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声をきかせて〔第3話〕

 
 
 
 浜崎さんお奨めのスコッチウィスキーは、グラスを掲げて見ると、輝く琥珀色の液体の中で美しくカットされた氷が揺れ、カランと独特の音を響かせる。

 心地好いその音に耳を傾けながら、一口。

 口に含むと、浜崎さんの説明通りスモーキーな、それでいて豊かなウィスキー独特の香りが鼻を通り抜けて行く。そのあとを、何とも言えない華やかな香りが追いかけて来るのを感じ、思わず目を閉じて余韻を楽しむ。

「うまいな」

 静かな感想の言葉に、課長もかなり気に入ったことが窺える。やはり香りの余韻を追いかけているようだ。

「はい。こんなの初めてです」

 ぼくたちの感想の言葉に、浜崎さんが静かに、そして満足気に微笑んでいる。本当にお酒を大切に思っている事が伝わってくる笑顔だ。

「佐田さんも、これはあまり手に入らないと仰ってましたね。先日、買い付けに渡英した折に、本当に運良く手に入れられたそうです」

 その言葉を聞いた課長はニヤリと笑い、仕事の時と同じ自信に満ちた目で言い放つ。

「やっぱりおれたちは強運なんだな」

 その様子は、男のぼくの目から見てもゾクゾクするような魅力に溢れている。営業部にいた頃は、いつも課長のこの目がぼくの指針だった。

「……さて。おれたちが強運だとわかったところで」

 ぼくが過去に浸っている間に課長は話題を切り替えた。顔つきが一瞬にして変わる。

「さっきの話の続きに戻ろうか。どこまで話したっけ?」

 言いながらぼくの方を見た。さすが課長だ。

「ぼくが雪村さんにディベートを望めるのかご相談して……」

「ああ。そうだったな」

 それだけですぐに思い出してくれる所も。

「おれはまた、彼女があんまり目立つんで、後々になって厄介事にならないか、てっきりそのことを心配しているのかとばかり思っていたよ」

 なるほど。課長の言う通り、確かにその心配もある事に今さら気づく。見た目で目立つという事は、ある部分では得をしても、別の部分では損をする場合もある、と言う事だ。だが、今、ぼくが不安に思っているのは、それよりも前の段階の話なのだ。

「それも覚悟はしておかなければならないとは思ってるんですが……」

 煮え切らないぼくの言葉に業を煮やしたのか、課長はさっき言いかけた、ぼくが一番聞きたかった、しかし聞き損ねたひと言を口にした。

「ん。藤堂の心配もわかるけどな。まあ、あくまでおれの予想だが、恐らくそれは何とかなるだろう。雪村さんは当初、営業部に配属される予定だったわけだし、それなりの……」

「……え……?」

 心臓が飛び跳ねたかと思うくらいの衝撃を受け、課長の言葉を最後まで聞かないうちに声を発してしまった。驚きを隠せなかったのだ。知らず知らず課長の顔を凝視する。

 彼女が?営業部に?

 ならば、何故、総合部に配属されたのか。

 困惑しているぼくの顔を見て、課長の方が驚いた表情を浮かべる。

「何だ、知らなかったのか?」

 ぼくが声を出せずに頷くと、課長は前置きした上で話してくれた。

「……まあ、おれも人伝に聞いた話だけどな」

 頭の中で確認しているのか、少し慎重な話し方だ。

「うちの社、正式に入社した時には、ほぼ配属先が決まってることが多いだろ?」

 課長にそう言われ、自分の入社時を思い返してみると、確かに入社式が終わってすぐに辞令を渡された記憶がある。当時は新人だったのもあり、深く考えもしなかったが、今になって考えると珍しい事だったかも知れない。

「それから、内定が決まった時点から正式入社までの間に、やたら面談が多いのも特徴」

 それも言われた通りだ。課長の言葉ひとつひとつで、過去がリアルに思い出されて来る。記憶の欠片を引っ掻き回しているぼくに、課長はさらに続ける。

「あれはな。人事部長を始めとする上長たちが、新人の適性を予め確認するためなんだよ。だから規模や人数のわりに、配属後の異動は少ない方だと思う」

 言われてみれば、英語でのディスカッションも何度もさせられたっけ。まさか、あれが英語の実力だけではなく適性を測るためでもあるとは考えていなかった。いや、正直に言えば、あまり良く考えていなかった、と言うのが正確な所だが。

「……で。ここからが本当に人伝ってやつ。彼女、雪村さんは最初の面接時……と言うか、履歴書と経歴書提出の時点でほぼ営業行きが確定していた、と」

 ぼくは驚きのあまり言葉を継げなかった。

 面接の前から決まっていた?本当にそんなことがあるんだろうか。どんなにすごい経歴の持ち主であろうと、一度も会ってさえいない新人なのに?そんな事、俄かには信じがたい。

 疑わしそうな顔のぼくの代わりに課長が言葉を繋ぐ。

「ま、普通はありえないよな」

「はい。信じられません。でも当時の人事部長は……」

「そう。名人事と言われてた多賀野部長だ。……と言うことは、だ。それだけでも、いい加減に決まったとは到底思えないよな」

 課長が繋いだ言葉を受け、ぼくは混乱しっぱなしの思考で考える。

 では、何故?

「どうして彼女は営業部に配属されなかったんでしょうか?ぼくには多賀野部長が適性を見誤ったとは思えません」

 課長は少し考え込むように視線を前方に戻した。珍しく何やら迷っている様子だ。

「そこのとこの事情は、実はおれにも良くわからない。わからないが、おれにも多賀野部長が人選を見誤っていたとは思えないし、そのせいで土壇場でのどんでん返しになったとも思えない。つまり……」

 ぼくは息を飲んで課長の言葉を待つ。

「あの突然の変更は、彼女の適性だとか、そう言った類いの理由で行なわれたものではなかった、と言う事なんだろう」

 課長の声にも、疑問に思う気持ちが含まれているのがわかる。

「もう、ほぼ本決まりで、明日・明後日にも入社式、と言う土壇場になって、急遽、上からの命令で変更になった、と聞いている。その命令が誰のものなのか……いや、それが事実なのかどうかさえわからないけどな」

 ぼくはただ混乱するばかりだった。いったい、ぼくたちの入社時に何が起きていたのか。

「結論はわからないままだ。ただ、もうひとつおれが知っているのは、予定通りであれば彼女は君と一緒に北部米州部に配属されていた、ってことだ」

「本当ですか?」

 課長の言葉は、ぼくにとって二重の驚きだった。

「本当……だったらしい」

 課長は小さく溜息をつき、そのまま言葉を繋ぐ。

「とにかく、あの土壇場でいきなり変更だ。その指示が出たことで、かなり混乱したらしい。そりゃあ、そうだろうな。……で、君と今井さんを米州部にするとか、西方くんにするとか色々と案は出たらしいが、結局は君も知っての通りに納まったというわけだ」

 驚きの連続だった。そんな事になっていたとは。

「言っちゃナンだが、米州部は主軸の割にはいつも人手不足の先鋒を務めている。君と雪村さんが二人揃って来てくれていれば……と何度思ったか」

 課長は本当に残念そうにそう言った後、しかし、ぼくが思いもしなかった言葉をくれた。

「そうは言っても、結果的には、おれは藤堂が米州部に来てくれて助かったけどな。ずいぶん楽させてもらったよ。他の人選でも優秀なのはわかっていたが、君以上はなかったと、今でも思っている」

「そんな……」

 身に余るような言葉に恐縮するが、相性を別にすれば、課長なら誰が配属されていたとしても、間違いなくうまくやっていただろう。それだけの力と魅力のある人だ。

「それなのに、何年もしないうちに企画室に引っ張って行かれちまった」

 課長は冗談っぽく笑った。

 そう。ぼくが課長の元にいたのは3年弱。

 あの異動は、もちろんぼくが望んだものではない。それでも、せっかく課長と少しずつ詰め、あと一息と言うところだった案件を果たせないままでの異動となってしまったことは事実だ。その後の課長と後任の大変さを思うと、何だか申し訳ないような気持ちにもなる。

 そんなぼくの表情を読んだのか、課長は優しく笑いながらこう続けた。

「だけどな。新入社員として出会った君が……一から一緒に仕事をしていた君が、何とあの企画室に望まれて行く、って決まった時、もちろん残念な気持ちも大きかったけど、誇らしい気持ちはもっと大きかったんだよな」

 その課長の言葉に、思わず胸が熱くなる。

「だからな。何かが起きるのは当たり前の事だし、起きたら起きたで色々と考える事も増えるだろうが、変に考え過ぎるな。出来る事から丁寧にやって行け……今まで通りの君のやり方で」

 課長の気持ちが、その言葉が、ぼくの胸の奥で暖かいものへと形を変え、抑えきれないくらいの勢いで込み上げて来るのを感じた。そして、それはそのまま、ぼくの口から言葉となって絞り出される。

「……ありがとうございます……」

 その、たったひと言しか出て来なかったけれど。

 そんなぼくに、課長は目尻が完全に下がるほど優しい笑顔を浮かべる。

「ま、これからもっと大変なことが起きるだろうけどな。おれもこうやって聞くくらいなら出来るから、お互い頑張ろうや」

 「……はい……」

 いい歳をして目頭が熱くなっているぼくを見て、また冗談っぽく言う。

「おいおい。さっきも言ったが、そう言うシチュエーションも美女限定だ」

 課長らしい言葉に泣き笑いになりそうな自分がいて、カウンターの向こうでは浜崎さんが本当に満面の笑みを称えていた。

 それにつられて課長も笑い出し、次いでぼくも笑いが込み上げて来た。いい歳をした男三人で大笑いしているなんて、他にお客さんがいなくて良かったとつくづく思う。

 それにしても、こんなに笑ったのは本当に久しぶりで、笑う事でこんなにスッキリ出来るものだなんて忘れていた気さえする。

 その笑いが引き金となって和やかな雰囲気へと変わり、気が緩んだぼくは予てより気になっていた事を不意討ちで切り出してみた。

「ところで課長。お訊きしたいと思ってたんですが……」

「ん?何だ、改まって」

 課長が怪訝そうな顔をする。

「今井さんとはどうなってるんですか?」

「ぐっ!」

 課長が口に含んだスコッチでむせて咳き込んだ。浜崎さんは棚の方を向いて見て見ぬふりをしてはいるが、肩が震えているのがわかる。笑いを堪えているようだ。

「何だ、それ。……この流れで、どっからそんな話が出て来るんだ?」

 おかしくて吹き出しそうになるのを堪えているぼくを、口元を押さえながら睨んでいる課長のその顔は滅多に見れるものではない。

「いえ、何年か前に、やっぱり課長と二人で飲んだことがあったじゃないですか。ぼくが瑠衣……坂巻さんとつき合っていたか、わかれた直後くらいだったか。……もしかすると、まだ課長が係長だった頃かも知れませんが」

 課長は宙を見つめて少し考え込むように黙る。

「……ああ。あの時か。麻布に行った……そう言えば、そんな事もあったな」

 どうやら思い出してもらえたらしい。しめた!ぼくは心の中でほくそ笑んだ。

「そうです。その時、坂巻さんの話からの流れで今井さんの話題になって……」

「思い出した。坂巻さんが今井さんのことをすごく褒めてるとか何とか、そんな話をしたっけ」

 課長が思い出してくれたところで、再び爆弾投下。

「あの時の話で、課長はかなり今井さんのことが気になり始めた……と言うか、すっかり気に入ったものだとばかり思っていたんですけど」

「……藤堂。それはいくら何でも三段論法すぎやしないか?」

 確信したように言うぼくを、課長がまるで危険人物でも見るような目付きで見ている。その様子に、課長にしては動揺しているのが窺え、さらに追及する。

「いやいや、図星ですよね。あれからもう何年ですか?仕事の契約ならとっくに何件も取り付けてるくらいの年数ですよ、課長なら。なのに女性との契約となると一件も詰めていないなんて……」

 ぼくがそこまで言ったところで課長がキレた。

「おい、君にそんなこと言われたくないぞ。君だって未だにフリーだろうが」

 悪趣味なのはわかっているが、ムキになって反論する課長の顔があまりに真剣でおかしくなって来る。もう、浜崎さんは笑いを隠しきれなくなっていて肩が大きく揺れている。

「でも、ぼくの方がまだ、課長より少し歳下ですから……」

 笑いを堪えながら答えると、声が震えてしまうのが自分でもわかる。と、ついに課長が本気モードで反撃して来た。

「ほう。じゃあ、おれも言わせてもらうけどな。君と奥田さんとの事、社内の皆は真相を知らないよな?」

 想定外の場所からのその反撃に、ぼくは思わず怯んで言葉を失った。

「ふふん」

 ぼくの心の隙を突いて動揺させたと、課長は確信したらしく、満足気に余裕を取り戻すと、再び自信満々のヤンチャ坊主の顔になった。

「本当は奥田さんとつき合ってなんかいなかったんだろう」

 ぼくは返事も出来ずに課長の顔を見つめた。自分の鼓動が早鐘のように打ち、頭の中で響いている。

「やっぱりな……」

 ぼくの様子から確信したのだろう。課長は静かにそう言い、グラスに視線を戻した。グラスの中の氷が溶けて音を揺らす。

「……どうして、それを……」

 ぼくは、それだけを口にするのがやっとだった。

「……わかるさ。おれは君が坂巻さんとつき合い始めた時からわかれるまで、そして、その後もずっと傍で見てたんだぞ。奥田さんを見ている君の目が、坂巻さんを見る目と違う事くらい……」

 さっきまでのムキになった様子が嘘のように、課長は抑えた口調でそう言った。

「確信したのは、奥田さんが君じゃない男と結婚した、って聞いた時だけどな。ま、つき合ってるって噂が流れた時点でも、おれにはそうとは思えなかったが」

 そう続けて、課長はグラスに残っていたスコッチを飲み干し、浜崎さんに代わりを頼んだ。

「課長、その話は……」

 ぼくは何とか声を出そうとしたが、どうにも言葉が続かなかった。いや、何を言おうとしているのかさえもわからなくなっていた。

「誰にも言ってない。おれが自分でわかっていただけだからな。だが、いつか聞きたいと思っていた」

 課長のその言葉にホッと安堵の息が洩れる。ぼくのその気配を感じたのだろう、呟くように課長が言葉を継ぐ。

「君の様子を見ていて、『肯定も否定もしない。だが、勝手にそう思い込んでくれた方が都合がいい。むしろ、そう思わせたい』と、そんな印象を受けていたしな……」

 課長にはそこまで気づかれていたのか。我ながら情けなくなる。

「奥田さんが結婚した相手を考えれば、恐らく社外的にも影響がある話だから、こちらからは敢えて公にはしない……出来ない。そうだろう?」

 敵わない。課長には。

「……その通りです」

 ぼくは、グラスを傾けながら黙って頷いた課長の、その静かな横顔を見つめたまま身動きひとつ出来なかった。

「そんな所だろうと思っていた。だから、敢えて理由まで訊こうとは思わない。思わないけどな……ただ不思議で堪らなかった」

 課長は、手で玩んでいたグラスの中で氷がカランと音を揺らすのを見つめながらそう言った。

「恐らく他の社員は誰も気づいてなかっただろう。……君の事だ。気づかれるようなヘマはしないだろうからな。おれが見ている限りでも、怪しんでるやつはいそうもなかった」

 課長のその言葉に瞳孔が開くような感覚。思わず息を飲む。

「…………っ……」

 思わず言ってしまいそうになり、しかし迷う。

「どうした?」

 ぼくの様子に課長が訝しむ。

 言ってもいいものだろうか。それとも言わない方がいいのか。

 実は、課長の他にもたったひとり、気づいていた人がいたのだ、と。

 その名前を出すべきなのか。今、ここで。

 ぼくが心の中で葛藤しているのが顔に表れていたのだろう。じっとこちらを覗き込む課長の視線を感じながら、どうするべきか反芻する。

 だが。

 ここで、このタイミングで、この状況になったと言うことは、これが巡り合わせなのだ、と言われているような気もした。

「実は……」

 ぼくは躊躇いがちに切り出す。

「ん?」

「ひとりだけ……課長の他にひとりだけいました。奥田さんとぼくの関係に気づいていた人が」

 課長が息を飲むのがわかった。ほんの一瞬、浜崎さんもチラリとこちらを見る。

「本当か?君が……気づかれていたのか?」

 課長が信じられないと言う様子で訊ねて来る。

「……はい」

「いったい、誰が……」

 課長の言葉に、ぼくは意を決して口に出した。その人の名前を。

「今井さんです」

「………………!」

 その時の課長の表情は、後にも先にも、その一度きり。それまでも、それ以降も、ぼくは二度と見る事はなかった。

「今井さんが……そうか……」

 課長は驚きながらも、何故か得心がいった様子で頷いた。

「……さすがだな……」

 課長が微かに笑みを浮かべながら呟く。

「君は、何故、彼女が気づいているとわかったんだ?」

 ぼくは課長になら話してもいいと思い、この際、全てを明かす事にした。

「聞かれたんです。今井さんに」

 課長は黙って、ポツリポツリと話し出すぼくの顔を見ている。

「奥田さんが結婚してしばらく経った頃です。もう噂も下火になっていて……」

 記憶の糸を辿る。

「アジア部との打ち合わせがあって。たまたま帰りに今井さんと食事でもして行こうか、という事になったんです。
 それで彼女は瑠……坂巻さんと仲が良かったので、わかれた時の事を訊かれて……」

 そうだ。あの時、ぼくは学生時代の話までしてしまった。そんな事も思い出されて来る。

「まあ、その流れで過去の話も少し出て……」

 あまりに彼女が確信に近づいて来るのが怖くて。

「恥ずかしくなって、うやむやに誤魔化して逃げようと……話を濁したんです。そうしたら……」

 課長は視線を宙に向け、沈黙を守っている。

「唐突に切り出されたんです」

 課長がゆっくりと、僅かに視線をこちらに向ける。

「全く無防備な状態で、いきなり核心を突かれました」

 ぼくは苦笑いした。

「本当に奥田さんとつき合っていたのか、と」

 でも、そう言えば彼女は、ちゃんとぼくに「訊いてもいいかな?」と了承を求めてくれたんだっけ。今頃、思い出す。

「そして、自分には奥田さんとぼくがつき合っているようには見えなかった、と」

 課長は手に持ったグラスを見つめたまま、じっとぼくの声に耳を傾けていた。

「あの時は、正直、まいりました」

 完敗宣言をした後、ぼくは課長にも言わないでおくつもりだった事実を白状した。

「実は、周りにそうと思わせるために、ぼくは然り気なく、でもかなり工作してたんです。納会の時にも奥田さんと一緒にタクシーで帰ったり……」

 課長は驚いたようにこちらを見た。

「その時、今井さんが後ろを歩いて来ていることにも気づいてたんです。それで彼女にもわざと見せるように動きました。
 もちろん、彼女は噂を流すなんて事はしないでしょう。でも、彼女を信じさせる事が出来れば、恐らく他の人も、と踏んで。だから他の人もいる場所を敢えて通って……」

 そこで初めて、課長が言葉を挟んだ。

「そこまでしたのに、今井さんの目は欺けなかった……って訳か」

「……はい」

 俯きながら、ぼくはそれしか答えられなかった。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 

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