマンを予定していた日だ。何もなければ、友達、彼女、先輩の前で歌い多少ちやほやされる予定だった日だ。こうなってしまってはそれどころではないのだが、申し訳ない気持ちだ。
昨夜は眠れず、今朝は憂鬱な気分で目覚めた。人生に価値を見出せない気分。朝日はやたらとキレイに差し込んでいた。掃除機をかけて点呼を待つ。呼吸を整える。2016年に出た長友のヨガ本を借りて読んでいたのでそれの真似をする。呼吸に意識を集中させる。難しい。
朝食を食べ本を読む。養老孟司の『バカの壁』分からない事が分かってない。俺の事だ。ここに来るまで自分が何をしているのか、自分で自分を見ると言う事が分かっていなかった。心の赴くままに生きるケダモノであったと自覚した。
11時くらいに刑事の取り調べがあった。
別件の捜査も加わった。同じ話を1からまたすることになり精神が悲鳴を上げていたが自分のした事である。責任を持って説明しなければならない。自分のした事から逃げることはできない。
それが終わって程なくして弁護士がやって来た。
相手との示談をするための条件の擦り合わせ。
もう高円寺から出ていく事や近づかない事は約束できたがいかんせん定職についていないのでお金関係は向こうの出方を見る事になった。いくらでも払うので相手の健康を優先にして下さい。と言ったがまるで説得力がない。情けない。
ここから出たらどんな活動をするのか尋ねられた。正直どうすればいいかわからない。
一つ確実に言える事は人に会いたい。という事だ。沢山の人に会って誰かの笑顔を作る事がしたい。もう悲しいのはやめる。一人ぼっちの人を助けたい。そうゆう歌も書きたい。
散漫にそのような事を言った。
誰にも見向きされなくても0から拾い集めた物を大切にして生きたい。
友達はいなくなるかもしれない。
どこまで公表すべきか気を揉んでしまう。でもとにかく弁護士が示談の相談をしてきたということは相手は少しでも話せるようになったのかと思いそれだけが救いだった。
お手上げだ。何もかも。
今考えても仕方がない事でも簡単に忘れる事はできない。何もできない。何もできない苦しみを知るにはここより手っ取り早い場所はないだろう。このまま相手が死んでしまったらと思ったら身を斬られるよりも辛かった。
そんな極端な想像すらできなかった自分が今ここにいる。もはや同じ事なのだ。ここにいるという時点で。

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