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片桐課長のあれやこれやそれや〔起編〕

 
 
 
 おれが彼女のことを『里伽子』と名前で呼ぶようになった翌週。

 そう。おれの早とちりから、前倒し的にあんな流れになってしまったものの、元々はその週末に『埋め合わせをする』と約束していた週。勝負を賭けようと考えていたはずの週末はもうすぐ……のはずだった週。

 そんなこともあり、北条のことなんかもすっかり頭からすっ飛んでいたのに、狙ったかのように専務から打ち合わせの予告。……絶対に監視されてないか?おれ。

 内容から言って、さほど時間を取るとも思えないが、万が一と言うこともある。仕方ないので、彼女におれの部屋で待っててくれるように連絡すると……。

『それならば、土曜日にしましょう』

 ……瞬殺で却下された(泣)。

 いや、おれが逢いたいんだよ、その日のうちに!

 一度、タガが外れた気持ちは、抑える必要がなくなっただけに、我慢するのは容易じゃない。

 だが、おれも営業の端くれ。一度や二度じゃメゲんぞ、とばかりに押す。ダメなら引く。そして、また押す。

 そのために、最初の夜……いや、その翌日の昼間、あれだけ大論争し、何とか彼女に勝利したのだ。

 ……『勝利』と言う表現が正しいかどうかはわからないが。

 ━思い起こせば、先週末。

 散々、やらかして、里伽子をなかせまくって、翌朝。

 それでも、まだ何とか必死に抑えて加減した……方だとは思う。

 離れがたくて、離したくなくて、ガッチリと抱きしめたまま朝を迎えた。

 おれの腕の中でぐっすり眠っている、意外なほど子どもっぽい寝顔を見ながら幸せ気分にニヤける自分が、今、思うとかなりイタい……。

 目を覚ました時、里伽子はどんな顔をするのか。そんなことを楽しみにしていることもかなりイタいが、その時はそのことで頭がいっぱいだから恥ずかしくない。ひたすら待っていると、しばらくして彼女がモゾモゾと動き出した。

 寝たフリをしながら様子をチラ見……していたのだが。「……ん……」と声を洩らしながら身体を伸ばし始めた里伽子の妙に色っぽい顔と姿に、またもやおれの脆弱な理性が吹っ飛ぶ。

 まだ半起き状態くらいの、現状把握をする前の里伽子に仕掛けて一戦……いや、何戦か交え……ウソついた……また散々やらかした。

 つまり、初めての寝起きのビックリ顔は見損ねた、と言うことだ。自業自得だが。

 いつまでも里伽子を離そうとしないおれとは裏腹に、次第に彼女の方は空腹で不機嫌になって行く。ご機嫌を損ねないよう、昼近く、ようやくメシを食いに出た。

 メシを食いに行くに際しても、「食事をしてそのまま帰る」と言う里伽子を、「パソコンと辞書じゃ重いから車で送る」とか何とか説き伏せ、再び家に連れ込む……いや、連れ帰る。

 事件はそこで起きた。……おれにとっての『事件』だが。

 里伽子を再び連れ帰ったのには、一応、訳はあった。断っておくが、こればかりは決してやましいことではない。……いや、全くないと言えば嘘になるが。

 リビングでソファに座ったものの、何となく早く帰りたそうな里伽子。

 そんなに早く帰りたいのか……テンションが下がる。おれが張り切り過ぎたのがいけなかったのか……。

 気を取り直して本題に入るため、おれは寝室からある物を取って来て里伽子の前に置いた。

 『それ』に目を落とし、少し目を大きくした里伽子が、無言でおれの方を見る。

「……持ってて欲しい」

 『それ』とは、おれの部屋の合鍵。いきなり、と思われるかも知れないが、こうなった以上、おれは全ての迷いも躊躇いも排除していた。……が。

「いえ、ムリです」

 ……再び、瞬殺で却下された(泣)。

 テンション、駄々下がり。

「……何でだ?確かに、まあ、その、こうなって昨日の今日でいきなり、と思うかも知れないが、これまで、おれもおれなりに色々と考えて来たつもりで……」

 それでも説得を試みる。営業心得第二条『説得と納得』だ。

「……人の部屋の鍵を持つとか……そこまで私、責任を負えません」

 こ、こ、こ、これは……この展開をどう考えればいいのか、さっぱりわからん。

「……い、いや、そんな難しい話じゃ……た、例えば約束してておれが遅くなりそうな時とか……」

「別に自分の部屋にいればいいだけのことですから。それに、主のいない部屋に勝手に入るなんて、あまりいい気分じゃありません」

「ま、まあ、入る入らないはともかく、とりあえず、持っててくれるだけでも……」

「万が一、落とした時とか、もし課長の部屋で何かあった時とか、私、責任を持てません。だからムリです」

「……………………………」

 ……おかしい。おれは今まで、人に合鍵を渡したことなんてないが、人づてに聞いた話とまるで展開が違うぞ。

 曰く『合鍵をくれないと拗ねられた』『合鍵を渡したらメチャクチャ嬉しがっていた』と言う話ばかりで、『合鍵を渡そうとしたら拒否られた』と言う話は聞いたことがない。

 おれは、その手の情報をおれにもたらした友人・知人たちに、逆恨みとはわかっていても、一瞬、殺意さえ抱いた。

(話が違うじゃないか!)

 おれは困惑を隠せず、追い打ちをかけるかのような無言の間が辛い。だか、何とか説得したい。……いや、待てよ?もしかして?

「……あの……な?おれの合鍵を渡したからと言って、きみの部屋の合鍵を渡せと言ってる訳では……ない……ぞ?」

 そうだ。里伽子はそれを嫌がっているに違いない。それなら問題ない。

 おれは女性の部屋の鍵なんて持ちたくない。里伽子がいる時に訪ねるのも何となく小っ恥ずかしいのに、不在の時に黙って30面の男が侵入出来るか!怪しまれるに決まってる。きっと里伽子もそれがイヤに違いな……

「……課長が私の部屋の鍵を持ってくださると言うなら……イヤですけど……ホントはすっごくイヤですけど……仕方ないです……私もお預かりします」

「……………………………(……い?)」

 ……おかしくね?この展開……。しかも、何だか微妙に墓穴を掘った気がするのは気のせいか?

「……本当に入るか入らないかは別として、実際問題、おれがきみ不在の部屋に出入りしてたら、確実に不審な男だろう?ヘタしたらストーカー……」

「私が課長の部屋に出入りしたって同じです」

「いや、やっぱり多少は違うだろう。なんだかんだ言って、男と女じゃ世間が見る目が……」

 第一、おれはもう里伽子のマンションで、派手に目立つ振る舞いをやらかしているのだ。

「私はそうは思いませんが、どちらにしても、そこまでの責任を負いたくありません。ですから、この話はなかったことに……」

「わかった!」

 話をブッ千切ろうとする里伽子に、おれは半分だけ折れることにした。

「……おれもきみの部屋の鍵を預かる。それは、万が一の緊急時、つまり、きみが動けなくなっていたりする時に、管理人を呼ぶ手間を省いて入るため、と言う名目で……預かる」

 里伽子は少し驚いた様子でおれの顔を凝視した。まさか、おれが折れるとは思わなかったのだろう。だが、おれは何としても里伽子に合鍵を持って欲しかったのだ。我ながら子どもじみてはいるが。

 何故、そこまで拘るかって。

 本当に子どもじみているのはわかっている。わかってはいるが、里伽子に『初めて』を渡したかったのだ。

 確かに人の部屋の鍵なんて、責任問題として重いものだ。おれだってそれくらいわかってる。信用している、されている、なんてありきたりのことで喜べるようなことじゃない、それでも。

 この部屋に引っ越して来て数年。今まで里伽子以外の女を入れたことはない。実は、お袋でさえもここに来たことがないのだ。だからこそ。

 おれは里伽子の横顔を見つめ、祈るような気持ちで返事を待った。

 置かれた合鍵を見つめたまま、里伽子はじっと考え込んでいる。一見、不機嫌そうなその顔に迷いが見て取れるが……すごく嫌そうなのが本当にヘコむ。がんばれ、おれ。

「……………わかりました……………お預かりします……………」

 ものすっごーーーく長い間(ま)を経て、ようやく、ようやく!里伽子が折れてくれた。

 我ながらアホくさいが、大口契約を取れたくらいの達成感。まあ、仕事の契約なら、おれはほとんど折れたりしないが。

 ……つまり、取り引き先より里伽子の方がうわ手と言うことなのか……やっぱり、おれが課長職なのおかしくないか?

「……ありがとう」

 おれの言葉に、まだ何か言いたげな里伽子の顔。思わず攻撃に身構える。

「……帰ります」

 拍子抜けとともに、テンションが底辺まで下がるひと言。おれにとっては、ある意味、最強の攻撃とも言える。

「……わかった。キーを取って来るから、少し待っててくれ」

 だが、合鍵の件をオッケーしてもらった手前、今日はこれで退いておかねば。

 車で走っている間、里伽子はほとんど口を開かなかった。この無言が怖いのだ。おれは突然の攻撃にずっと身構えてる状態。辛い……。

 マンションの前に着くと、部屋番号さえ置いておけば、備え付けの駐車場に停めて大丈夫だと言う。だが、別に彼女が降りるだけなのだから、と思っていると、里伽子がバッグの中から部屋の鍵だけを取り出して降りようとする。

「え、里伽子、バッグ……」

 おれの言葉に、無表情で振り向く。

「……私の部屋の鍵を取って来ます」

 ……おれがそのまま帰ろうとしていたことなんてお見通しだったらしい。そして、今を逃せば、意外と忘れっぽい里伽子のことだ、なかなか渡せる機会はないだろうなんて考えていたことも、しっかり見抜かれていたらしい。

「……わかった。車を停めさせてもらう」

 マンションの駐車場に停めさせてもらい、パソコンと辞書の入ったバッグを担いだ。部屋の前まで行くと━。

「!!!!!!!!!!」

 ヤツだ!あの宅急便の配達人!

 そうか!里伽子が帰りたそうにしていた理由は荷物が届く予定だったからか!

 おれと早く離れたかった訳ではないとわかり、胸を撫で下ろす。……が、再びの戦闘態勢。

「あ、ごめんなさい。今……」

 里伽子の声にパッと笑顔で振り向いたヤツが、横にいるおれを認めた途端に眉をひそめたのがわかる。鍵を開けようとする里伽子の後ろに回り込み、ヤツの視界から遮ってやった。ふん!

「サインでも結構ですよ」

 そう言う配達人に「すぐ出ますから」と言いつつ、中に入って行く里伽子の後ろから入り、ヤツが入って来ないようにそこで仁王立ち。水面下で飛び散る火花。

 印鑑を持って来た里伽子が荷物を受け取ると、「ありがとうございました」と普通を装おって去って行ったが油断ならない。

 やはり里伽子の鍵は預かっておいた方が良さそうだ。おれはいったい何をどこまで想像しているのか……心配と妄想は果てしなく広がるばかりだった。

 リビングに座っていると、里伽子が奥から合鍵を持って来ておれの手に渡した。

「上の鍵と下の鍵です」

「うん。おれのもこっちが上で、こっちが下だ」

 里伽子から受け取った鍵をキーケースに厳重に付けた。里伽子も同じように付けている。実際の鍵の重さ以上に重みを増したキーケースを、おれはしっかりと握りしめた。

 鍵をポケットにしまい、里伽子の方を見る。里伽子もおれの顔をじっと見ていた。思わず里伽子の頬に手を伸ばす。

 両手で頬を挟み込みながら、この部屋に入った男は前にもいるんだろうな、なんてどうでもいいことを考える。いや、それならば、その痕跡はおれが全て拭い去るだけだ。

 ゆっくりと顔を近づける。

 ……が、これが里伽子は、なかなか目を閉じてくれないのだ(泣)。

 そっと唇を重ねると、ようやく目を閉じてくれた気配。そのまま抱き寄せると、素直に身体を預けて来た。

 その後、里伽子のベッドでも散々……以下同文。

 結論。そのまま帰らなくて良かった。

 そんな経緯で、何とか里伽子に合鍵を持たせることに成功し、翌週の火曜日、つまり今日。明日も専務に呼び出されていて、この上、金曜日まで。もう、金曜日に里伽子の顔でも見ないとやってられない。

 そんなおれの心を知ってか知らずか、断りの瞬殺。しかも「その日に逢いたいからお願いします」的に連絡したところ……今、現在、返事なし(泣)。

 また作戦を練り直し、別方向から攻めるしかなさそうだ……。

 本当に『今井里伽子』は一筋縄ではいかない。
 
 
 
 
 
『片桐課長のあれやこれやそれや・起編』~おしまい~
 
 
 
 
 
 
 
 

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