コミュニケーションについて難しく考えると何も言えないからシンプルにする。

様々なメディアにおいて国名の表示について、これまでの「ヴ」の表記を廃止するということになっているようで、それもまた味わいの無くなることを勝手に決定するものだと少々呆れているOffice ELANの篠原有利です。

言葉にはニュアンスがありまして、このままこうしたことが進んでいくと国名だけでなく地名など固有名詞にもそうした決め事が適用されかねなくなります。

既に一般的には「ベルサイユ宮殿」と表記されているようですが、「ヴェルサイユ宮殿」の方が的確に雰囲気をとらえていると思うのですが?

車の名前でも「ヴェルファイヤ」から「ベルファイヤ」になると少々華に欠ける気がしますね。
ほんの少しのことですが、言葉の表現については考えることが多くあると思います。

簡略化、わかりやすさを重視した語学教育を重視しているのに、現実は言葉は常に進化と増殖を遂げています。
日本語はとても語彙の多い言語です。
「雨」と表現するにしても、「時雨」「氷雨」・・・等々細かく種類が分けられています。

英語には『rain』しかありません。

それだけ語彙が豊富であるからこそ、俳句のように研ぎ澄まし、削ることに「美」を見出す芸術が生まれていると思います。
その分、海外の詩では、言葉の言い回し、形容の工夫で「美学」を創作していると思います。

最近、フランスの方とメールのやり取りをしていて(ありがとうGoogle先生!)その言葉の選び方、並べ方で伝えられる『想い』は変わってきます。

ちょっとした言い方の違い、語順の違いだけで本当に伝えたい気持ちとは随分とズレてきます(僕は言葉には敏感な性格なので、一度翻訳した言葉をもう一度翻訳しなおして、再度翻訳を重ねてニュアンスを近づけます)

そうした作業(時間)を費やすことが、本来のコミュニケーションであると感じています。

最近、いくつかの企業では「英語」を公用語としているところが増えてきました。
それはこれからのグローバル戦術として、ビジネスを合理化して「Yes」「NO」をはっきりと打ち出しクリアーな場面創りとする目的があるということなのですが、僕には「グローバル化」をはき違えているような気がしてなりません。

西洋に合わせることがグローバル化というのなら、戦後にするべきだったというのは言い過ぎでしょうが、日本という「文化」を持った国の在り方をきちんと翻訳していくこと、それこそが本当のグローバル化だと感じています。

それは国のことだけでなく、人と人のコミュニケーションでも同じことを感じています。

「この人はこの質問にこの答えを選んだからタイプA」
そうした「簡略化」と「合理化」をはき違えては、いつまでもコミュニケーションは成立しません。

ビジネスにおいて、もっとも世界共通言語となっているのは「数字」です。
しかし、ここで見直さなければならないのは「言語」です。

コミュニケーションでは「言語」が主流なはずですが、それすらも「数字」に置き換えようとしていることに危機感を感じます。

「この人はAタイプだから、コース1へ」
「この層は13時に集まるから対応はここ」

それは「合理化」ではなく、「手抜き」です。

伝えなくてはならないことを伝えるために、
大切なコミュニケーションの為に、

ここから先は

871字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?