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魔都に烟る~part23~

 
 
 
 ローズは静かにレイの傍らに立った。その顔を、レイが感情の読めない目で見上げる。

 (……恋や愛なんかじゃない。まして、情などであるはずもない。……だけど……)

 ローズは、レイが身体をもたせかけている長椅子に膝をつくと、自分の心臓の真上に、そっと彼の頭を抱き寄せた。

 抵抗するでなく、驚くでもなく、レイはぴくりとも反応しない。━が。

 「……何のつもりですか?」

 実際にはほんの数秒とも思える後、穏やか、ではあるが、何の感情も反映していない無機質な声が響く。

 ローズはレイの頭を離し、その瞳を覗き込んだ。何も映していないかのような漆黒の瞳に、自分の姿だけが映り込む。

 「……ひとつだけわかっていることがあるわ……」

 真っ直ぐに目を見つめたまま、ひとり言のように放たれたローズの言葉に、やはりレイからの反応は何ひとつなかった。

 「……あなたがいなければ、私の本当の目的が果たされることはない……」

 レイが僅かに眉を動かす。だが、ローズはレイの瞳を捉えたまま言葉を繋げる。

 「……これが一番確実で、そして手っ取り早い方法なんでしょう?」

 そう言って、ふたりは、ただ、見つめ合う。まるで瞬きすら無用であるかのように。

 時さえも止まったような空間の中、ローズはレイの頬に手を添えると、静かに額に唇を落とした。一度離し、今度は唇に。

 差し込む強烈な西陽の中、ふたつの影がひとつに溶け合う。

 その炎のように赤い陽射しと、落とし込まれた黒い影が、すぐにも訪れるであろう闘いの色を、そのまま壁に閉じ込めているかのように映し出していた。

***

 ━夜半。

 レイの部屋のテーブルを挟み、ふたりは座っていた。時計の音だけが響く。

 他の使用人とともに消えてしまったと思っていたヒューズは、夕刻、レイから言い付けられた用事を済ませて戻っていた。どうやら彼だけは人間であったらしく、本当に代々ゴドー家に仕える家系であることを説明される。

 「……ガブリエルは来るかしら……」

 カップを手にしたローズが呟く。上目遣いにローズの方を見たレイは、ヒューズが注いだ紅茶を含み、小さく頷いた。

 「私が回復しないうちに早々に来るでしょう。ガブリエルもそれなりのダメージを受けてはいるはずですが、オーソン男爵がついていますから……」

 「ガブリエルも怪我をしているの?」

 意外な言葉を受け、あの状況に於いてもレイが攻撃を仕掛けることが出来たのか、とローズは驚く。━が。

 「……きみが私を庇い傷ついたことによって、きみの身体に施された護符の力が働いたのです。カブリエルも相応のしっぺ返しを食らっているはず……ですが……」

 レイは、そこで一度言葉を止める。

 「……オーソン男爵は侮れない人物です。手段を選ばない上、ある意味、歴戦の強者と言える。当たり前ですが、経験値に於いては私の父をも上回ります」

 そこまでレイが言った時、ローズは鼻を掠めた臭いに意識を引き付けられた。

 「……どうやらお出でになったようですね」

 レイがカップを置きながら坦々と言う。

 同時にヒューズに目をやり、小さく目配せをした。

 「……ヒューズ。後のことは頼んだぞ。手筈通りに……」

 「はい、セーレン様。かしこりました。……どうぞ、お気をつけて」

 「……ああ」と義務的にしか聞こえない返事。

 ローズには意味不明の、ふたりだけのやり取りの後、ヒューズはローズに一礼し、

 「ローズ様。護符の力をお忘れなきよう」

 そう言い残し、部屋を後にした。

 ヒューズが扉を閉め、気配が遠ざかったと同時に、レイが部屋中に施していた護符の札が反応し始める。そして、地鳴りとは行かないほどの微細な振動が、足元から絡み付くように這い上がって来る気配。

 レイは静かに立ち上がり、無言でローズを手招いた。その手に導かれ、ローズがレイの脇についた時、突然、突風が巻き起こり、次いで護符の札に青白い稲妻のような光が走る。

 突風に煽られた髪の毛を押さえながら、ローズが前方を見遣ると、そこには不敵な笑みを浮かべたガブリエルの姿があった。

 「さすが、ゴドー伯爵の結界印は強力ですね。屋敷ごと破壊しなければ入れないかと危惧するほどでした」

 感心すると見せかけて、暗に自分の力を誇示するガブリエルに、レイはまたしても何の反応も示さない。そのまま口の中で何かを唱え、空を切り裂くように揃えた二本の指を左右に振る。

 「……ご心配には及びません。ちゃんとあなたが入って来れる程度にはしておきましたから」

 嫌みならレイの方が痛烈であった。最も、レイ自身が嫌みを言っている自覚があるかは不明であるが。

 とは言え、ガブリエルには覿面(てきめん)であったらしい。不快を顕にしたガブリエルが、何とか己を抑えようとしている様子がありありとわかる。

 「それにしても、あの怪我でよくもまあ助かったものですね……姉上」

 大して驚いた様子もなく、ローズに目線を向けながら薄ら笑いさえ浮かべて言い放った。

 「……あの状態から回復させるなど、相当な無理をしたでしょう?」

 楽しげにレイに問う。そんなガブリエルに、レイはやはり硬質な声で返した。

 「あなたこそ、よくもこの短時間でそこまで回復出来たものです。何をしたのですか?」

 ガブリエルの口元に、さらなる酷薄な笑みが浮かぶ。

 「あのジジィ、年寄りのくせに力だけはあるからな」

 「……………」

 無言のままのレイの横顔を、ローズが見上げた瞬間。

 「全て奪ってやったのさ」

 (……え……?)

 ローズの視線はそのままガブリエルの方へと流れた。意味がわからず、ただ困惑する。

 「……オーソン男爵を……」

 「そうだ。あのジジィ、骨の髄まで力を吸い取ってやったんだ」

 (今……何て……?)

 ローズの頭の中が真っ白になった。今、ガブリエルが何を言ったのか、頭の中で反芻する。

 「……ガブリエル……あなたまさか……自分の祖父を……」

 やっとのことで絞り出したローズの言葉を、ガブリエルは鼻で笑いながら一蹴した。

 「祖父だと!?はっ!あんなジジィ、どうなろうと知ったことか!ジジィの方こそ、こっちを孫なんて微塵も思ってやしない!あいつにとって娘や孫なんて道具以下の存在なんだよ!」

 一気に捲し立て、ガブリエルは楽しそうに笑う。

 「生きたままバラバラに引き裂いてやった。身体中を切り裂いて、内臓を引きずり出して捧げてやったよ。血に塗れながら、信じられないって顔をして助けを乞うて来たぜ。いい気味だ」

 ローズは、ガブリエルの目に狂気の光が宿るのを見た。

 「お陰でこの身体はあっという間に回復だ。……やっとこの時が来たんだ」

 本気であることを感じるその言葉。俄に足が震え出す。

 足元から崩れそうになった自分の腰を、レイの腕が支えるのを感じ、何とか身体を保つ。

 ローズは血を分けているはずの男の顔を、ただ凝視したまま身動きひとつ取れなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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