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ただ、傘を捨てるだけの話ー逝ってしまった恋人を想うときー

おかえりなさい。

どうですか、すごい量でしょ?
いらないと思ったものを思い切って断捨離しようと思いまして出したのですが、

・・・・こんなにあったんだ。

これだけの分量がクローゼットに収まっていたんですからある意味で僕は収納上手ですよね。
書籍だけで床が抜けそうです。

洋服も、何年も着ていないのですから。
これなんて体型も変わっています。なんで持っていたんだろ?

あ、はい。その傘です。
この前、言っていた。
良い傘でしょ?センスいいんです。もっと褒めても良いですよ。褒められて伸びるタイプですから。

はい、この機会ですからこれも。

まだ持っていたことが驚きです。よく考えたら平成の最初の頃ですよ。
30年近く過ぎてます。
僕はその間に二度も結婚しましたし、職業も数えきれないほど変わりました。
会っている人も全然違います。

もう当時の僕を知っている人は、連絡先も知りません。

夏の風が心地よくて、今ならいいころかなって。
風は記憶を呼び起こします。良くも悪くも。さまざまな思い出を思い起こさせます。
だから秋になる前に、と思いました。
夏は、まだ大丈夫だから。

どの季節にも、正直言って想い出はあります。
僕にとって、初めて長く付き合った人でしたから。
春に出逢って、夏に仲良くなって、秋に付き合い始め、冬に深まりました。
良い想い出ばかりです。

だから、当時はその「良い想い出」のすべてが、風が季節の移ろいを教えてくれるたびに僕の気持ちを深く刺してきました。
特に、秋は・・・ね。

この話をするのは初めてでしたっけ?

そうですね、今夜の夕飯は炊き込みご飯です。それが炊けるまで少し昔話をしますね。

彼女とは僕が高校3年生の時に出逢いました。
もうひとめぼれです。
僕の思い描く好みのタイプそのままの人が、僕が部長を務めていた演劇部の部室にあらわれたのですから。入部希望として。

仲良くなるのに時間は掛かりません。彼女は彼女で、部活の説明に立った僕のことを気に入ってくれて演劇部を希望してくれたのですから。
ここからしばらくはイチャイチャの話ですから略しますが(笑)いや、ケンカも多かったですよ。今なら受け入れられたでしょうけど、エキセントリックな彼女の言動には振り回されることが多かったです。
彼女の自由すぎる行動に、当時の僕はついていくのが大変でした。
それでも、うん・・・それでも好きでした。
どんなに呆れても、どんなに「もういい」と怒っても、彼女がイタズラした子供のような顔で笑いながら謝ったら許しましたもん。

それに、美しかった。

見た目もそうですし、自由に羽ばたき続ける彼女は誰の目にも輝いて見えた。
モテてましたよ。
周り全てがライバルでしたので、気が気じゃなかっです。

それでも、彼女は僕を選んでくれた。
優越感、ですよね。もちろんありました。
でも、純粋に彼女と過ごすのが楽しかった。

クリスマスの日に一緒に過ごそうと約束をしました。
待ち合わせ場所のバス停に、僕は少し早めに来ていました。
彼女は約束の時間になっても来ません。

遅刻は初めてではないし、そんな自由な人だったから、僕はずっと待っていました。
時間は過ぎて、ずっと過ぎて。
クリスマスですからとても寒いんですよ。
それに昭和の最後の年です。
今みたいにLINEでやりとりするという時代ではありません。
ずっと彼女を想って、ずっと待っていました。
バスが到着するたびに、胸を高鳴らせて、乗っていない事を知って落ち込んで。
ゆっくりと走り去るバスを見ている僕の心はジェットコースターのように激しかったですがね。

もう夜も更けて、バスの本数も減っていったときに、彼女は来ました。
編みたてのマフラーを持って。どうしても今日完成させて持ってきたかったと。

赦しますよ。
来てくれたことが嬉しいですもん。

それから、僕は学校を卒業して別の土地に。
いま思うと、それほどの距離ではありませんが当時の若かったころの2人にとっては遠距離です。仕事になれるのが大変で会えない時間ばかりが増えていきました。

電話はマメにしていたのですが、電話の無い暮らしでしたので公衆電話からたくさんの小銭を持っての電話は今のようにはいきません。

逢えない事の寂しさ、不安、さまざまな感情は言葉に思ってもいない刺を付けてしまう事があります。つい険悪な雰囲気になったまま電話を切ってしまう事もありました。
頻繁にやり取りしていた手紙の間隔も、次第に広くなっていきます。

そんなある日、傘を失くしたことを書いていたのを思い出して、とても天気のいい日に僕はあの傘を買いました。
そのことを彼女に伝えようと電話をしましたが、彼女は電話に出なくなりました。
手紙を書きましたが、返事はありません。

逢いたい。
あって、この傘を渡せばまたいつものような仲直りができる。そう思っていました。
そうして、ずっと想いだけが募っていく日々が続きました。

成人式に出るので、帰郷する予定でしたので会いに行けると思っていました。

そんなある日、部活の後輩の女の子から連絡がありました。
彼女が亡くなったことを知らせてくれました。

彼女は、寂しかった・・・そうですよね、寂しいですよ。別の男性と付き合い始めて、ドライブに行き、そこで事故に。

この辺から、すこし記憶が飛んでいる部分があります。

ただ、覚えているのは、あの秋の日の風がとても冷たかったこと。

意識を手放したいと思っていました。
少しでも考えると、彼女の事を想ってしまう。
だから考える隙間がなくなるように過食に走り、浴びるように酒を飲み。
そんなですから職場にもいられなくなって退職し、彼女の死を教えてくれた後輩の女の子と結婚し、それでも夢の中で彼女のことを考えていて、すべてが夢、やがて覚めると再会ヲ果たして許し合えるのだという夢を見て、寝言で彼女の名を呼び妻を怒らせ。

散々でしたね。ほんと、散々でした。
バーテンをやりながら、映画の現場で働き始めて、離婚して。
そうしているうちに、時間の流れで落ち着くようになってきました。

変ったこともありますし、変わらなかったこともあります。
犬好きだったのに、今では猫を飼っている。
お酒は苦手になっている。
珈琲は欠かせないものになっている。

変らないのは、ジャズが好きなこと。
本をよく読むこと。
後は・・・そうですね、彼女に対しての気持ちですか。
それは、正直変わらないと思います。
もちろん不毛だし、過去のことです。今では他にも愛する人たちと出逢えて、考えても仕方ない事ですけど、それでも忘れてしまうのは違うと思って。
そう想えるというのは、ずっと変わらない。いえ、取り戻したと言っても良いかもしれません。

あ・・・ご飯が炊けましたね。
夕飯にしましょう。

まぁ・・・これが
「ただ、傘を一本捨てる」という話です。


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