炒飯と同じくシンプルに生きる

シンプル イズ ベスト
 
久しぶりにJRに乗って、遠出する機会があった。遠出した理由については割愛する。
突然ではあるけど、田舎の駅のホームってとても良いと思っている。なんだろう、エモいというやつかな?(もう言葉としては古いんだろうな)
これから新たな場所に向かう緊張感、もしくは自分の安心できる場所に帰れる安堵感、待ち時間や汽車がホームに着いた時、発車まで待っている間、どの瞬間を切り取っても物語になる、それが田舎の駅のホームだと思う。
 
タイトルと全然違う内容で盛り上がってしまっている。このまま、駅のホームについて調べて、話していっても良いが、せっかく考えたタイトルが可哀そうだから、タイトルの方に少しずつ寄っていきたいと思う。
遠出をして帰ってきたのが、ちょうど夕方。自宅に帰って晩ご飯を作ることがとても億劫だった。そこで駅の中に入っているお店で食べてから帰ることにした。夕方時だから、どこのお店も混んでいる。みんながよく知っているファストフードなんかは若者でいっぱい、海外からの観光客も多く、独り身には怖い場所になったもんだ。そんななか、唯一すぐに入れそうだったお店が中華料理屋だった。
 
中華料理と言われて何を思い浮かべるだろうか。麻婆豆腐や回鍋肉、餃子や小籠包、春巻、杏仁豆腐、おそらく言っていけばキリがないだろう。そして、これは個人的な悩みだが、読めない料理が多い。
お腹が空いていたため、炒飯と半ラーメンのセットを頼んだ。炒飯なんかはよく食べるせいか、あんまり中華料理という感覚がない。余談ではあるが、この日、お昼にも炒飯を食べていたことを料理が出てきた時に思い出した。
 
ネットでサラッと調べたら、炒飯は隋の時代の記録書に載っているらしい。日本には遣唐使で伝わってきたとのこと、そんな昔に伝わって、今でもしっかり残っているのだから、炒飯を作った人はさぞかし鼻が高いことだろう。シンプルでありながら、おいしい。それにお店によって、バリエーションがあったりする。可能性が無限大、正直羨ましい限りである。
 
さて、頼んだ炒飯と半ラーメンはなかなかボリュームがあり、見事にお腹いっぱいになりました。味に関しては、まあ、どちらもシンプルで良かったかなと。
 
炒飯と同じくシンプルさを。
忘れずに生きていこう。

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