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解題【ほぼ百字小説】11~20

ということで、続きです。


 この先も続けていきたいと思ってますので、おつきあいよろしくお願いします。

 この【ほぼ百字小説】、ツイッター上で始めるときに、「週にひとつかふたつツイートしていきます」、みたいなことを書いててまあ自分でもそのつもりだったんですが、実際にやり始めると一日ひとつかふたつツイートするようになります。こういうものが書きたくて、自分の中にこういうものが書きたい欲求が溜まってたんだろうと思います。

 で、この「解題」は、私なりのそういう「百字小説の書き方」みたいなものにもなればいいと思ってます。まあこれだけの数書いたんだから、書きたいと思ってる人の参考程度にはなるでしょうし、自分でも方法の再検討になるだろうから。

 ここに書くことで自分で気づいたこともけっこうあります。まあまだ自分でもうまく言語化できてないのでけっこう整理できていない文章になると思いますが、よろしくおつきあいください。

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【ほぼ百字小説】(11) 缶詰工場だ。缶詰を作る工場ではなく缶に詰められた工場。缶で送られ、目的地で缶から出されて稼働する。工員も缶詰になる。仕事がら自分で自分を詰めることはできるが、蓋だけは外の誰かにしてもらわねばならない。

 「缶詰になる」という言葉あたりからの連想かな。私は缶詰になったことはありませんが。圧縮して、運搬して、現地で解凍する。そういうので最初に連想するのは戦争における兵站で、つまりそういうものをイメージして書いてますから、まあ戦争SFでもありますね。缶詰工場を缶詰にして運んで、戦地で缶詰工場として取り出して、その缶詰工場を、という繰り返し。もちろん兵隊も同じように運びます。自分を詰める缶詰。そこまではストレートに連想して、そしてサゲがこれですね。普通に想像していって、あれ、そう言えばそこだけはできないか、となって、でも自分を缶詰にしていることだけでも異常なことなのに、そんなところを気にする、ということで、分類から言えば「へん」でしょうね。

 前回との続きで書いていくと、「どんでん返し」とか「謎解き」の発想で書こうとすると、缶詰工場を缶詰にして工員も缶詰にして、でもこうなってしまいました、とか、じつはこうでした、になるんですが、そこをずらしてちょっと違うところに着地するという方法。A→B→C、と来て次にどのアルファベットに行くか、と見せておいて、アとかイに行く、みたいなズラし方。ズラす、というか、外す、というか。でも、ただ変なことを書けばいいわけではなくて、そこにはある説得力とかそれらしさが必要で、それを補強するのが身体の感覚だと思います。

 自分の身体でイメージする。自分が自分を缶詰にするのはどんな感じだろうか、というのをできる限り正確にイメージしようとする。いや、まあそんな状況、無いんですけどね。でも自分がそれをやるとしたらどんなふうにやるか、というのをやってみると、あれ? 蓋はどうしよう? みたいなところが見えるはずです。まあ自分がそこをおもしろいと思うかどうか、ですけどね。まあこうして読み返して考えてみると、どうやら私はそんな感じでやってるみたいです。たぶん芝居とかやってるせいもあるだろうし、そういう部分をもっと強くしたくて芝居とかやっているのかもしれません。実際に立ってみてわかる、みたいなことを演劇ではよく言われます。台本を読んでるだけではわからないことが、身体でやってみて初めてわかることがけっこうあるんですね。具体的な登場退場の段取りから小道具の使い方みたいな具体的なことから、心理的なことまで。まあそんな感じ。

 ネタをこんなふうに説明してしまうのは野暮ですが、でもまあそういう方法の整理もこの解題の目的なので。頭で考えるだけでなくできるだけ肉体の感覚として捉える、という方法は、たぶん自分の中ではかなり大きいです。

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【ほぼ百字小説】(12) 妻がザリガニを拾ってくる。アスファルト道路の上を歩いてくるのが遠くから見えたのだという。なるほど赤い立派な鋏はよく目立つ。恩返ししてくれるかもね。いや、恩返しに行くところを邪魔しちゃったんじゃないか。

 ほぼ本当にあった話です。ザリガニを拾ってきたのは本当。道路を歩いているのが見えた、というのも本当。その絵面がおもしろいのでそのまま書きました。あと、生き物を助ける、となると恩返し。これも天丼、というわけでもないのですが、すこし後のほうでこれと対になる話が出てきます。

 それがこれ。

【ほぼ百字小説】(59) 妻がまたザリガニを拾ってきた。今回もやっぱり、アスファルト道路の上を歩いてくるのが遠くから見えたのだという。今度こそ恩返ししてくれるかもよ。何がどうなればそんな展開になるんだよ。だって今度はメスだし。

 このあたりで【ほぼ百字小説】というものを長く続けていこうと意識しはじめたようです。なんとなく続いていく日常の感覚、みたいなものを取り込めたらおもしろいんじゃないか、とか。連作の中に「反復される日常のスケッチ」みたいなものをカットで入れていく、みたいな方法ですね。ツイッターでほぼ毎日、日記のように書いてたから自然に出てきた発想だろうと思います。それがどう受け取られているのか、というのはよくわからないんですが、まあツイッターに勝手に書いてるだけなので、そういうのもおもしろいのでは、というだけでやってます。超短編という形式そのものはネットにはけっこうあるんですが、そういうことをやってるのはあんまり見かけないし。

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メモ

 まあそんなふうにして、一日ひとつふたつ書いて、ツイッターでつぶやいてるわけですが、ここらへんでどんなふうにやってるのかを具体的に書いてみます。

 書くのはだいたい外で、まあ私の場合は、この【ほぼ百字小説】に限らず、新しい文章は基本的に外です。コンピュータは持ち歩かないので、紙にボールペンで書いてます。家で、そのノートからPCに打ち込んでます。

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 【ほぼ百字小説】の場合は、このメモ帳というか小さいノートに書いてます。100円ショップに売ってるやつで、丈夫で使いやすいので、だいたいこれにしてます。

 このくらい書いたらまあだいたい百字か、というのはさすがにこれだけやるとわかります。

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