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声をきかせて〔第8話〕

 
 
 
 ふと気づくと、ぼくはいつの間にか駅にいたらしい。膜がかかったような思考。ただ立ち尽くす。……と。

「藤堂くん?」

 誰かに名前を呼ばれた。聞き覚えのあるその声。

 ゆっくりと振り返ったぼくの目に映ったのは。

「……今井さん……」
 


 

「何、シケた顔してるんだか」

 そう言いながら、今井さんはぼくをどこかの椅子に座らせた。

「ちょっと待ってて」

 ぼんやりと辺りを見回すと、駅に程近い公園らしい。オープンカフェのようにテーブルや椅子が置いてあり、少し離れた所には飲み物や軽食を売っている店がある。

 そうしてる間も、ぼくの脳裏からは雪村さんに言われた言葉が離れなかった。守りたいものを守るためなら鬼でも悪魔にでもなる、と言い切った彼女の。

 ぼくにはあっただろうか。そこまで守りたいと思えるほどの何かが。いや、それとは別に、彼女のことがただ心配で堪らないのは本当のことだ。それをわかってもらえないことに対する苛立ち。

「はい、おまたせ!」

 突然、思考を切断するかように今井さんの声が割り込んで来た。と同時に、目の前のテーブルに何かをドン!と置き、ぼくの手にはカップを持たせる。

「それ、バター茶。ホッとするわよ」

 手の中にあるカップを見下ろすと色的には微妙な液体。今井さんは横に座ると、彼女がバター茶と言った飲み物のカップに口をつけた。ひとりで満足そうに頷く。彼女が言うところの……ホッとした顔なのだろうか。

 おもむろに紙袋をガサガサと探って何かを取り出し、ぼくの前に包みをポンと置いた。

「はい、サンドイッチ。人間、お腹空いてるとロクなこと考えない生き物よ」

 そう言って包みを開け、モグモグと食べ始める。

 今、ぼくの胃は食欲と絶縁しているような状態なのだが。かと言って、ひと言でも何か言ったら10倍返って来そうな予感がするので、湯気を立てているカップの中身をおとなしく口に含む。

「……おいしい……」

 その微妙な色合いからは思いもよらない味に、思わず口をついて出る。胃の中にじんわりと染み込んでいくようだ。

 つぶやいたぼくの顔を、今井さんはモグモグしながら見て「でしょ?」という風に笑った。黙々と食べている今井さんの斜め顔と、前に置かれたサンドイッチの包みを交互に見やる。

 別に彼女はそんな雰囲気にしているつもりはないのだろうけど、とにかく少しでも食べないといけないような気分にさせられ、包みを手に取る。

「……いただきます」

「はい。どうぞ」

 モグモグしながらも返事が返って来ることが、何だかよくわからないけど心地好い。

 取り出すと具だくさんのサンドイッチ。サラダ分の野菜は盛り込まれてます、的な。自分の胃に、何とか消化してくれ、と拝みつつ、ひと口。

「……うまい……」

 本当に美味しい。再び驚きが声に出てしまう。

「ん。ここのパン、たまに食べるんだけど、何かよくわかんないけどおいしいのよね」

 相変わらずモグモグしながら今井さんがいう。

「ひと口食べると、お腹空いてたの思い出すでしょ」

 ニヤっとしながらこちらを窺う。悔しいが否定できない。黙ったままサンドイッチを口に運ぶ。……と。

「はい。これ、おかわりね」

 そう言いながら、ぼくの前にサンドイッチをドン!ドン!と3つほど椀子そばのように置く。

 ……いったい、ぼくをどれだけ大食いだと思っているのだろう。

 いや、待てよ。よくよく考えれば2人分なのだろう、と思い直す。いくら女性でも1つじゃ足りないだろう……と、何気なく今井さんの手元を見ると、ぼくの前に置かれた包みとはまた別の塊が2つ置いてある。恐らく彼女が食べているのは2個目だと思うのだが。

 ……見なかったことにし、とりあえず目の前のサンドイッチに集中することにした。

 それにしてもさすがに4個はキツく、残りをどうしたものかと考えていると「明日の朝ごはんに」と袋に入れて渡してくれた。怖くて聞けないが彼女は完食したのだろうか。知らないうちに。

「はい。これはコーヒーね」

 食べ終わると新しいカップを渡してくれた。コーヒーを飲むと、何だか心も胃も落ち着いたような気がして、ほっと息を吐き出す。

「少し落ち着いた?」

 タイミングを見計らったように訊かれる。

「うん。ありがとう」

「どういたしまして」

 それ以外のことには一切触れない。その感じが何とも言えない気持ちにさせる。逆に話を聞いてほしい気持ちにすら。この場合、甘えてもいいものだろうか。

 その微妙な迷いの空気を読んだのか、彼女らしいひと言。

「何か言いたいことがあるなら今のうちよ?」

 思わずコーヒーを吹き出しそうになる。が、これは甘えてもいいというお許しだ。今は彼女よりもいい藁がいないことは確かだから。その言葉に甘えさせてもらおう。

「……失敗してしまったよ」

 苦笑いしながら、今日の出来事ダイジェスト版を自ら告白。正直、自分で話してかなりヘコむ。しかもじっと聞いてくれていた今井さんの初っ端のひと言は。

「あ~あ。王子も形なしだわね」

「…………………………………………」

 胸をひと突きで瞬殺だった。片桐課長にも同じセリフを言われた記憶が甦り、さらにヘコむ。そこに続けて。

「藤堂くんもさ。フェミニストぶっこいてるけど、ヘンなとこ日本男児よね」

 ……全く意味がわからない。

「全然、意味わかんない、って顔してる」

 ぼくをイタズラっぽく見上げる。どうやら顔に書いてあるらしい。

「あのね。私は『言わずとも察せよ』って日本的以心伝心はきらいじゃないんだけど、言葉にしないと伝わらない大事なことってある、と思うのよ」

 ……ぼくの説明が足りないと言うのか。それとも説明力不足だと言うのか。いったい何がどう足りないと言うのだろうか。

「ぼく、ちゃんと説明してるつもりなんだけど、って顔してる」

 ……頼む。頼むから心の中を勝手に読まないでくれ、と懇願しそうになる。

 どうして良いかわからず、情けないが何だか泣きそうな気分になる。もう、いっそのこと、ひと思いに殺してくれ、という心境だ。……さっき一回、瞬殺されたばっかりだけど。

「ちゃんと伝えないと……ね。雪村さんだってわかんないと思うわよ。まあ一見、だけど、彼女も大概、鈍そうだし」

 ……ボロクソだ。

「伝えるって……ちゃんと説明したつもりだけどね。ぼく……」

 自信のなさから、声が尻すぼみになるところが我ながら情けない。

「どんなに説明したって、相手が理解してないなら何もしてないのと同じよ。営業や企画やってんだからわかるでしょ?」

 ……はい。その通りです。返す言葉もない。

「ってかさ。説明とか言うんじゃなくて、自分の本心を伝えなくちゃ、って意味なんだけど?」

 上目遣いにぼくを見ながら意味深に言う。ぼくの本心?本心って?

 ぼくの不思議そうな顔を見た今井さんは真顔になった。

「……藤堂くん。あなたさ。自分でも気づいてないでしょ」

「……え?」

 また課長と同じことを言う。いったい2人とも何のことを言っているんだろう。何が言いたいんだろうか。

 今井さんは眉間をコイル巻きのようにしてぼくを凝視した。そして天を仰ぎつつ、意を決したように切り出す。

「あのね、藤堂くん。今のあなたのその状態。それをね。世間では“恋にハマった”って言うのよ?」

「……え?」

 ぼくの頭の中は再び真っ白になった。

 今、何て?

 こい……恋?

 恋にハマった、って……

 誰が?誰に?

 ぼくが?誰に?

「頭で考えてもわかんないと思うわよ?」

 コトもなげに言う彼女の顔を凝視したまま固まる。

「あと、他人(ひと)が何を考えてるのかわからない、って思う前に、自分の中はどうなのかって考えれば、少しは答えが出るかも知れないけどね」

「今井さんは……そうなの?」

「私?私はほとんどそうよ。それを口に出すか、頭の中に留めるかは別として、ね」

 彼女には、いつも迷いのようなものを一切感じないのだが、それはそのせいなのだろうか。

 考え込んで俯くぼくの顔を覗き込む。

「 Try and error よ。ま、悩むだけ悩んで、やってみるしかないから。失敗したら、またやればいいのよ」

 本当に他人事に聞こえるけど、彼女が言うと、今のぼくへの最良の励ましってことになるのだろう……恐らく。

「藤堂くんは、周りが作った印象に自分自身が囚われ過ぎてるのよ。どうにも歯車の合わない人ってのはいるけど、普通はちょっとくらい印象からハズレたことがあっても、いきなり相手をきらいになったりしないもんなんだから」

 今井さんの言わんとする意味がいまいちわからなかったけれど、彼女はきっと核心を突いているのだろう。その意味は自分自身で掴まなければいけない気がする。

 彼女はニッコリと笑い、ぼくの肩をポンポンと叩いた。

 

 

 今井さんの、励ましと言っていいのかわからない励ましを受けたせいなのか、翌日からは少し気を取り直して過ごすことが出来た。彼女のすごさは、どんなことでも見方を変えれば大したことじゃない、と人に思わせことが出来るところなのかも知れない。

 そうは言っても、ぼくには新たな悩みが増えたようなものだ。自分のことなのに、雪村さんに対する疑問よりもわからない。

 当の雪村さんの態度は何事もなかったかのように変わりなく、企画の準備も着々と進んでいた。

 ひとつだけ気になることがあるとすれば、やはり村瀬の騒ぎが少なからず洩れてしまったらしく、時折、雪村さんに好奇の視線を向ける人間がいること。ぼくが一緒の時は遠慮がちではあるが、やはり何人かは、通り過ぎてから振り返ってはこちらを見るのがわかる。

 もっとも雪村さん自身は、自分でも言い切ったように全く気にする様子はない。それがせめてもの救いだった。

 もちろん、村瀬の件が洩れたということは、専務と一緒のところを見たという情報も流れていると考えていいだろう。あまり無責任な噂が流れるようなら、一度、専務と直接話してみた方がいいのかも知れない。

 片桐課長も断言した通り、ぼくも思う通り、社長も専務もそんな人ではないはずだが、不名誉な噂は出来れば解いておきたい。

 

 そう言った問題と並行しながら、その日は午後からの打ち合わせのため、2人で社食から戻る途中、大きなトランクを引いている欧州部の東郷くんを見かけた。

 彼のお陰で事前に村瀬の存在を知り得たのだが、ぼくが不甲斐ないせいでその情報のありがたみを半減させてしまったのだと思い出す。

 と、ぼくに気づいた東郷くんが、人なつこい笑顔を浮かべて近づいて来た。

「藤堂先輩、お疲れさまです!」

「お疲れさま。東郷くん、出張?」

「はい。今、戻って来たんです。今日のうちに報告だけでもしておけば楽なので……あ、雪村先輩もお疲れさまです!」

 ぼくの陰に隠れていた雪村さんは軽く会釈しただけだが、東郷くんはニコニコと気にする様子もない。

「海外営業部は出張が大変だよね。最近のヨーロッパはどう?」

「不安定ですね。やっぱり情勢が悪いから……」

 少し曇らせた顔に、やはり少し疲れが見える。

「そうか……ごめんね。帰って来たばかりのところを引き留めて。またヨーロッパの状況も教えて」

 そう言って戻ろうとした時。

「あ、あの!藤堂先輩!」

 東郷くんが慌てたように呼び止める。

「ん?」

 東郷くんはちょっと困ったような表情を浮かべ、目線を左右に動かす。そして、これは気のせいだったのかも知れないけれど、ほんの一瞬、チラリと雪村さんの方を見てすぐに逸らし、

「いえ、すみません……何でもないです」

 そう言って欧州部へとトランクを引っ張って行った。もしかして、また何か情報を掴んだのだろうか。いや、それならきっと教えてくれるだろう。

 釈然としなかったが、打ち合わせの時間が迫っていたので企画室へと戻る。
 

 打ち合わせは企画室の全員が参加して行なわれた。野島くんを筆頭に、皆の積極的な意見が交錯する。雪村さんの説明会を聞いてからの野島くんはさらに意欲的になり、他の3人もそんな彼に感化されているようでいい傾向と言える。

 議論は白熱し、国内営業向けの課題はまとまったが、海外営業向けは持ち越しとなった。次回までに、また各々の意見をまとめてもらうことで締める。

 ミーティングルームから自分の机に戻ったところに、室長が少し急いだ様子で現れた。

「藤堂くん、打ち合わせの方はどうかね?」

「今日は国内のまとめで締めました。海外用は次回に持ち越しです」

「ふむ。今、特にヨーロッパは厳しい情勢だからな……難しいと思うが頼むよ」

「はい。何とかいい案をまとめたいと思います」

 室長は頷くと、少し言いにくそうな様子で切り出した。

「ところで、藤堂くんに頼みたいことがあるんだが……」

「はい、何でしょうか」

「うん。実はな。いつもは他の部署に頼んでいる件なんだが、今回、合同の企画に当たって企画室の方でデータを作成できないかと言われてね……これなんだが」

 室長から見せられた過去のデータを見ると、膨大な情報量が盛り込まれている。これを作成するのは骨が折れそうだ。しかも企画の進行と同時となると、さすがに厳しいとしか言いようがない。

 ぼくの表情から、それは室長も容易にわかったようだ。……が。

「何とかならないかね」

 この件については、確かに企画室が一番詳しいことは間違いない。間違いないが、如何せん、時間が追いつかない。

 どうしたものか。

 ここで引き受けてしまうと、いくら仕事とはいえ、正直かなり厳しい。1日は24時間しかないのだ。土日を費やしても終わるだろうか。とにかく情報量が多過ぎて目途が立たない。

 データを見ながらじっと考え込んでいるぼくを見ていた室長が、困ったような祈るような表情を浮かべている。

 やはり、やるしかないか。

 少し猶予をもらってでも、土日を充てれば何とか……そう思い、室長に承諾しようとしたその時。

「室長。お話し中に申し訳ありません。少しよろしいでしょうか」

 後ろから静かな声が響いた。室長だけでなく、ぼくも驚いて振り返る。

 ━雪村さん?いったい?

 そう思っていると、静かな声のまま、彼女は室長に向かって訴えた。

「差し出がましいことを申し上げるようですが、藤堂主任はまだ慣れない私のフォローに加えて、全ての資料や書類のチェックもして戴いております。休日もほとんど休まれていないようで、先日は土日とも出社されています。何とか以前の部署の方に、引き続きお願いすることは出来ないでしょうか」

 室長は呆気に取られて雪村さんを見つめていた。正直ぼくも、説明以外でこんなにしゃべった雪村さんを初めて見た気がする。しかもぼくを擁護してくれてのことだ。

 ハッと我に返った室長は雪村さんとぼくを交互に見て、そして頭を掻いた。

「そうか。そうだよなぁ。最近、皆に相当無理させてるのわかっていたんだが……何だか藤堂くんなら何でも出来そうな気がしてしまっていたよ。日曜まで出ていたとは気づかなかった」

「室長、そんな……」

 室長が外部に対して緩衝役になってくれていることは充分に知っている。すると雪村さんは自ら原因を被ってくれた。

「申し訳ありません。出来る限り早く、完全に引き継げるように努力致しますので」

「いや。きみが他の人よりも遥かにやってくれていることもわかっているよ。私の方が無理を言い過ぎたんだ」

 室長は頭(かぶり)を振りながらそう言い、戻って行った。

 室長に申し訳ないという気持ちは充分にあったが、正直、他に回して貰えたことはありがたかった。

 室長の姿が見えなくなると、雪村さんも自分の席に戻ろうと踵を返した。ぼくは慌ててお礼を言う。

 室長も言っていたように、もはや雪村さんは引き継ぎなど完璧にこなし、しかも戦力としてなくてはならない存在になっていることは誰しも認めるところだ。なのに、敢えて自分を原因にしてくれたのだ。

「……雪村さん!……あの……ありがとう。室長には申し訳なかったけど、正直言うと助かったよ」

 ━━その時。ぼくは耳を疑った。

「しんどくないですか?」

「え……」

 今、何て?

 驚いて目を見張るぼくに彼女は言った。

「いえ、気のせいなら余計なお世話でした」

 彼女は心の内をあまり表情に表さない。かなりのポーカーフェイスだと思う。今の言葉は、いったいどんな意図で聞いてきたのか。

 どうも『具合が悪そう』とかそういう意味で言ったようには聞こえなかった。そんなぼくの心の内を知ってか知らずか、彼女はその会話を打ち消して既に自分の仕事へと意識を移している。

 それにしても、仕事に関すること以外の言葉では、この言葉が、彼女がぼく自身のことについて発してくれた初めての言葉だったように思う。

 彼女がどういう意味で言ってくれたのかはわからない。

 わからないのに、ただ何故か、心が軽くなるのだけを感じた。

 
 その言葉の意味を確認したい気持ちに駆られながらも、打ち合わせのまとめや次回の説明会の準備も終わらせてしまわなければならない。ひとつひとつ進めて行かなければ。

 雪村さんが確認して持って来てくれる資料を、今度はぼくが確認して行く。手直しして、まとめてから室長に確認してもらう。野島くんたちも黙々と仕事を進めて行く。

 そこに再び室長が現れ、ぼくに耳打ちするように小さな声で告げた。

「藤堂くん。今、入って来た情報なんだが、伍堂が動いたらしい」

「え……」

 『伍堂』と言うのは位置づけとしては『財閥』に近い。それもかなりの規模で我が社にも大きく関わっている。

「突然ですね。何かあったんでしょうか」

「昨今の情勢のせいだとは思うんだが……それにしても経緯がよくわからないんだ」

「……一応、各部署にも気を配っておいた方が良さそうですね」

「うん。小さい情報でも気にかけておいてくれるかな」

「わかりました」

 杞憂ならいいのだが、何か大きな動きになるかも知れない。そう思いながら資料に意識を戻す。目を通しながら修正を入れていると、雪村さんに声をかけられた。

「藤堂主任。こちらの資料の訂正が終わりました。それと、先日、欧州部に依頼された資料を作成しましたので確認して戴けますか」

「え、もう出来たの?さすがだね……ごめん、ちょっと待ってくれる?」

 確認していた資料の確認を済ませて、まず彼女が訂正したものに目を通す。

「うん。これでいいね。これはこのまま室長に提出するよ」

「はい。そして、こちらが欧州部用の資料です」

 めくりながら目を通す。さすがに完璧に近い。が。

「雪村さん。ここのところ。これは営業にはこれだとわかりにくいと思う。だから……」

 業務としての営業経験がない彼女に、いくつか営業向けの説明を入れてもらうように指示する。すると、資料を一緒に覗き込んでいた雪村さんの視線が、不自然な方向へと流れた。

 
 不思議に思った、その時。

「変わらないわね」

 一瞬、ぼくの思考は完全に停止した。

 聞き覚えのある声。もちろん今井さんではない。

 雪村さんが見ているのと同じ方向へ、ゆっくりと視線を動かす。

 艶やかな微笑みを浮かべ、ぼくたちの方を見ながら立っている女性が目に入る。

 呼吸が止まったような感覚。息を吐き出すように、ぼくはその名を言葉にした。

「……瑠……坂巻さん……」

 ぼくの声に応えるように、彼女はさらに艶然とした笑みを深める。

「企画室でも営業経験が役に立っているみたいね。そ……藤堂くん」

 
 ━━瑠衣。

 4年ぶりの再会だった。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 

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