いつか自分の力になる

あっという間に日々は流れていて、2月も終わろうとしている。ついこの間まで、新しい年を迎えて、今年も頑張るぞー!なんて思っていたら、例年と大した変わらずにここまで来てしまった。今年はうるう年だから、例年より1日多いがそれも気持ちばかしのような気がする。命短し、なんとやら、だと思った。
 
それでも今年になってから続いていることが一つある。筋トレである。スクワットや腹筋などの簡単なものだが、続いていることに関して自分で自分を褒めてやりたい。始めたきっかけは、年々、自分自身が衰えているのではないか、という恐怖心のようなものから。歳を重ねていって、将来自分が歩けなくなったら、体力が衰えて行きたい所に行けなくなったら、などを考えると、やらないよりもやっておいた方が良いと考えてから、行動するまでは早かった。それでも続かないと意味がないから、簡単なものを続けている。
 
中学生の頃、クラブチームや部活動で野球をやっていた。野手として、守備よりは打撃を期待される選手であった。そして、冬場の練習は夏場よりも筋トレのメニューが多く入ってくる。正直、筋トレはやりたくない気持ちが強かったため、ズル休みすることも多々あった。それでも筋トレをやらなければ、他の人と差ができるであろうと考えた自分は、どのように打てば打球を遠くに飛ばすことができるのか、どのようにスイングしたら強い打球を打つことができるのかをよく考えていた。プロ野球選手の打ち方解説本なんかを買ってもらって、それを見ながら、良いところを抽出して、取り入れようと素振りをしたりしていた。
 
きっと今の自分が当時の自分に声をかけるなら、しっかり筋トレもしておけ、と声をかけるであろう。どう考えても若い時にやっておくことに越したことはないからだ。それでも当時はない頭を使って、どのようにするべきか、どのように身体を動かしたらよいのか、を考えていたこと自体は無駄ではなかったと思う。可能性は限りなく低いが、筋トレもしっかりして、頭を使って、野球を続けていれば、大谷翔平みたいになれていたかもしれない、いや、そこまでの情熱はなかったか・・・。
 
嫌なことややりたくないことからある意味、逃げるため、それでも生き残るために、どのようにすべきか、工夫することは大人になってからも重要なことだと思う。日々、迫りくるやりたくない仕事や嫌な感情にどうように対処すべきか、その対応の基本の〔き〕になっているのは、練習をさぼって考えていた過去の自分なのかもしれない。
 
考える、工夫することも大切。継続することも大切、どちらもいつか必ず自分の力になる。

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