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浜崎さんの『人生、悲喜交々⑤』@ Under the Rose

 
 
 
 歓送迎会なども落ち着いた時期のせいか、少々客足が寂しい週末の夜──。

 グラスを磨いている私の耳に、扉が軋む音とベルの音。顔を上げると久しぶりの笑顔。

「ご無沙汰してます、浜崎さん」

「これは片桐さん。いらっしゃいませ」

 思わず顔が弛みます。

『今日はお一人ですか?』

 ……そう言いかけた時、片桐さんの後ろに誰かいることに気づきました。藤堂さん……ではないようです。

「入れよ」

 片桐さんが促すと、これまた頭の切れそうな男性のお連れ様。背は片桐さんより低いですが、スラッとスマートで、細いフレームの眼鏡がお似合いです。

 何より、その眼鏡の奥に見えるやや切れ長の目が、本当の洞察力を持っているであろうことを物語っていました。

「浜崎さん。おれの同期で、次期社長筆頭秘書の大橋です」

 何と、片桐さんと同期の方とは! 後輩や部下の方以外をお連れくださるのは初めてのことで、何故か私の方が興奮します。

「はじめまして、大橋です。お噂は片桐よりかねがね……」

 見かけと性格をそのまま表したような、折り目正しい角度の敬礼。何と言うか、片桐さんとは正反対のイメージ……いえ、片桐さんが折り目正しくない、と言う意味ではございませんよ。

「それはそれは……ようこそ、大橋さま。浜崎と申します。どうぞご贔屓に」

 片桐さんに促され、ふたりは並んでカウンター席に腰かけました。藤堂さんとはまた違った意味で、出来る男の空気がムンムンして来ます。いかにも、仕事仲間の男たち、と言う感じの雰囲気。

「今、オヤジさんのとこにも寄らせてもらったんですよ。酒は……浜崎さんの今日のお勧めは何ですか?」

「そうでございますね……本日、届いたばかりのダークラムがございますが……」

「へぇ~。じゃあ、おれはそれをストレートで……大橋、きみ、どうする?」

 少し考え、私の後ろに陳列する瓶を眺めた大橋さん。

「……あれ……アルマニャックですか?ちょっと飲んでみたいな」

「かしこまりました」

 最初の一杯だけでも、と追随しないところが、やはり部下であった藤堂さんとの違いなのか。それとも性格によるものなのか。面白いものですねぇ(しみじみ)。

 さて、グラスをお出ししても、やはりいつもの片桐さんとは少し様子が違いました。藤堂さんをからかったり、今井さんにやり込められている時のような雰囲気はなく……あ、失礼。お二人は静かに語らいながら召し上がっておられます。

「……今回は、色々迷惑かけたな」

 ──と、グラスに目を落としたまま、片桐さんがひとり言のように言いました。ひどく真面目な表情で。

「……あ?」

 グラスを口に付けた大橋さんが、横目で片桐さんの横顔を見つめると、片桐さんの口元が、少し照れたように、ほんの僅かに持ち上がりました。

「……余計な仕事、相当、させただろ?」

 大橋さんは、片桐さんが言っている意味が一瞬飲み込めない様子でしたが、すぐに小さく笑って頷きました。そして、それは片桐さんが言ったことを肯定した、と言うより、言っている意味がわかった、と言う風に。

「……お決めになるのは社長と専務で、お二人から指示が出れば、それは余計でも何でもない、当たり前におれの仕事だ」

 さらりとひと言。いや、カッコいいですねぇ。(惚れ惚れ)

「……社長と専務の決断が増えれば、必然的にきみの仕事が増える……そうだろ? 今回のことで、おれは社長たちにはキツい決断をいくつも迫ったんだ。それは、きみにも負担がかかる、ってことだからな」

 その言葉に、大橋さんはテーブルに置いたグラスを両手で握ったまま、視線だけを宙に向けました。やや考えて、その視線を手元のグラス──正確には酒の表面でしょうか──に戻し、少し苦味を加えたような笑みを浮かべました。

「……おれにも責任があるからな……」

 一瞬、瞬きをとめた片桐さんが、ゆっくりと大橋さんの方を向きました。どこか躊躇っているような、間を取っているような、大橋さんの横顔をじっと見つめています。

「おれは、やるべきことを怠った。だから、当然のこととして受け止めている」

 大橋さんの顔をそのまま見つめて、数秒の間。

「……どう言うことだ?」

 大橋さんは、やはり躊躇っているのか、さもなければ言葉を探しているのか、持ったグラスの氷をカランと鳴らしました。

「……5年前、社長と専務がきみの必死の進言を却下した時、おれは二人を説得する役目を怠った……」

 片桐さんが、さらに不思議そうな顔になります。

「……おれは、個人的には片桐の意見に賛成していた。そこまで言うからには、放置しない方がいい何かがある、なんて思った訳じゃない。単純に、不安の芽は摘んでおいた方がいいと思ったからだ。その上で、あれほど強硬に出るからには、尚更その方がいいと……なのに……」

 一度、言葉を切った大橋さんは、グラスを持った手を額に当てて続けました。

「……結果的には、何故、社長が反対するのかもわからないまま、押し切れなかった……いや、やはり怠ったんだ……」

「……大橋……」

 片桐さんが、身体を大橋さんの方に向けました。少し乗り出すように。

「……そのせいで大変な目に遭ったのは、むしろ片桐の方だ……」

「……大橋、それは違う。あの時は……」

「……きみが退職する、とまで言ったのに、だ。……まあ、何を言っても今さら、だけどな……」

 やはり同期ともなると、藤堂さんとの話とは様相が違いますねぇ。私は何を聞いても『耳なし』であらねばならない立場ですが、あっちの情報、こっちの情報、聞けば聞くほど大変そうです。

 それでも、大橋さんのその言葉が、片桐さんのなかでも『その問題(私には何のことかわかりませんが)』に関する話題をキッパリ終わらせるもの、となったようでした。何故なら、視線をグラスに戻し、しばらく見つめた片桐さんもそれっきり、その話を打ち切ったからです。

 無言の静かな時が流れます。私はひたすらグラスを磨くフリを続けています。──と。

「……ところで、片桐……」

 おもむろに大橋さんが切り出しました。

「……うん……?」

「……今井さんとは何がキッカケだったんだ?」

「ゴフッ!」

 絶妙な間、絶妙なタイミング、絶妙な話題……片桐さんが激しく噎せました。私は激しくほくそ笑みそうになる顔を堪え、咄嗟に棚の方を向いて隠しました。

「ゴフッ! ゴフッ!」

 よほど油断していたのか、まだ噎せてる片桐さん。

(大橋さん、ナイスです!)

 大橋さんはシレッとした顔、片桐さんは苦虫を潰した顔、私は……いえ、私のことはどうでもいいのでした。(ニヤニヤとまらない)

「……何、そんなに噎せてるんだ?」

 真顔でシレッと片桐さんに言える、大橋さんのすごさ……。

「……さっきの話題から、いきなりそれ訊かれたら驚くだろ……」

 睨む片桐さんに、大橋さんは僅かに口元を弛めました。

「この展開で飲みに誘われたら、訊かれることくらい覚悟してただろ? ……って言うか、それを話したくておれを誘ったんじゃないのか?」

「そんな訳ないだろう!」

 微かに口角を上げる程度で言う大橋さんに、ムキになる片桐さん。社内での力関係を垣間見たような見ないような……。あ、や、仕事に関しては片桐さんも絶対的なんだとは思いますけどね?(一応フォローなのですが、誰に対してのフォローなのかは不明)

「……何だ……おれはまたてっきり……」

「……てっきり、何だよ!」

「あの今井さんを手に入れた武勇伝でも聞いて欲しいのかと……」

「何が武勇伝なんだよ!」

 ……もはや、おとなと子どもの如く。

「……だって、あの今井さんだぞ?」

「……あ……?」

 意味深な大橋さんの言葉に、ポカンとした片桐さん。その様子に、大橋さんが一瞬だけ驚いた顔をし、すぐにニヤリと笑いました。

「……何だ……知らなかったのか……」

「……何をだよ?」

 ニヤニヤする大橋さんの様子に、私はピンと来ました。と、同時に思ったのは、「これはまずい展開かも……」と言うこと。つまり、片桐さんの一番嫌いな展開。

(大橋さんは、恐らく今井さんの過去の何かをご存知なのに違いない……)

 知らねば気になり、知れば気にする──しかも、片桐さんの性格だと、知ってしまったらヤキモチ焼いて手に負えない展開かも……。

「おい、何の話だよ?」

 食い付く片桐さんに、ダンマリの大橋さん。

(……南無三……)

 私は心の中で唱えました。『修羅場』──と言う言葉が脳裏を過って行きます。背を向けて、ひたすらグラスを磨いている(ふり)しかありません。

「……いや、いいんだ」

 ものすごく絶妙に片桐さんを刺激する、大橋さんのそのひと言!今井さんよりうわ手です、完全に。(脱帽)

「何がいいんだよ! はっきり言え!」

 片桐さん、更にヒートアップ。大橋さんは、果たしてこの状態の片桐さんを、どう収拾つけるおつもりなのか……。(興味津々)

 いやいや、まさか、このまま放置と言うことはありますまい、大橋さんのような方に限って。(切望)──と。

「……浜崎さん」

(ギクッ!)

 いきり立つ片桐さんをほったらかした大橋さんに、急に呼ばれた私は硬直。心臓が飛び上がった後、肝試しより、恋に落ちたより激しくドッキドキ。(……誰か救心くださいませ)

 いやいや、ホントに、この事態、私にふられたらどうしましょう……。(白目)

「……はい……何でございましょう?」

 動揺を抑え、スマイルで振り返った私。(内心、滝汗)

「彼にウォッカマティーニを……私にはギブソンを戴けますか」

「………………!」

 そのオーダーと大橋さんの表情で、私には恐らく意図が読めたと思います。これは、他の方であれば『気障』と取られてしまったかも知れませんが、大橋さんだと何ともスマートに感じますねぇ。(しみじみ)

「かしこまりました」

 面白くなさそうな片桐さんを脇に置きまして。私もお酒に関する時だけは、雑念も脇に置いておきます、はい。

「……どうぞ」

 それぞれの前に、オーダー通りのカクテルを差し出すと、大橋さんが私に軽く会釈されました。きっと、私が大橋さんの意図に気づいたことに、気づかれたのでしょう。

「……社長と専務、そしてきみの『選択』と『決意』に……」

 そう言って、カクテルグラスを片桐さんに向かって掲げました。

「……何……?」

 訳がわからない、と言う顔の片桐さん。……では少々、お手伝い致しましょうか。

「片桐さん。このカクテル……ウォッカマティーニのカクテル言葉は『選択』、ギブソンは『決意』『決心』なんですよ」

「………………!」

 驚いた風な片桐さんでしたが、さすが、すぐに大橋さんの気持ちには気づかれたようです。微妙な表情でグラスを掲げた片桐さんに、大橋さんは面白いものでも見るような目を向け、微笑を浮かべました。

「……ったく……気障だな……」

 そんな大橋さんに、子どもの負け惜しみ……あ、失礼……照れた片桐さんのひと言。けれど、その後すぐに、ほんのりと嬉しそうな顔へと変化。

(……片桐さんのこう言うところが、憎めないところなんでしょうねぇ……仲間、っていいですねぇ)

 しかし、じんわりと感動している私の耳に、大橋さんから──。

「……まあ、とにかく、今井さんを怒らせないようにな」

 ──爆弾発言が!!

「……どう言う意味だよ?」

 明らかに警戒している片桐さん。

「彼女は……すごいぞ……」

 意味深な言い方の大橋さん。

「それくらい知ってる」

 言われるまでもない、と言う風な片桐さんに、大橋さんが更なる意味深な笑い。

「アジア部の人間以外、他部署の人間は誰も知らないと思うがな……部長にあそこまで一目置かせたのは、何も普段のあの様子と業務手腕だけじゃないんだぞ?」

 うわぁぁぁぁぁ☆

 またまた、大橋さんの刺激的なお言葉!蒸し返すおつもりですか、ようやく沈静化した片桐さんを!!(でも、ちょっと楽しみ)

 何より、今井さんの「すごい」ところに興味津々ですよ、私は。何しろ、大橋さんが仰るくらい「すごい」んですからね、ええ。(耳がダンボ)

「………………」

 何か言いかけた片桐さんが、言葉を収めた様子を見せました。少し考え、視線をグラスに戻します。

「……いや、やめとく。聞かない方がいい気がして来た」

 片桐さんの言葉に、むしろ驚いたのは私の方でした。

(えぇぇぇぇぇ!? そこでやめちゃうんですかっ!珍しい!)

 私は顔を隠すべく、再びクルリと背を向けましたが、内心「聞きたかったのに……」と残念な気持ちでいっぱいです。……仕方ないことですが。

「その方が賢明かもな」

 大橋さんはまたも意味深に笑いました。それで、その話は終わってしまったようです。(残念……)

 しかし、何となく怖い、と言う片桐さんの気持ちもわかるような気が致します。何しろ、相手は『あの』今井さんですから。知らない方がいいことも、この世の中には確かに存在するのです。(自分に言い聞かせてる)

 この後、ふたりは今後の話で散々飲んでいらっしゃいましたが、しっかりとした足取りで帰って行かれました。

 残念極まりない夜ではありましたが、大橋さんが言いかけたこの時の秘密、何と私は数年後、それとは知らずに知ってしまうことになるのでした……。(白目再び)

 今宵はここまでに致しとうございます。
 
 
 
 
 
 
 
 

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