魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part12~
出発の準備が整うまでの間、クライヴと倭は出来得る限りの情報共有に専念した。
「……ところで巫女殿……」
「倭(やまと)で結構にございます、伯爵」
「……では、私のことも、伯爵、ではなくクライヴと……」
ある意味に於いて、二人は波長やテンションが合っているようで、この会話も双方は真顔でやり取りしているのだが、後ろで聞いているヒューズだけが笑いを堪えていたりする。
(……このお二人、何かすごく噛み合いがいい気がする。だって、こんなカーマイン様、初めて見たもんなぁ……)
普段のクライヴを知らない人間なら、この程度で、と疑うのだろうが、ヒューズはもはや瞬間的に感じていた。彼には多少砕けた様子を見せるクライヴではあるが、外部の人間には完全に『ゴドー伯爵』としての顔しか見せない。そもそも、マーガレットへの態度は、その最たるもの、と言って良かった。社交的な優しさだけを具現化したもの、として。
(……何て言うか……しっくり来るお二人だよなぁ……)
ヒューズは心なしか嬉しくなってさえいた。
そして、彼のその勘は的外れとは言えない。むろん、代えがたい力を持つ至上の巫女──クライヴが抱く彼女への敬意の念が関与していることは間違いなくとも。何より、同じような境遇であることも相俟って、二人が互いを理解して行くことを阻むものは何ひとつなかった。
ただし現段階では、それはあくまでも互いが特殊な力を持ち、似た境遇を理解し合える、と言う一点に於いての話である。
「……訊こうと思っていたのだが……先だって、そなたが言っていた“使い”とは、一体……? それに、既に知らせて返事も来た、とも申していたであろう? あれは、どのように連絡を取っていたのだ?」
クライヴの質問にヒューズは聞き耳を立てた。そこは彼も気になっていたところなのである。
倭は考えあぐねた。どのように説明したものか、と。
「……どのように申し上げたら良いのか……伯爵……いえ、クライヴ殿のお国で言うところの“使い魔”……もしくは“使役霊”とでも言えば良いのか……」
該当するものがない場合、説明は困難を極めるものだが、『使い魔』と『使役』と言う言葉を聞いたクライヴは、概ね理解するに至った。
「……それは、もしや、私が遠方の様子を探る時に使うものと同じような……?」
「……恐らくは……。私が使うのは“式神”と、身を護るための“護法”と呼ばれます。そして、水鏡(みずかがみ)などを用いて直接話すことも可能です……特定の条件さえ揃えば、ですが……」
確信を得たクライヴが、興味深げに頷く。
「……“式神”と“護法”の違いは?」
「搔い摘んで言えば、“式神”は人の心から生じる悪と善を見定める役を務めるもの、“護法”は文字通り護りです」
「双方併せてひと組、と言うことなのか?」
「いいえ。本来は使い手自身が別です。そもそも、使い手が所属する……組織とでも言うのか……それ自体が別なのです」
「……別……」
「そうです」
そこでクライヴの言葉は途切れた。顔には疑問が浮かんでおり、納得した訳ではないことを物語っている。
「……ならば、何故(なにゆえ)、そなたはどちらも使えるのだ? 本来、そなたが使うのはどちらなのだ?」
その質問は、クライヴにとっては純粋に興味と疑問からのものであったが、倭の睫毛は翳りを帯びた。
「……訊かぬ方が良いことか……?」
察したクライヴの言葉に、やや考えた倭が頭(かぶり)を振る。
「……いえ……いずれはお話せねばならぬこと故……」
神妙な声音に、クライヴは小さく頷いた。
「……私の持つ力は、貴方様のお血筋のように、必ずしも親から子へと、代々受け継がれて行くとは限りませぬ」
倭の言葉に、クライヴの片眉が微妙に持ち上がる。
「……正確には、代々受け継がれている訳ではないがな……受け継げる器を持つ者が、たまたま己の血を引く子しかおらなかった、と言うだけの……」
ひとり言のように言い、クライヴは口元に皮肉げな笑みを浮かべた。だが、そんな己を深い眼差しで見つめる倭に気づき、苦笑する。
「……すまぬ……話の腰を折ってしまった」
睫毛を伏せた倭が小さく首を振った。クライヴの言わんとする意味は、彼女には理解出来る。初めて逢った日に彼が言い放った、『自分を終わらせたい』と言う言葉と相俟って。
「……何故か、と言えば……私たちは立場上、基本的に、生涯、子を持ちませぬ。もちろん、例外がなかった訳ではありませぬが……。……故に……これはあくまで想像でしかありませぬが、摂理、がそうさせたのでありましょう」
「では、“例外”以外の場合、どうやって次代の者が生まれるのだ?」
「……発生すると言えば良いのか……文字通り、生まれるのです。この世のどこかに……」
クライヴが首を傾げた。
「例えば、私がいなくなったとします。すると、どこかに生まれるのです……この力を持つ者が。そして、その者を後継者として迎えるのです」
「……理屈はわかったが、その者に拒否された場合はどうする?」
「想定されておりませぬ。今までのところ、そう言った事例はなく……正確には、拒否が許されなかったのやも知れませぬが……」
「……業の深い話だな」
己の境遇に当て嵌めでもしたのか、顎に指を当てて聞いていたクライヴが、ふと思い立ったように、再度、首を傾げる。
「では、そなたは?」
倭の視線が一点に定まった。その様子を見たクライヴは、これがこの話の核心なのだ、と理解した。
「……私は、“継ぐ者”としては初の、そして、恐らくは最後になるであろう“三代目”です」
「……どう言うことだ?」
「私の母も、そしてその母……つまり、私の祖母も、巫女でございました」
「……ほう……?」
であれば、クライヴが幼い頃に父から伝え聞いた巫女は、恐らく倭の母の代であった、と推測出来る。
「私の祖父は、当時、最強の力を持つと言われていた僧侶でした。そして、祖母は歴代最高と目され、秘花(ひか)と呼ばれた最高位の巫女でした」
祖父母が僧侶と巫女であったと聞き、クライヴが眉をしかめた。東洋の伝説を知っていたクライヴであれば、そこにきな臭い何かを感じたとしても不思議ではない。
「……何の因果か、出逢うはずのない二人が出逢ってしまいました。それだけならまだしも、何を思ったのか、柵も、掟も、強硬な反対も薙ぎ払い、禁断の一線を踏み越えてまで……何故、そこまで……何が二人をそこまで……それは、今となっては誰にもわかりませぬ」
変わらぬ体勢で聞き入っていたクライヴが、思い耽るように目線を下げ、そして再び上げた。そして、結論を自ら問う。
「……では、その二人の娘御が、そなたの母御、と言うことなのだな……?」
返事には不思議なほどの間があった。
「…………?」
迷いと言うよりは、限りなく感じるのは憚る空気。訝しむクライヴに、倭はようやっと顔を上げた。
「……二人の間に産まれた双子の姉弟が、私の父と母です」
「…………!」
さすがにクライヴも言葉が出て来なかった。予想外の驚きと困惑、そして、ある種の納得──。
「……私は、二重の禁忌の末に生を受けたのです」
とは言え、クライヴが怯んだのは一瞬であった。
「……それを聞いて、全て納得が往った。そなたの力も、そして……」
倭が持つ驚異的な力、それだけでなく、純血の血が生み出す狂気的な美しさへの──それを口にすることはクライヴにも憚られたが。
「……なるほど……それで、三代目、と言う訳か……」
二人の間に沈黙が流れた。それを破るように、クライヴがつぶやく。
「……我々とは違い、そうして“倭”の名をも継いで往く……確か、父はそう言うておったな」
「……倭、と言う名とは限りません」
不意に不思議な答えが返って来た。
「……どう言うことだ?」
「私たち三代は“倭”の名を継ぎましたが、もうひとつの名“氷高(ひだか)”を継いだ者もおります。“倭”も“氷高”も、この国の刀自として相応しい名……どちらを継ぐのかは、本人の相(そう)と言うのか……属性、とでも言うのか……」
「……その名は初耳だな。私が伝承的に聞いていたのは“倭”の名、のみであったが……」
「そうであろうと存じます。“倭”の名の方が伝承的に残っておりますし、何より、“氷高”を継いだ者の記録はさほど残らないので……」
「それは何故(なにゆえ)だ?」
「わかりませぬ。敢えて残さぬのか、残すものがないのか……」
伝承として受け継いで来ただけであって、確かめるために現地にまで赴いたゴドー家当主など、これまでクライヴ以外には存在しない。あくまで、その時々で知り得たことが記録されていただけなのである。
「……ふむ。先ほど、親から子に受け継ぐとは限らぬ、と申していたが……子を持たぬ場合が多いから、と。だが、そなたは三代続けて受け継いでいる。……と言うことは、やはり血筋の方が優先される、とも言えるのではないのか……?」
「それは、その通りやも知れませぬ。歴代、子を持った場合は、ほぼ間違いなくその子が次代の巫女となっていたようなので……。貴方様が仰ったように、受け継ぐ器を兼ね備えていることが多いから、なのでしょう。ですから、逆に言えば、受け継がせない選択も可能やも知れませぬ」
「…………」
「……ただ、本来、持ってはならぬ子を持つ、と言う禁忌を犯したが故に、その選択肢を許されなかったのでしょう。……例え、子を柵から解き放ちたいと……思っていたとしても……」
同じだ、とクライヴは心の中で考えていた。やはり、倭とは心の一番深い場所が理解し合える、いや、それが出来るのはこの世に彼女しかいないのだ、と。
(……だが……)
それでも、
『持って産まれたものは必然の運命(さだめ)』
そう考えている、と倭は言い放った。クライヴの、心の内を誰よりも理解しながら。
「……互いに因果な身の上だな」
投げ遣り気味に小さく笑ったクライヴは、倭にも微かに苦笑の色が浮かんだのを見た。初めて見る表情は、やはり重なる境遇故、とクライヴには思える。
「……話しにくいことを言わせた……すまぬ……」
「……いえ……」
伝説が伝説でなくなった以上、二人にとっては避けては通れない話ではあった。それでも、話さなくて済むなら、素通りしたい類いの話でもある。微妙な空気を払拭するように、ヒューズはさりげなく温かい茶に淹れ直した。仄かに漂う香気に、倭の口元がやや弛む。
「……本題に入ろう。実際問題、我々は互いの本当の力をこの目で見た訳ではない。こればかりは“演習”と言う訳にも往かぬ。オーソンと対峙した時、どのように致せば良いのか……それを訊いておきたい」
「どの程度の力を要すかは、実際にそのオーソンとやらに会(お)うてみねば何とも……ただ、クライヴ殿からお聞きした話から推測するに、とにかく、まず、ご内儀と御子の身さえ確保出来れば、後は如何ようにも出来るかと……」
クライヴの言葉の中には、互いの手筈、つまり息が合うように、と言う意味合いのものしかなく、そこには『力の強さ=レベル』に対する懸念は微塵もなかった。それは倭の方も同じで、互いの力の強さは不思議なほどに理解出来ており、むしろ二人にしか正確には理解なし得ない、とも言える。
「……なれば、そなたが子からオーソンの介入を完全に引き離してくれた瞬間を狙い、私はオーソンを消し去る。……だが、ひとつ問題なのは……」
クライヴが懸念したのは、マーガレットのことであった。彼女が、目の前でオーソンの無惨な姿を見たとして、無事でいられるだろうか、と。マーガレット自身がおかしくなってしまっては元も子もなく、あれだけのことを言い放った手前、クライヴとしてもライナスに申し訳が立たなくなってしまう。
「……ご内儀のお心内がご心配なら、二人を解放して後、そのまま私が護法を用いて安全な場所に移動させます。移動させて後の手筈も整えます故、その点は憂いなく……」
「……まことか……!? それは助かる……とても彼女には耐えられぬであろうから……」
「はい、お任せください。どうぞ、お心置きなく……」
「……感謝する」
クライヴの心からの謝意に、倭は微かに頷きながら立ち昇る湯気を見つめ、カップに口をつけた。──と、不意に扉の方を見遣る。
「……倭?」
気づいたクライヴが呼びかけると、倭にしては嬉しそうに口角を上げた。
「……どうやら、参ったようでございまする」
「……参った? 一体、誰がだ?」
「私の共の者が……」
倭の言葉が終わるか終わらないか、のタイミングで扉をノックする音が響いた。
「……は、はい、ただいま」
答えたヒューズが扉を開くと、折り目正しく立っていたのは若い女。
「わたくし、五百里(いおり)と申します。倭様のお召しにより、参上仕りましてございます」
「……あ、は、はい……ど、どうぞ」
無駄のない挨拶に飲まれたヒューズは、すぐに身体を傾けて女を通した。丁寧に会釈して入室した女は、流れるような動きで倭の前に跪く。
「倭様」
大切な言葉を唱えるように呼びかけ、嬉しげに顔を見上げた。倭の表情に特に変わった様子は見えなかったが、先だっての年輩の女への対応よりは、ひと声でわかるほどに声音が和らいでいる。
「……足労をかけたな」
「何を仰せになります」
静かに立ち上がった倭は、女を自らの隣に促した。
「クライヴ殿……私の第一の側近で五百里と申します」
黙って様子を窺っていたクライヴに女を紹介する。
「五百里。こちらが左眼(さがん)持ちのゴドー伯爵家・現当主でいらっしゃるクライヴ・カーマイン殿だ」
女はクライヴの眼前に跪き、最敬礼を示した。
「お初にお目文字致します、伯爵。五百里、と申します。お見知りおきくださいませ」
「……クライヴ・カーマイン・ゴドーだ。当方こそ、世話をかけてすまぬ……」
「畏れ多いことでございます」
丁寧過ぎず、かと言って粗雑でもない居住まい。洗練され、無駄のない立ち居振る舞いに、クライヴもヒューズもすぐに好感を抱いた。
「……こちらは当方の執事・ヒューズだ。これから、よろしく頼む」
ペコリとお辞儀をするヒューズにも、穏やかに笑いかける。
「……仰せのままに」
クライヴの初見では、歳の頃は同じくらいであろう、と見えた。おとなびて、落ち着いた雰囲気。倭のように抜きん出た美しさではないが、知的で意志も心も深そうな目。背は、倭よりはやや小柄であった。と言うよりは倭の方が、女にしては背が高いと言えるのだろう。
「倭様。明日には準備を整えられるそうです。必ず夜までには……とのお言伝でございました」
五百里の言葉に、倭はクライヴの顔を窺った。今回の件に関し、倭は全てクライヴに決断を委ねる、と既に決めている。
真っ直ぐに向けられる視線を受け、クライヴがヒューズに訊ねた。
「……ヒューズ。明日以降、直近で取れる船は?」
「は、はい……え、と……3日後の便でしたら……」
「……よし。3日後には発つぞ」
「はい……!」
倭が頷くと、五百里も静かに礼を以て答えた。
*
五百里が合流した日、ようやく渡航の準備も全て整いつつあった。
そして、一路、帰国の途につくはずだった日──その運命の前夜はこの時から2日の後に訪れる。
~つづく~
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