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留置所日記②続き


そうこうしているうちに正午の昼食の時間になった。
コッペパン2個と小指みたいなプロセスチーズ一つ、いちごジャム、マーガリン、白湯だった。
手錠をかけられたままなのでとても食べづらかった。ジャムを一滴床に落とした。
ムシャムシャと食べ終わってまた無言の無限のシンキングタイムが始まってとうとうケツが痛くなってきた頃、遠くの檻からゴニョゴニョとジジイの声が聞こえてきた。
文句を言ってる感じだな、と思った次の瞬間、『黙れと言ってるだろうがぁー!!』と刑務官の低く恐ろしい罵声が響き渡った。
そのジジイは手錠がキツいと喚いていたのだったが、ベンチから動けないのでその音だけ聞いていた。
ジジイは怒鳴られてからもしつこく反発し、ついにはカッとなって威嚇のアクションを取ったらしかった。
すると瞬く間に周りの刑務官が集まり、拘束され別室に連れて行かれたようだった。
『痛えよ!!痛えって!!、、、』と繰り返し喚く声は無数の刑務官の足音と共に徐々に遠ざかって行った。

何を今さら言ってもしょうがない事にしつこく反発しているんだ。と思ったが、
しつこく反発し騒ぎを起こしたのは自分も何も変わらないじゃないか。と思い出して、ジジイも自分も浅ましく惨めに思えた。
後から分かった事だがこのジジイは行きの護送車で同じだった奴らしかった。
なぜなら帰りの護送車に乗ってこなかったからだ。

その後すぐに訪れた静寂と行き場を失った負の感情が充満して停滞しきった頃、
『荻窪!17番!』という声がした。
心臓が速くなり不安が押し寄せた。
もろもろのチェックを済ませると、刑務官に腰を掴まれながら迷路のように幾つもの角を曲がり扉をくぐり抜けて辿り着いた部屋の中に入れられた。
くの字の長テーブルにそれぞれ検事と書記官らしき人物が座っていた。
それぞれの机には何台かのパソコンが開かれていた。

手錠が外されるとテーブルを挟んで検事の前に座らされた。
検事が分厚い紙の束をめくると、はじめに弁護士の専任についての説明があり、それから罪状が読まれると、事実かどうか確認された。
あれだけ警察署でここに至るまでの経緯や動機、また出会いから些細なやり取りの事まで細かく繰り返し話したにもかかわらず驚く程に簡素な罪状と目的のみが読み聞かせられた。
目的が違う。と指摘するとすぐに読み直し訂正されて、書記官はカタカタと素早くキーボードにその文言を打ち付けていた。
それから細かい質疑応答に移り変わった。
最初のうちは自分の動機を細かく伝えていたが、検事からは何度も『ようはこうゆう事でしょ?』と要約した回答を求められた。
何度も言われている内に自分の正体がその通りだと思えなくもないと考え出して、『その通りです。』と答えた。
怒りに目が眩み短絡的に取った行動は今まで相手に散々忠告していた俺の性格を再現したに過ぎない。と思っていたが、その奥にある心理に蓋をしていただけなのだ。と思った。
大切に思えば思うほど失うのが怖くて逃げ出したくなる。
相手は踏み込んだエリアで常に地雷の恐怖に晒されて苦しみ続けた。
本当は一緒にいたいのに、優しくしたいのに、頼りになりたかったのに、我が身可愛さに傷つけ安心を貪った。
検事の前ですら、その狂気に満ちた安心が欲しかっただけであった。
最後に厳しいままだった検事の表情が緩んだと思うと、『キツい事言ったけど、弁護士さん通してきっちり話しなよ。』
と言われ、泣いてしまった。

この恐ろしい現実は全て自分の弱さが引き起こした物だ。
相手のせいにしたい部分もあるにはある。
だが社会に生きている以上、ここに来た瞬間に全ての答えは出ていた。
俺は加害者で、相手は被害者だ。
そして淡々と醜い犯罪者を留めるゴミ箱で、立派な人たちの手を煩わせ、迷惑をかけ続けている。
下を向いて歩くこの一歩一歩に、光を差す蛍光灯一つ一つに使う電気でさえ。
どれだけ反省した気持ちになってもこの現実は変わらない。
ここに来ても受け止め切れず、いっそここがどこなのか丸っきり分からなくなりたかった。
時計の針は30分しか動いていなかった。

留置所で1番さんに
『地検は辛いぞ〜。帰るのが18時とか19時かもよ。』
と言われていたので憂鬱であったが、この日は日曜日ということもあって、16時前には護送車に乗る事が出来た。
帰りの護送車に乗せられる行為は逆送と呼ばれる。
逆に行きは順送と呼ばれていた。

帰りもロープで繋がれ電車ごっこで連れて行かれると、来た時に差していた夏の明るい日差しは西に傾いて赤みが増した橙色で街を染めていた。
当たり前の夏の東京。退屈そうな見た事のある街並み。
そこを自由に歩く事ができない自分という人間は結論この世に必要のない人間なのだ。とちゃんと理解した。

護送車が青梅街道に差し掛かり荻窪に近づいて行くと、被害者と同じ名前の焼き鳥屋の看板が目に入った。
数年が経って何もかも忘れて行きまた都合良く名前を使って傷心に浸る未来が見えたようで、何も成長せずに同じ事を繰り返すのを避ける為にもこの日とこの一連の出来事を人生最悪の日と名付けた。
これ以上の後悔は絶対にしない。
留置所など二度と来ない。地検も裁判所も無縁の人生を必ず生き抜いてやる。
そう誓った。
自分の中で結んだ決意を裏切り続ける人生だった。
それはありとあらゆる人間が優しく許し続けてくれた事への甘えの連鎖であった。
本当の痛みが今まさここに存在している。と思った。
普通はこうなる前に気づく物らしい。

この日の夜も上手く眠れず、最後に時計を確認した時は午前2時を指していた。
ずっと大便が出ない。



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