里伽子の社内レポート

 
 
 
今井里伽子。今年29歳、独身。
商社勤務。海外営業部・アジア地区担当。
 
 
ここのところ、後輩で欧州部担当の東郷くんがやたらと懐いてくる。
たぶん探りに来ているのだろうから、懐いてくるっていうと語弊があるかも知れない。
 
人事異動も落ち着いたこの時期だけど、今期は異動シーズンの後になってからも動きがあったから、何やら気になっている様子。
良く言えば好奇心旺盛な彼のことだから、私が知っている情報を聞き出そうとしているに違いない。
 
何で私に、って思うけど、たぶん彼は企画室の藤堂くんのことが気になっているのだろう。ヒマ人っぽい。
 
そうは言っても東郷くんは、端から見ていると、何だかいつもフラフラ・ブラブラしているように見えるのに、実のところ、あれでかなり優秀なのだ。
 
外見だって、決して悪くない。
背もまあまあ高いし、顔だって上玉の部類に入る。
 
男性の形容に『上玉』が正しい表現なのかはわからない。
 
とにかく、他の人の優秀さとちょっと種類が違う感じではあるけど、パッと見の印象はアテにならないと実感できるくらいデキる(ヘンな日本語)。
何と言うのか……そう。手っ取り早く言えば『抜群に要領がいい』のだ。
 
でも、これ、かなり重要だ。特にウチみたいな部署は。
 
ノラリクラリしているように見えるのも、あっちこっちでおしゃべりのフリをしては、いろんな話を仕入れているのだと思う。ま、フリじゃなくて全力でしゃべってるんだろうけど。
そんな風にノラリクラリしていても、ちゃんとノルマを片づけることは出来ているのだから大したものだ。
 
彼のことだから、きっと『あの話』のことも薄々嗅ぎ付けているのだろう。その真相を知りたくてしょうがないに違いない。予想だけど。
 
 
でも、お節介ながらひとつ言わせてもらえば、東郷くんはソレさえなければ相当モテると思う。うん。
 
 
それにしても。
欧州部の主担当の名前はいったい何なんだろう、って思う。
もう、ふざけてるとしか思えないんだけど。
 
東部が東郷くんでしょ。
西部が西方(にしかた)くん。
南部が南原(なんばら)さん、欧州部の紅一点。
北部が北条くん。
中部が中岡先輩。
 
いや、ふざけてるよね、これ。
 
なのに、何故か精鋭揃い。
海外営業部の、特に欧州部や米州部に配属されて続いてるってことは、それ自体が我が社の中での優秀さの表れ。バロメーターとも言える。
いや、別に国内やアジア部が優秀じゃないってことではなくて。
 
そーゆうスタンスで言えば、一番のエリート集団は企画室だから。
 
だからなのかな。
東郷くんが藤堂くんのこと、何となく気になってるのは。
まさかライバル視?
 
いや…あの東郷くんに限ってそれはないか。
 
単に好奇心がムズムズ。
その方が東郷くんらしい。
 
あのヘラヘラしながら近寄って来るサマを思い出し、つい笑いが込み上げそうになった。
 
 
 
***
 
 
 
藤堂くんと私は同期入社。
当時は彼も海外営業部だったから、担当の地域は違っても今よりは接点もあったし、当然、顔を合わせる機会もそれなりにあった。
 
とにかく彼は、入社式のその日から目立っていた。もう、そこだけ空気が違う、ってなもの。
 
そりゃあ、高学歴でハンサム、仕事が出来る上に立ち居振舞いは紳士的…なんて、それこそマンガの主人公みたいなもの。騒がれないはずがないし、モテないはずがない。
女子たちにとっては格好の餌食…いや、ターゲットに違いない。
藤堂くんに限っては、ほとんど偶像崇拝レベルの子も多いだろうけど。
 
こんな風に他人事みたいに言ってるのは、残念ながら彼は私のストライクゾーンにはハマらないから。
そう。私の好みからはズレてるのよね。残念ながら。上から目線もいいとこだけど。
 
だから、他の女性陣が右に左に文字通り右往左往していても、俯瞰から冷静に観察できたのよね~…って、はぁ~。
わかってはいるけど、こう言うと、何か私って冷めてて可愛くない女の条件がそろってる。
 
でも、客観的に見れば素敵だとは思ってるのよね。ただ主観的について行かないだけで…って誰に言い訳してんだろ、私。
 
 
ま、この際、私のことは置いといて。
 
私は藤堂くんの元々カノを知っているのだ。もちろん元カノと言われている人のことも知っているけど、それは結構な人が知っている。
元々カノとのことは、つき合い自体は知っていても、詳細を知っている人は少ないはず。

だけど。私は他の人よりは、ほんの少しだけど知っているのだ。
 
何でかって。
入社してすぐから藤堂くんがつき合ってたのは、私が社内で一番仲良くしていた子。
私たちと同期で、一緒にアジア部に配属された坂巻瑠衣(さかまきるい)だったから。
 
瑠衣は、見かけや雰囲気こそふんわりした印象を醸し出していたけど、仕事に関しては違った。あれは「羊の皮を被った女豹」だ。
まあ、そうじゃなきゃ営業部なんてやってられないんだけど、私はあの見かけに騙された人は少なくないと踏んでいる。
 
そんな瑠衣だけど、彼女は4年前に海外研修を兼ねて赴任し、そのまま正式な赴任に移行して、現在も継続中だ。
 
 
その4年前の赴任が決まった時。
瑠衣は藤堂くんとの、入社以来2年ほど続いた関係に終止符を打つことになった。
 
 
あの時はなぁ~…まあ、二人とも悩みに悩んだ末の選択だったんだろうけど、私に言わせると、最初から微妙に噛み合わない二人だと思ってたし。
見た目とか能力とか、そーゆうわかりやすいスペックだけなら、申し分なくお似合いの二人だったんだけどね。
 
藤堂くんは、何て言うのか……融通が利かないとこがあるっていうのか。
ん~ちょっと違うなぁ。
 
捻りがないっていうのだろうか。
綺麗すぎるっていうか、自分の希望とか感情を剥き出してまで、相手とぶつかり合ったり向き合ったりすることがなさそうっていうか。
 
いや、『向き合わない』っていうのは、決して『誠実じゃない』って意味ではなくて。
 
『相手が望んでいる、と思われる対応』を先回りして行なっちゃう、っていうのかな。
それは営業としてはとても大切で、彼のそれは一種の才能とすら言えるんだけど。
 
当然、仕事に関しては厳しかったし、ヘンな妥協は一切なかったけれど、激しく討論するとかぶつかるとか、そーゆう姿は見たことない。
 
まあ、能力が高すぎて激昂する必要もなかったのかも知れないけど。
 
 
そんな彼でも、やっぱり読み間違えることはあったってことなのかな。特に女心に関しては。
もしくは、敢えて見ないようにしていたのか。
 
瑠衣もまあ、そうそう本心を見せなかったから、藤堂くんのせいばかりじゃなかったとは思う。やんわりした雰囲気のクセに素直じゃないっつーか。
私みたいに『見るからに』じゃない分、却って性質が悪いかも知れない。
 
結局、お互い様だったんだよね。どっちが悪いとかじゃなくて。
 

それでも、藤堂くんとわかれることになって。
 
たぶん、彼女なりに相当つらかったんだろう。私のところに来た時の瑠衣は憔悴しきったような顔だった。
それでも、今まで見たことないくらいに綺麗だったけどね。と、少なくとも私は思った。
 
あれを『恋やつれ』とでも言うのかしら?とか思ってた私って、我ながら薄情な女だ。
 
 
その後、ウチで飲みながら二人で話してて初めて知ったのは。
 
瑠衣と藤堂くん。
誰が見てもお似合いの二人だけに、お互いを『自分に相応しい相手』ってスタンスで見ているんじゃないかと、ちょっとばかり意地の悪い見方をしてた私。
 
瑠衣は、最初こそ『何の問題もない男』、むしろ『この人より高スペックの男はなかなかいないかも』みたいな軽い感じでアプローチしたらしいけど、モテそうな見かけとは裏腹に誠実な藤堂くんのことを、本心から好きになっていたらしい。
 
ってか、その時はじめて、私は瑠衣の方から藤堂くんにアプローチしたことを知ったのだ。ホントに軽い感じのアプローチだったらしいけど、正直、瑠衣がそんなことしてたなんて驚きだった。
 
もちろん、瑠衣からのアプローチだったとは言え、藤堂くんのことだから瑠衣のことを心から大切にしてくれたのは間違いないみたいだけど。
 
「じゃあ、何でわかれるのよ?」って聞いた時の瑠衣の微妙な表情。今でも忘れられない。
 
どうせ忙しいのは変わらないんだし、遠距離でも良さそうなもんじゃないのか、って。え、ダメですか?私。
そう聞いた私に、瑠衣は氷の入ったグラスを持った手を額に当てながら、消え入りそうな声で言った。
 
「……ムリ……」
 
それっきり押し黙ってしまって、私もそれ以上は聞かなかったけど、何か瑠衣の性格を考えたらわかったような気がしてしまった。
ま、東郷くんが知りたいのはこの辺りのことなんだろうけど、逆に、ここだけは言えないんだよね、私の口からは。
 
 
でも、瑠衣は他にもまだ何か隠しているようだった。けど、もう聞けるような雰囲気じゃなかったし、瑠衣と私の間でも、その話はそれっきりになってしまった。
 
それからすぐに、予定通り瑠衣は赴任地に飛び、藤堂くんはしばらくしてから企画室に異動になった。
 
 
藤堂くんが企画室に異動して少し経った頃だろうか。
 
まさに、天から降ったように彼女、奥田 遥(おくだはるか)が現れたのだ。
 
 
奥田 遥。
忽然と現れ、忽然と消えた、という表現がハマるような気がする人。
私たちより2つ歳上、古風な外見で派手ではないけど和風美人。
 
 
聞いた話だと、役員付きの秘書として、社長がどっかから引っ張って来たとか。でも社長秘書ではなくて、営業本部長の秘書だった。
 
本部長の秘書だから、当然企画室との打ち合わせなんかにも同席していたワケで。藤堂くんとも顔を合わせる機会は多かったと思う。
 
何となく、ツーショットを見るなぁ~と思い始めてしばらく、あれよあれよという間に女子の間にウワサが広まった。
 
 
そりゃ、そうよね。
親衛隊みたいな子たちに絶えず監視されてるような『王子』だもん。何かあれば光の速さくらいのイキオイで話が行き渡る。不自由極まりないと思う。
ただ、まだその時は、あくまで憶測の域を越えてる状態ではなかった気がする。様子を伺ってる女子の気配がビンビンだったもの。
 
 
企画室と役員秘書。
この二人がよく一緒にいるからと言って、別段、不思議なことではない。
 
 
そうこうしていた年末の納会の時、私は決定的と言えなくもない場面に遭遇してしまったのだ。
 
 
一次会が終わって、帰ろうとする人と二次会に流れようとする人がゴッチャに入り乱れ、さらに忘年会シーズンだったのも相俟って、当たりはデモ行進さながらの混雑だった。
 
私は帰ろうと思って、二次会に誘ってくる人たちを去なしながらフェードアウトしようとチャンスを狙っていた。
飲み会は嫌いじゃないけど、もう年末、目が回るかと思うくらい忙しい日が続き、油断すると白目を出して寝てしまいそうなくらいの疲労度だったから。
 
そろりそろりと群から離れ、ジリジリと駅の方へと後ろ向きに足を進め、ひとつ角を曲がったところで脱兎の如くダッシュ!無事に戦線離脱。
 
……と。
もう少しで大通り、というひと気の途切れた道筋。
見覚えのある男女が寄り添うように歩いているのが見えて、思わず歩みを止めた。
 
 
(藤堂くん?)
 
 
私は薄明かりの中で目を凝らす。
私よりも数十メートル先を行く二人。後を追うようについて行く。何故か足音を殺す私。
 
大通りに出た二人が見える。
男の方が手を挙げてタクシーを呼び止めているようだ。
 
見失うまいと、思わず早足で近づく。
 
……と、女を先に乗せて、後から乗り込む男の姿が、往来を走り抜けて行く車のライトに映し出されてハッキリ見えた。
 
 
(やっぱり藤堂くんだ!……と、え?奥田さん!?)
 
 
奥に座る女の顔もハッキリと照らし出された。
ちなみに私の視力は両目とも1.5だ。
 
私のアホ面を尻目にタクシーの扉が閉まる。
 
暗い影になっているけどシルエットでわかる。
奥田さんが藤堂くんの肩に頭をもたれさせたのが。
 
 
タクシーが発進し、他の車の流れに飲まれて行くのをアホ面のまんまで見送った。
 
 
……み、見てしまった……
 
 
私はしばらくの間、呆然として動けなくなっていた。
別に二人がつき合っていようといまいと関係ない。関係ないんだけど、いきなり核心部分を目撃してしまうと、この私でさえ、こうも動転するものなのか……。
 
後ろから歩いて来た人の声で我に返った私は、すっかり眠気はぶっ飛んでいたんだけど、逃げるようにそのままタクシーを拾って帰途についた。
 
 
タクシーの中でも頭の中はグルグルし過ぎて収拾がつかない。混乱した頭で情報を整理しようとすると、途端に眠気がムクムクと再始動してくる。タクシー内のほどよい温度と揺れ、さらにお酒のせいもあるだろう。
 
 
ヤバい……寝ちゃう。早く着いてー!と心の中で絶叫するが、そんなことをしてみても始まらない。
だけど。ホントに、意識が睡魔にパックマンされそうだ。
 
必死で目を見開いて外を眺めていると、
 
「もう少しで着きますよ」
 
……運転手さんの声が、まるで天の声に聞こえた。
 
 
 
***
 
 
 
そのままお正月休みに突入し、久しぶりの実家で過ごしていた私は年末のことなどすっかり頭から抜けていた。
時間が経つにつれて、自分には何の影響もないことなど記憶から消えて行くものだ。
 
 
平和な休みを満喫し、すっかり疲労度も返上、リフレッシュして颯爽と出社した仕事始めの日。
部屋に入った途端に耳に飛び込んで来た話題で、私の脳みそはあっという間に年末の出来事に引き戻されてしまった。
 
営業部の面々に新年の挨拶をしながら席に着こうと進んで行くと、アジア部の後輩・松本七奈子がすごい勢いで突っ込んで来た。
 
「せんぱーーーい!聞きましたかーーー!?」
 
ちょっとちょっと。新年の挨拶くらいしようよ。
 
「あけましておめでとう、松本さん。聞いたか、って何の話?」
 
彼女は、
 
「あ……あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します」
 
と慌てて返して来た。
 
「こちらこそよろしく。……ところで、いったい何の話なの?」
 
「そうそう!秘書課の奥田さん、やっぱり藤堂先輩とつき合ってたそうなんです!」
 
げっ!
 
「納会の時に見た子がいるらしいんですよ!二人が寄り添って歩いてるところ!」
 
げげっ!!
 
「それでそのまま二人で一緒にタクシーに乗ってったって!」
 
げげげっ!!!
 
「やっぱりあの二人、デキてたんですね~」
 
松本さんがヒトゴトみたいに言った。
と言うか、ヒトゴトなのだろう。彼氏いるしね。
 
「でも、まだ、わかんないじゃない。途中まで乗り合わせただけかも知れないわよ?」
 
適当に返しながらパソコンの電源を入れる。
 
 
しかし、そうかぁ~。
あの時、私とは違うところから彼らを見てる人がいたってことだ。誰だろう?少なくとも私の後ろにはいなかった。ってことは、大通り沿いにいたってことか。
 
「でも先輩。あの二人の住まいって同じ方向なんですかね?」
 
どうしてもその話題を極めたいらしく、松本さんが食い下がって来る。
 
「藤堂くんのウチは知ってるけど、奥田さんのウチは知らないわよ……」
 
言いかけて気づいた。
年末に見た社内住所録に、奥田さんの名前が未だに載っていなかったことに。
 
何で?
社員なら全員載るはずだ。
 
「だけど瑠衣先輩とは全然違うタイプですよね~奥田さんって」
 
この子、しぶとい……。
 
「ほらほら、就業時間!今日は午後から新年会入るんだから、今のうちに急ぎの用事を片しちゃって!」
 
そう言って、私はパソコン画面に目を戻し、休みの間に山のように来ていたメールをチェックし始めた。
それでも、頭の中ではさっきの話が『ブンブンブン』の歌みたいに廻っている。
 
 
ホントに藤堂くんは奥田さんとつき合ってるんだろうか?
あんなに決定的とも言える場面に遭遇したわりに、私にはイマイチ、その話に信憑性が感じられない。ひねくれてるだけ?
 
 
そんなことを考えながら仕事を片づけていると、午前中はあっという間に過ぎて行った。
 
 
 
昼からは食事会を兼ねた新年会だ。
ほとんどの社員が集まるワケだから、会場はかなり広い。
 
同じアジア部の松本さん、沢田くんと三人で会場に入って行くと、皆それぞれ挨拶を交わしたり談笑している。
 
私たちが席次表を見ながらキョロキョロしていると、
 
「今井先輩!アジア部はここですー!」
 
先に会場入りしていたアシスタントの子たちが、手を振りながら教えてくれた。

その席の方に向かおうとして、少し離れたところに藤堂くんが米州部の片桐課長と話しているのが見える。片桐課長は、まだ藤堂くんが米州部の営業だった頃の上司だ。当時はまだ係長だったけど。
 
とは言え、片桐課長はまだ30ちょいくらいだったはず。
米州部では……と言うより、営業の間では『営業の虎』とか言われてる。
いったい誰が言ったんだろう。その古くさい通り名。
 
でも片桐課長は確かにデキる男だ(と思う)。
しかも背も高くて見栄えは良い。
おまけに、仕事抜きにすれば藤堂くんより格段にユーモアセンスもある。東郷くんほどノラリクラリでもない。
何と言っても、『独身』という超優良物件だ。
 
優良物件なのに、何で結婚しないんだろう?普通に考えたら女に不自由はなさそうなのに……って、だから選り好みしてるってことかしら?
 
 
あ、またどーでもいいことに意識を飛ばしてしまった。
自分で頭をコツコツ叩きながら、アジア部の席に着いた。
 
 
上長たちが固まっている一角に目をやると、他の秘書の人たちと一緒に、本部長の傍近くに奥田さんが控えめに座っているのが見える。
マジマジと見ると、際立って目立つ容貌ではないけど、ホントに和風美人って感じだ。
 
 
藤堂くんはホントに彼女とつき合っているんだろうか。
 
そんなことをボンヤリ考えていると、間もなく、予定通り社長の挨拶から新年会が始まった。
専務やら本部長やらから、昨年の反省や今年度のありがたいようなありがたくないような訓示があり、その後は食事会になる。
 
 
思い思いに食事をしたり、席を移動して、日頃はなかなか機会のない別部署の人と話したり、これはこれで良い場所と言えると思う。
 
「ちょっと化粧室行って来るね」
 
松本さんにそう言って、私は会場から抜け出した。
 
化粧室の辺りにはひと気がなく、少し肩の力が抜けたその時。数人の女子が、叫ぶような声でしゃべっているのが聞こえて来た。
 
思わず足をとめる。
 
『え~。じゃあ、やっぱり藤堂先輩って秘書課の奥田さんとつき合ってるんだぁ~』
 
絶望したような落胆の声。
盗み聞くつもりはないのだけど、デカい声が聞こえて来るんだから仕方ない。
 
『らしいよ~。さっき、国内営業のアシスタントの子が聞いたって話してたの聞いちゃった。“奥田さんとおつき合いされてるんですよね”って聞いたら、否定しなかった、って』
 
『え~!ショック~~~』
 
悲鳴みたいな声が次々と聞こえて来る。
でも『否定しなかった』って……
 
 
(それは肯定もしてないのでは?)
 
 
そう思うのは私だけ?
やっぱり私の中では、二人のつき合いに関して信憑性がないのだ。
 
私は足音をわざとデカく鳴らしながら化粧室に近づき、能面の如き涼しい顔で入って行く。
……と、女の子たちの会話が一瞬でとまり、一斉に私に視線が注がれた。ちょっと、ちょっと。
 
「お疲れさま」
 
文字通り営業スマイルで言うと、三人が声を揃えて、
 
「「「今井先輩、お疲れさまです……」」」
 
私が何食わぬ顔で鏡の前に立って化粧を直し始めると、三人はそそくさと出て行った。
よほど焦ったのか、声にビブラート入ってたわ。
 
結局のところ、私の中では藤堂くんと奥田さんの交際説はハッキリとしないままだったけど、社内中がビックリ仰天の騒ぎに包まれたのは、その数ヶ月後のことだった。
 
 
 
***
 
 
 
新年度に入ってしばらく経ち、ザワザワした感じもすっかり落ち着いた頃。
今思えば、この時の新入社員の中に東郷くんもいたのだな。
 
私はいつものように、見た目だけは颯爽と出社した。
 
営業部の部屋に入ると何となくざわついてる……特に女子が。
 
自分の席の近くまで行くと、松本さんがけたたましいまでの声を発しながら突撃してくる。
 
「おはようございます、せんぱーーーい!聞きましたかー!?」
 
そのままのイキオイとは言え、最初に挨拶を入れて来る辺り、学習能力がないワケでもないらしい。
 
「おはよう。何かあったの?」
 
棒読みで聞くと、
 
「先輩、さっき部長たちが話してるの聞いちゃったんですけど、秘書課の奥田さん、結婚したらしいですよ!!」
 
 
えっ!!!!!!!!!!!!!
 
 
さすがの私も驚いたわ。
危うく口を開けたアホ面を晒してしまうところだった。
 
「……そう……なんだ。藤堂くんもついに結婚かぁ~……」
 
冷静さを装いながらそう言ったところで、松本さんからさらなる爆弾発言。
 
「それが違うみたいなんです!」
 
と彼女が叫ぶ。
 
「へ?」(違う……って、何が?)
 
今度こそアホ面丸出しだ。
 
「藤堂先輩じゃないんです!」
 
 
え……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
 
 
し、白目が出そう。
 
 
「何かウチの会社と取り引きがある広告代理店の……えーと、えーと、何とかって会社の社長の息子さんとか……」
 
 
げげげげげげげげげげげ!!
 
 
ウチと取り引きがある広告代理店の社長さんで、妙齢の息子って言ったら……佐久間社長のとこの企画部長さんだ!
……っていうか、松本さんも仮にも営業なんだから、取引先社長の名前くらい覚えてなさいっつーの。
 
 
いやいや、そんなことより。
いくら二人の交際には懐疑的だった私とはいえ、まさかの事態だ。
 
 
結局、どーゆうことだったんだろう。
 
 
佐久間社長の息子さんって言えば、私も何度かはお会いしている。
なかなかの好青年……ではある。あるけど。正直、申し訳ないけど、何ていうか、あんまりパッとする印象はない。
藤堂くんと比べちゃうからなおさらね。余計なお世話だけど。
 
 
やっぱり、あの二人はつき合っていなかった?
それとも、つき合っていたけど別れた?
いやいや、まさか二股とか?
 
うわ~またグルグルしてきた。
ダメダメ!
 
 
なるほど。女子たちがざわついてるはずだ。
私は頭を振って雑念を祓い、仕事に没頭しようとした。
 
 
確かに、それから奥田さんの姿を見かけることはなかった。
 
 
 
***
 
 
 
結論はわからないままで、モヤモヤしながらまた数ヶ月。
藤堂くんも狼狽えた様子も変わった様子もないので、誰も真相を知ることが出来ないまま。
 
とは言え、真相はともかく藤堂くんがフリーだという事実が公になったことで、女子たちのざわつきは別のものになり、また妄想女子たちが横行する平和な日常。
 
藤堂くんにしてみれば『平和』とは言いがたいかも知れないけど。
 
 
……とか何とか言ってたそんなある日、彼と直接話をする機会が私に訪れたのだ。
 
 
それは、アジア部が行なう企画の打ち合わせを、企画室の面々と行なった日のこと。
遅くまで続いた打ち合わせの帰り、同期ならではの軽いノリで藤堂くんと「じゃ、ゴハンでも食べて行こっか?」みたいな流れになったのだ。
 
まあ、瑠衣とつき合っていた時からの流れもあるし、私の性格も彼にとっては難がなかったのだろう。
例え目撃されても、私とじゃウワサにもならないだろうし。
 
 
それで、近くのカジュアルなイタリアンレストランで軽く飲みながら食事をして。
 
 
元が営業畑で、しかも同期だから共通の話はそこそこある。企画室との情報交換も重要。もちろん、企画室には情報によっては守秘義務もあるから、全部が全部、話せるワケでもないだろうけど。
 
 
程よく酔いも来たとこで、いい機会だったし、私は思い切って藤堂くんに切り出してみた。
 
「ねぇ、あのさ。余計なことだとは思うんだけど……聞いてもいいかな?」
 
藤堂くんは少し驚いたような表情をして私の方を向き、
 
「うん?」
 
面白い話を聞くような感じで答えた。
 
「どうして瑠衣とわかれたの?」
 
私は直球で訊ねた。その方がいいような気がしたから。
藤堂くんは少し考えてから、
 
「彼女が研修に行くことになって……」
 
躊躇いがちに話す彼の言葉を、私は黙って聞いていた。
 
「いろいろぼくたちも考えて、何度も話し合ったんだけどね」
 
彼はグラスを顔の前に持ったまま少し俯いた。
 
「結局、うまい結論が出なくてね」
 
目を伏せて、今度は宙に顔を向けながら、
 
「ふられたんだよ。ぼくは瑠衣に」
 
思わず自分の瞳孔が開いたように感じた。
 
「瑠衣が……瑠衣の方からわかれようって言ったの?」
 
「うん……。ぼくは昔からふられてばっかりだ」
 
藤堂くんは、そう言って自嘲気味に笑った。
 
「そんなことないでしょ。瑠衣とのことはともかくモテモテなのに。ふって来た、の間違いじゃないの?」
 
冗談っぽく言った私に、
 
「モテモテなんかじゃないよ。学生時代の彼女にもふられてばっかりだったよ。特に大学時代の彼女には“私のこと嫌いになったんでしょ!”とか言われて……」
 
 
う~んと。
この『大学時代の彼女』の話に関しては、わかれを切り出したのは、ホントは藤堂くんの方だろうと私は思う。たぶん彼女を気遣っての、彼なりの思いやりだとは思うけど。
 
 
ま、私の勘以外のナニモノでもないけど。
これはたぶんハズレてない。と思う。根拠はホントにない。
 
 
だけど……瑠衣とのことは正直ホントに読めない。
何かこう、もっと複雑な何かがあったように思える。
遠距離云々って以外に、二人がわかれなくちゃならないような『何か』が。
 
その『何か』が何なのかはわからないけど。
 
 
藤堂くんが黙り込んでしまったので、私は話題を変えてみた。
 
「じゃあ……奥田さんとのことは、ホントのところどうだったの?」
 
彼は我に返ったように目を開けて顔を上げ、私の方を見た。
 
「ごめん。私にはウワサのように二人がつき合っているとは思えなかったから」
 
もう、こうなったら直球勝負しかない。
と言うか、直球勝負以外したことあったっけ?私。
 
「何ていうか……違うよなぁ~って感じ?」
 
そう言った私に藤堂くんは、これまた他の女の子だったら一発で目がハートになって腰が砕けちゃいそうな魅力的で優しい微笑みを浮かべ、
 
「今井さんって……周りの人が思い込んでる印象と違うよね」
 
そう言って、それきり私の質問に答えようとはしなかった。
 
 
う~ん。
何とか少しでも聞き出したかったんだけど。
 
こうなるとムリだよねぇ~……絶対。
 
 
こうして私の作戦(と言うほどのモノではない)は失敗に終わり、その後も誰も真相はわからないまま現在に至る。
 
 
と言うか、むしろ私としては『周りの人が思い込んでる印象』ってとこの方をハッキリさせたかったんだけど。
私が周りに、いったいどう思われてるって?
 
でもとても聞ける雰囲気じゃなく、モヤモヤしたまま聞けずじまい。
当然、結局、藤堂くんとも瑠衣ともその件に関しては話す機会はなく。
 
 
他人事っちゃ他人事だから別にどーでもいいし、ホントなら私が口を挟むことではないんだろうけどさ。
でも、全く興味がないかって言ったらウソになる。
 
それは、あの時の瑠衣の表情が忘れられないから。
あんな瑠衣の顔、初めて見たから。
 
 
……で。
そんな話を蒸し返して探っているのが、奥田さんが結婚する前に入社してきた東郷くんというワケだ。はっは~。
 
 
 
***
 
 
 
そんな数年前のことを思い出しながら、ふと気づけばお昼の時間になる。
昼食を摂りに行こうかとパソコンから顔を上げると、欧州部の方から東郷くんが歩いて来るのが見えた。たぶん社食に行くのだろう。
 
かち合ったら、間違いなくまた根掘り葉掘り聞いてくるに違いない……ので、時間をズラすことにして視線を戻そうとすると後ろから、
 
「今井さん!」
 
片桐課長が、珍しくあくせくしながらこちらに向かって来た。
 
「ごめん!ウチの朽木(くつき)、見なかった?」
 
 
朽木くんと言うのは今期の新入社員で、新人ながらかなり遣り手とのウワサ。片桐課長が目をかけているらしい。
 
 
私も何回か話したことがあるけど、確かに頭の良さそうな子だ。
……ひとクセもふたクセも……七癖くらいありそうだけど。
 
「さっき出て行くのを見ましたよ。食事に行ったんじゃないですか?」
 
そう教えると、
 
「本当?じゃあ、社食かな。ありがとう。ごめんね」
 
そう言って立ち去ろうとして、何かを思い出したように足を止めて振り返った。
 
「今井さん、今度、食事でもどうかな?次回の合同企画のことでアジア部の話も聞きたいし。それに、今井さんとも一度ゆっくり話してみたかったんだよね」
 
 
……ほ。
こりゃ、また、びっくり。
 
 
だけど、別に断る理由はない。
 
「はい。ぜひ」
 
「ありがとう。じゃあ、また改めて」
 
そう言って、今度こそ部屋から出て行った。
 
 
さてと。
私も今度こそお昼に行こうかな……と前を見ると。
 
さっきこっちに歩いて来てて、普通ならとっくのとうに通り過ぎて行ったはずの東郷くんがまだあそこにいるじゃないの!
誰かと立ち話してたらしい。
 
 
ヤバい!と思った瞬間。
 
うわ。
ヤバ……
目が……目が……合ってしまった。
 
 
ヘラヘラ笑いながら私の方に向かって歩いて来るよ……
 
何で、まだいるのよー!
  
 
ヤバいぃぃぃ!!!!!!!!!!
 
 
 
 
 
~完~
 
 
 
 
 
 

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