新規合成_2020-03-01_18-03-32

呼び合うもの〔拾壱〕~かりやど番外編~

 
 
 
 訊いてしまった優一も、もう、それ以上は何も言えなかった。
 
「……すまない……」
 何もなかったように首を振る朗を、優一の方は言いようのない気持ちを抱えて見つめた。その目の端に、謝罪するようにうなだれた夏川の姿が映る。
 
「……あの時、美鳥が助かったのは……そして、それから10年もの間、何とか生きて来れたのは、もうそれ自体が奇跡です。先生の尽力と、昇吾の祈りだけが成し得た……二人が叶えた奇跡に他ならない。それがなければ、ぼくは二度と、美鳥どころか昇吾にも再会することはなかったかも知れません」
 
 全員が押し黙った。
 春の胸には、その時の夏川と昇吾の様子が、まるで昨日のことのように思い出される。
 
 やがて、考え込むように視線を下げた優一が、己の中で決断を下したのか、ゆっくりと顔を上げた。
「おれは、全てきみに一任したいと思う」
 朗が視線を合わせる。
「おれには仕事と並行して松宮の……いや、敷島の管理をするなんて無理だ。おれは仕事柄、時間の自由が効かない。行動の規制も多過ぎる。だから、それは今まで通りきみに頼みたい」
 言い切った優一に、全員の視線が注がれた。
「特に何かして戴かなくても大丈夫ですよ」
 しかし、朗は何ら動じることなく返す。
 
「特に指示がなくとも、あなたと、あなたの家族を守るために動く……それが、それこそが松宮家に仕える者……どれほど細い糸であっても、決して途切れることなく続いて来た理由です」
 
 しかし、優一も退かなかった。
「確かにそれはあるんだろう。だが、そこには限界があるはずだ。指揮系統のない組織は、巨大であればあるほど次第にバラけて行く。例えば手足だけで動くことは出来ても、それが必要且つ合理的な動きであるのかは、また別だ。統率のとれた動きに、やはり頭は必要……違うか?」
 
 静まり返った中で、全員が固唾を飲む。
 
「先生の傍で、おれはそういう人間を何人も見て来た」 
「……優一さん……」
 睫毛を翳らせて言う優一に、朗は少し驚いた表情を浮かべた。
 
「どうしても、おれの何らかが必要だというなら、それはそれで仕方ない。その時は何とか善処しよう。何か決めなければならないことがあるなら、それも何とか協力する。だが、それはそれとして、別の問題としてきみに運営を委託したい。それならどうだ?」
 
 二つ返事など出来るはずもなく、さすがに朗も迷わざるを得なかった。準備が済めば、全てを優一たちに引き渡し、終わりにするつもりでいたのだから。
 とは言え、確かに彼の言うことにも一理ある。
 
「配偶者が関わるとロクなことがない、ってのは考えないでくれ。おれが言うのもナンだが、もし、おれのことを気に入らないからと言って、きみは美鳥に関係あるものを、故意に不利な状況に追い込んだりは出来ないだろう? それに、本当に必要なものなら、本来は黙って放っておいても残るはずだ。それでも、出来る努力をそこに加えないのは戴けない」
 
 それを聞いた時、朗の脳裏には別の角度からの確信が浮かんだ。
 
 この男は、間違いなく松宮家の直系だ──と。

 一度、目を瞑り、朗は唇を引き結んだ。
「……わかりました。依頼として、正式な契約を踏まえた上でお引き受けします」
 優一が頷く。
「これでおれたちの健康管理は万全だ。一安心だな」
 和沙に向かって笑いかけると、思わず全員の表情がゆるんだ。
 
 そして夏川は、何かに、何かを赦されたかのように強く瞑目した。己に言い聞かせているのか、納得するように小さく頷きながら。
 
「では、ある程度の内容だけでも……」
 朗が言いかけた時、突然、春が立ち上がった。
「朗さま。もうお昼をずいぶん過ぎておりますので、少しご休憩されては……お食事の用意を致しますので、その後になさってはいかがでしょう。第一、この春に難しい契約のお話などお聞かせ戴いても……」
 全員が顔を見合わせ、知らずに入っていた力が肩から抜ける。
 
「それもそうですね。すみませんが、お願い出来ますか?」
「はい」
 春もホッとした表情で頷く。
「もう下ごしらえは出来ておりますので、あたためればすぐに。少しお待ちくださいね」
「あ、私、お手伝いします」
 すぐに和沙が立ち上がった。
「まあまあ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
 普段なら遠慮する春が、和沙の申し出を嬉しそうに受け入れ、連れ立って歩いて行く。それは、少しでもこの雰囲気からの気分転換になれば、という春なりの和沙への心遣いでもあっただろう。
 
「我々も皿出しくらい手伝うか……」
「……そうだな」
 顔を見合わせた夏川と佐久田が同意し、ダイニングの方へ歩き出す。
「春さんの手料理を戴くのは久しぶりだから嬉しいな」
 佐久田の言葉に夏川が悪戯っぽく笑う。
「だーかーら。お前もここに住めばいいんだよ。そうすりゃ移動の手間も半減、春さんの料理も毎日食えるぞ」
「冗談はやめろ。毎日、お前と面(つら)を合わせてたら、おれは間違いなく禿げる」
「おいおい、おれのせいかよ」
 
 何だかんだ言いながらも楽し気な二人の後ろ姿に、朗が何かを重ねるように遠い目をする。
 そこには『羨望』の文字が色濃く映っており、すぐに優一は理由に思い当たった。
(昇吾を思い出してるのか……)
 楽し気な朗と昇吾の姿──つい、さっきまで見ていた写真の中に輝いていた笑顔。美鳥を挟んだ二人の、さらにまぶしい時が脳裏を過る。
 
「ぼくらも行きましょうか」
 それでも、ほんの一瞬で元の表情に戻り、朗が動き出した。先を行こうとする朗を、優一が目で追う。
「……朗くん」
 背を追いかけて来た声に、朗は足を止めて振り返った。
「……はい?」
「もうひとつ、言っておきたい」
 返事にはわずかに間があった。
「何でしょうか?」
 まるで、問い返す朗を試すように、いや、己も何かを覚悟するかのように、優一の目が真っ直ぐに朗を見ていた。
 
「さっき言ったように、おれは、おれが松宮家の直系であることを受け入れよう。だが、これからのおれは尚の事、必ずしも『清廉潔白』でいられるとは限らない。決して『正しい』とは言えない……むしろ、明らかに『正当性のない』手段を用いることがあるかも知れない。目的を果たすためなら、どんな手段も厭わない……いや、手段を選んではいられなくなる可能性は高い」
 
 朗は黙って聞いている。
 
「……いつか、おれがこの手を汚した時、松宮は……いや、敷島はおれをどうする? 世の理を逸脱したとして排除するか? それとも、それでも松宮の直系だからと……それだけの理由で主として仕えるのか?」
 
 互いの真意を探るように視線を交えると、ややして朗は睫毛を伏せた。
「例えば、あなたが聖人君子であろうと、罪人(つみびと)になろうと、関係ありません」
「……何……?」
 意味を掴みかね、優一が鸚鵡のように訊き返す。
 
「あなたを、引いては松宮の血筋をどうするか……それは、天が決めることです。必要と判断すれば残し、必要ないと判断すれば消え往く……それこそが、松宮家の運命(さだめ)そのものです。現に今、名も家も、その名を冠していた主すらも失われて、それでもあなたという存在に繋がり、残っている」
「…………!」
 
「松宮には名も家も必要ありません。そんなものはただの器に過ぎない。その器を借りているものが必要とされるか否か、であって。
 何より、求めるものも、残るものも、そして呼び合うものも、結局、決めるのは現身(うつしみ)を借りて在る中身……魂や心、想いの方なのですから」
 
 感情を顕にしている訳ではないように見える朗の目が、何よりも激しく自分の目に訴えているように優一には感じられた。
 
「……それを言うなら、昇吾も美鳥も、法的には赦されないことを……例え、報復のためであろうと、決して赦されない罪を犯しています。いや、ぼくがやっていることも赦されない」
「だが、それは……」
「美鳥たちが赦されない世界に踏み切ったこと……その状況に追い込まれたことで、あなたは自分の出生を知ることになり、不本意でも認めざるを、負わざるを得なくなった。必然的に。それは、天が決めた、ということです。それこそが。
 もちろん、これからどうなるのかは誰にもわからない。けれど、そこに執着しないのも、また、松宮が続いて来た理由のひとつなのかも知れません」
 
 固唾を飲む優一に、朗は静かに微笑んだ。
「……とはいえ、ぼくの本音としては、美鳥の兄であるあなたと、ぼくの従姉である和沙には、平穏無事な人生を過ごして欲しい、とは思いますが……」
「……善処する。……頼りになる義弟(おとうと)も出来て、手段の選択肢は増えた訳だからな……」
 その言葉に、朗は一瞬驚き、すぐに返事のように睫毛を伏せた。
「……大丈夫ですよ。彼女は手ごわい。あなたはたぶん、道を著しく外れることは出来ません」
 謎かけのようでいて核心を突いた朗の言葉に、優一も笑いを堪えるしかなかった。
 確かに、その通りかも知れない、と。

 *

 食事の後で大まかなことを話し、さらに春が用意した軽食を共にした頃には、既に辺りは暗くなっていた。
 話が尽きることはなく、結局、続きは次回に先送りすることになり、優一と和沙は名残惜し気に帰り支度を始めた。
 
「まだ訊きたいこともたくさんあるので、近々、またお邪魔します。ああ、それから健康診断にも」
「いつでも、どうぞ」
 夏川が笑って応えると、春も申し出た。
「今度は、ぜひ、お母様もご一緒に……」
「はい、必ず。母も喜びます」
 春にも、そして沙代にも、初めて過去を共有出来る相手が見つかったのだ。
 
「じゃあ、また。何かあれば連絡を」
「ええ」
 朗の返事に、優一が笑いかけた。
「じゃあ、失礼します」
「お気をつけて」
 
 全員に見送られ、二人は朗の元を後にした。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 

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