何をしても誰かの気に障る。それを避けると誰でもない君になる。さぁ、どうする?

おはようございます。

月曜日、お目覚めいかがでしょうか?
今週もどうぞよろしくお願いします。


さて「良くも悪くも」と結構頻繁に使用する言葉です(当社比)が、下記の件に関しては特にそれを感じます。
「女性蔑視」とか「未成年を性の対象で」から「表現の自由」などの論争に関しては専門家にお任せして(僕が語ることではなさそうなので)今朝の「Penso-私はこう思う-」では、このニュースを切っ掛けとして演出家から視る向こう側について僕の視点で語ります(そういう趣旨のブログなので)
2017年くらいからOffice ELANでは未成年の撮影を完全にお断りさせていただいています。未成年どころか35歳以下は基本的にお断りさせていただいています。
もちろんこちらの表現の在り方についての問題でして、若い方には向いていない(理解が難しいのでは?)という判断でして(;^ω^)

それはPOLICYというよりも作品のカラーと言った方が良いのですが。
そうしたことも「良くも悪くも」です。


この「良くも悪くも」は多くの業界の問題になるのですが、やはりビジネスですから大きな売り上げを求めることになります。そのためには巨大な資本が必要になり、その資本を得るためには多くの企業が手を合わせる必要があります。なかなか一社で賄うことは難しいです。そう思うと『エヴァンゲリオン』はとてもレアケースです(あの作品はスタジオ・カラーの一社製作なので)
殆どの作品が「制作委員会」というスタイルで制作します。
複数の企業が出資をして作品の利益もリスクを分配するというやり方です。
その為に作品の決定権も(メインのプロデューサーはいるものの)すぐにというわけにはいきません。
それと、もっと大変なのはメジャーで多くの売り上げを必要としていますのでとても広い範囲に気に入ってもらえなくてはいけません。大勢です。
ファンはもちろんですが「知っているよ」というクラスの方々にまで作品を届ける必要があります。ですので嫌われる要素があってはいけないのです。


まんべんなく好かれなくてはならない。
その為には「好かれる要素」を惜しみなく注入して「嫌われる要素」を撤廃しなくてはなりません。
しかし、人の本当に「長所」としている部分というものは好まない人にとっては「嫌いな要素」になります。

長い髪が特徴な人は、短い髪が嫌いな人にとっては最悪な存在です。


日本映画の大きな特徴の一つですが「広告代理店映画」になることがとても多いです。
つまりCMのように「これを人は好む」を作品の中に無理に詰め込んで作品が破綻することです。人気のある原作小説を今が旬の人気俳優を掛け合わせて出演させることで原作を改変し、様々な(不要な)要素を詰め込む。たとえば恋愛をさせ作品の緊張感を台無しにしたり、テレビで人気の芸人をゲストで出してワイドショーに取り上げてもらうものの作品からそのシーンは浮きまくる、意味不明な海外ロケをして女優がタイアップ企業の服を着こなしてCMのように観光地を散歩するだけの意味のないシーンが長いなど・・・。


大売出しをするアイドルにもそうした事情はあります。企業のイメージがありますから尖ったことは絶対に出来ません。圧倒的多数から愛されなくてはなりません。そのために一つのグループに多種多様なタイプを取り揃え(それでもグループカラー、トーン&マナーは遵守して)て多くの人々から人気を得られるようにしなくてはなりません。
しかし、そこに問題が生じます。
大多数から愛されるということは「周知の八方美人」にならなくてはなりません。
それは言い換えると「個性の消失」にも繋がります。
「嫌われる要素」を撤廃することは、どこか尖ったものを無くすということ。同時に武器を無くしていくことにも繋がります。
テレビ番組がコンプライアンスと視聴者の声を取り込み過ぎて「面白くなくなった」と言われています(視聴者の言うことを聞いた結果なのですが)それはそのままタレントにも言えることです。多数の言うなりになることで、個性を失う。以前は人気タレントといえば時代のファッションリーダーであったものです。しかしそれらが「企業のマネキンに過ぎない」ことを多くのタレントが不祥事後のバッシングされることで証明しました。
いま、インフルエンサーと呼ばれる人々はどこか独自のスタイル、自身の個性を強調することで強い基盤を築くようにしています。

これからの在り方を象徴していることなのかもしれませんね。


自分が「長所」だと思っている部分は誰かからは好かれ、誰かからは嫌われる。その間を狙って中途半端な自分になるのも一つの選択肢です。
もしくは「短所」と思っている部分も誰かから視れば「絶賛ポイント」になるわけですから、それを卑屈にならずに受け止めていくか。


創作者たちも、いまはネットを使うことで自分なりの流通を創ることが可能です。
また製作もより安価で自由度の高いものが創れるような時代です。
マイナーであること、メジャーであることのメリッとやデメリットを考えた時に自身のスタイルを表現できるのはどんなものなのか?


より「自分」を大切にしていい時代になったのかもしれませんね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9e03aef566c6a92b1a9ab5a6b427f2843ca3ec43


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