希望は雨の日に〔前編〕~社内事情シリーズ・番外編~

 
 
 
〔静希ママ・一花(いちか)目線〕
 
 

 
 
 私が初めて眞希に会ったのは、もう40年も前のこと。私のたったひとりの姉・一葉(かずは)の告別式の時。

 雨のそぼ降るあの日。

 両親の離婚以来10年も会っていなかった姉と、私は無言の再会を果たした。

 姉と私は10も歳が離れていて、両親が離婚した時、姉は20歳、私は10歳。姉は父に、私は母にそれぞれ引き取られ、それっきり、母は父と姉の消息を私に教えてはくれなかった。

 両親の間に何があって離婚に至ったのかはわからない。ただ、まだ子どもだった私は、大好きだった姉と会えなくなった、と言う事実が寂しくて、その事で母を少し恨んでいた部分もある。

 私が大学生の時、その母が病で亡くなった。幸い、私が学校を卒業して働くまでの生活に困ることはなかったけれど。

 私は姉に知らせたいと思ったものの、どこにいるのかすら知らされておらず、最期に一目だけでも会わせてあげることは出来なかった。

 それから2年も経った頃だろうか。

 秋も深まり始めた肌寒い夜、『ゴドウ キイチ』と名乗る男性から電話が入ったのだ。

 訝しむ私にその『ゴドウ』と言う男性は、『あなたの姉、雪村一葉の夫です』と自己紹介をした。

 私は姉が結婚していたことはおろか、消息さえも知らなかったのだけれど、年齢を考えれば不思議なことでも何でもない。それでも、本当なら怪しくてとても信じられなかったけれど、何故か、その人の声音は信じても大丈夫な気がした。

 ゴドウさんは、『一葉が亡くなりました』……震える声でそう言った。

 その言葉を聞いた時、悲しみと共に『やっぱり』と言う気持ちが湧いたことは否定出来ない。姉に何かがあったのでなければ、本人ではなく、わざわざ配偶者が連絡して来たりはしないだろう。まして、ずっと音信不通だったのだから。

 翌日が通夜だと言うゴドウさんに、参列させてもらう旨を伝えると、その時に詳しい話をしたい、と言われ、姉の話を聞きたかった私は承諾した。

 電話を切り、私は準備を始めた。

 状況から言って、父ももう亡くなっているのだろう。母も亡くなり、そして、今、また、姉も。

 私は本当にひとりになったのだ。

 喪服をおろしながら、久しぶりに会えるはずの姉がもうこの世にはいないのだ、と言う事実にひとり泣いた。

 翌日、重苦しい曇天の下、私は東京のゴドウ家に向かった。

 姉はこの10年、どんな風に生きていたのだろう。幸せだったのだろうか。ゴドウさんとはどんな風に生活していたのだろうか。生きているうちに、ひと目でいいから会いたかった。

 教えてもらった住所を書き留めたメモを手に、私は電車を乗り継いでゴドウ家に辿り着いた。

 しかし、やっと着いたゴドウ家は、私の想像を遥かに超える家だった。

 (こんな大豪邸!?)

 一瞬、自分が家を間違えているのではないかと思うくらい、ものすごく大きな、もはや『お屋敷』だった。表札を見れば、確かに『護堂』となっているので間違いではないようだ。

 半分、怖じ気づきながら呼び鈴を押すと、やわらかい男性の声で『どちらさまですか?』と訊かれる。ドキドキしながら「雪村……と申します」と答えるも声が上ずってしまう。

 その男性は『雪村さま……社長より聞いております。少々、お待ちください』と一旦声が途絶え、少しすると門を開ける音が聞こえた。

 重そうな扉が開き、黒い喪服に身を包んだ40代くらいの男性が姿を見せる。私の顔を見つめ、

 「雪村一花さまですね。私は護堂社長の秘書で佐久田と申します。どうぞ、こちらへ」

 その一声で、さっきのやわらかい声の主であることはすぐにわかった。

 「あ、ありがとうございます」

 護堂さんは社長さんだったんだ。と言うことは、一葉姉さんは社長夫人だったってことなのか。

 広くて長い廊下を案内され、通された立派な応接室。

 何となく落ち着かない空気の中、ソファに座っていると、ノックと共に佐久田さんと、そしてもうひとり、佐久田さんより若い30代前半くらいの男性が入って来た。

 思わず弾かれたように立ち上がる。と、その男性も一瞬、目を見開いて私の顔を凝視した。

 「……雪村……一花さん?はじめまして。護堂希一と申します。旧姓・雪村一葉の夫です」

 少しの間の後、その男性━護堂さん━は丁寧な口調で自己紹介をしてくれた。

 そう。母は父と離婚した後も、何故か父の姓をそのまま名乗っていて、だから私も雪村姓のままだった。

 「はじめまして。雪村一花です。姉のこと、知らせてくださってありがとうございました。私は母から、姉たちの消息すら教えてもらえなかったものですから……」

 護堂さんは頷き、私に座るように促した。

 「そのようですね。私も一葉からあなた方の居場所を聞いたことがなく……たまたま一葉の大切なものが入っている引き出しに母上とあなたの住まいが書かれたメモがあり、それでわかったようなものですから」

 姉は私たちの居場所を知っていてくれたのか。でも、それならば何故、会いに来てくれなかったのだろうか。一抹の寂しさを感じつつ、父か母に止められていたのかも知れない、と思い直す。

 「あの……姉は何故、亡くなったのでしょうか?」

 護堂さんは辛そうに目線を下げた。

 気づかなかったのは緊張していたせいもあるけれど、今、こうして見ると、護堂さんはとても素敵な男性だった。これは私の好み、と言う意味ではなく、一般的な意味でも。

 当時の男性としては、背も高くてスラリとしていた。スッキリした輪郭に、少し吊り気味のハッキリとした目鼻立ち、厳格そうに見えるけど、私を迎えてくれた時の目は優しかった。

 「あまり身体が強くなかったようで……病気と言う病気ではなかったのですが、年々、伏せがちになって行きました」

 「……そうですか」

 護堂さんの表情を見ているだけで、姉が大切に思われていたことが窺えた。きっと、姉は幸せだったに違いない。そう思いたかった。

 「一花さんは2~3日、こちらにいらっしゃることは可能ですか?今日・明日はバタつくと思うので、その後でゆっくりお話ししたいと思うのですが……」

 「あ、はい。それは大丈夫ですが……」

 「では、離れの客間を用意しておりますので、まずそちらにご案内致します。……と、その前に……佐久田さん、見つかった?」

 護堂さんが佐久田さんに何かを問いかける。

 「いえ、申し訳ありません。まだ……」

 「そうか。すみませんが、急いで探してください。……一花さん、申し訳ありませんが、もう少しこちらでお待ち戴けますか?」

 「はい……あの……」

 私が訳もわからず戸惑っていると、

 「すみません、すぐに戻ります」

 そう言って男性陣二人は急いで退室して行ってしまった。

 取り残された私は勝手もわからず、仕方なく中庭に面した廊下に出て外を眺める。いつの間にか、ポツリポツリと雨が降り出していた。

 (まるで姉さんのことを泣いてくれてるみたい。でも、この調子じゃ夜は冷えそう……参列してくれる方も大変だろうな)

 まるで林と庭園が合わさったように広い庭を眺めながら、ぼんやりとしていると、ふと、木陰に小さな人影が佇んでいることに気づいた。

 (女の子?参列者のお子さんかしら)

 雨が少しずつ強くなって来ているのに、その女の子は傘もささずにじっと立ち尽くしている。

 (風邪をひいちゃうわ)

 思わず廊下のガラス戸を開け、置いてあったサンダルを借りて駆け寄る。

 「こんなところで雨に濡れていたら風邪ひいちゃうわよ」

 私が後ろから近づきながら声をかけると、その女の子はゆっくりと私の方へと振り返った。

 (……え……?)

 その女の子の顔には見覚えがあった。いや、正確には、良く似た顔立ちの人に。

 (一葉姉さん!?)

 幼い頃の記憶の中、残っている姉の面影そのままだった。強いて言うなら、姉さんより少し彫が深い顔立ちだろうか。

 (もしかして、この子は……ううん。もしかして、じゃなくて、間違いない。この子は姉さんの血を引いている)

 私は雨のことも忘れて、その子の顔を凝視した。が、よく見れば、その子も私の顔を目を丸くして見つめている。

 私はその子に声をかけながらしゃがんだ。

 「風邪をひいちゃうから中に入りましょ。ね?」

 私の顔を見つめ、何か言おうとしたその子に手を伸ばそうとした、その時。

 「眞希!」

 後ろから護堂さんの声が聞こえ、私の手はそこで止まってしまった。

 「こんなところにいたのか。探していたんだよ」

 「おとうさん……」

 その子の言葉に、「ああ、やはり」と言う思いが過る。この子は護堂さんと姉さんの子ども……今や、私の血を分けた唯一の存在━姪なんだ、と。

 「とにかく中に入りなさい。雨が強くなって来た。風邪をひいてしまうよ」

 「はい……」

 「一花さんも」

 護堂さんに促され、一先ず室内に戻る。

 「一花さん、紹介します。私の娘で眞希と言います。今年6歳。眞希、ご挨拶をして」

 「ごどうまきです」

 護堂さんの脇にぴったりとくっ付きながら、でもハッキリとした言葉で挨拶をした。

 「眞希ちゃん。はじめまして。雪村一花、と言います」

 眞希は、私の顔を穴が開くほど見つめて来る。

 「眞希。一花さんはね。お母さんの妹なんだよ。だから眞希の叔母さんになるんだ」

 眞希は頭のいい子みたいで、護堂さんの言葉をちゃんと理解しているようだった。

 「よろしくね」

 私がしゃがんで目線を合わせて言うと、恥ずかしそうに小さく笑う。本当に可愛い子だった。

 ひとりになってしまったと思っていた私だけれど、姉は血を分けたこの子を遺してくれていた。そして、私に巡り会わせてくれた。思わず目頭が熱くなる。

 「すみません。この子を紹介しようと思っておりまして……」

 「そうだったんですね」

 護堂さんと佐久田さんが探していたのは眞希だったらしい。

 「一度、お部屋にご案内して、それから一葉のところに……誰も来ないうちに、会ってやってください」

 「ありがとうございます……」

 護堂さんの気遣いが嬉しかった。

 用意してくれた客間も立派で恐縮してしまうが、とにかく急いで喪服に着替え、部屋の前まで来てくれた護堂さんと姉が眠っている部屋へと向かう。

 静かに調えられた和室に通され、護堂さんが姉の顔に掛けられた白い布をそっと取ってくれた。

 眠っているかのような姉の表情。わかれた時の顔を記憶の中に探る。

 (やっぱり眞希ちゃんは姉さんにそっくりだわ)

 そして、自分で思っていた以上に、私も姉と似た面立ちであったことに気づく。そうか。だから、眞希は驚いていたに違いない。

 護堂さんは知らないうちにいなくなり、姉さんと私を二人きりにしてくれていて、雨の音だけが響く中で、私は姉さんと10年ぶりの再会を果たした。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 

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