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サプライズ返しの返し~社内事情シリーズ~

 
 
 
〔北条目線〕
 
 

 
 
 その瞬間、その場にいた全員の脳内が、唖然茫然で真っ白になった。

 5月も後半のその日は、見事な晴天だった。

 3月末から有休消化に入っていた今井先輩の、正式な退職日。最後の出社をした先輩は、社長、専務、企画室に挨拶をして周り、最後に海外営業部の大部屋へ入って来た。

 坂巻先輩の後任として、津島課長は数日前に赴任先へと発っていたから、恐らく最後に会ったのは数日前。今後は、そろそろ帰国するはずの坂巻先輩がアジア部の要になるのだろう。

(……もう、今井先輩と顔を合わせる機会はなくなるんだな)

 失恋に関しては、とっくに心の中でケリはついていた。けれど、何年もの間、あれほど憧れていた姿を眺めることさえ出来なくなる、と言うのは、やはり楽しみ半減だ。……まあ、逆に失恋した直後は、顔を見るのがキツかったけど。

「里伽子先輩、ますます綺麗になったよねぇ」

 挨拶をして周る今井先輩をぼんやり眺めていると、南原さんがニコニコしながら耳打ちして来た。ここで前回と同じ過ちを繰り返してはいかんぞ、おれ。

「そうだね」

 同じ轍は踏まないはずの答え。……なのに。

「……北条くん……どっか具合でも悪いの?」

「……はい……?」

 ロシアンルーレット的な餃子で、思いもかけずに変な味に当たったような顔で訊かれて困惑。

 ……何で、そうなるんだ!!!

 前回は確か、『元々、綺麗な人じゃない?』と答えてご機嫌を損ねたはず。賛同と共感……完璧な答えじゃないか!

  心配そうに眉をひそめた南原さんが、鯉のように口をパクパクさせるおれを見つめている。──と、その時。

「中岡先輩。西方くん。お世話になりました」

 今井先輩の声。室井部長と曽我課長への挨拶を済ませ、おれたちのシマにやって来たのだ。

「おう、今井くん。このたびは結婚おめでとう」

「おめでとう、今井さん」

「ありがとうございます」

「めでたい事とは言え、きみの仕事っぷりを見れなくなるのは寂しいな。……まあ、あの人の面倒を見る方が一仕事だろうが」

 冗談めかして笑う中岡先輩に、今井先輩の顔もほころんだ。中岡先輩の隣にいる西方先輩もおれたちも、思わず吹き出しそうになる。

「身体に気をつけて……片桐先輩のこと、よろしく頼む。……あの人には、時として歯止めが必要だ」

 今度は真面目な顔だった。その中岡先輩の顔を見つめ、小さく頷きながら「はい」と答える今井先輩の横顔。今まで見たことがないくらい綺麗だった。

「北条くん。南原さん。今までありがとう。元気でね」

 こちらを向いた今井先輩。

「……おめでとうございます、今井先輩」

「ありがとう。これからも、仕事頑張ってね」

 あの時の事など、全部なかったかのような顔を向けてくれた。

(ああ、やっぱり綺麗だ……)

「里伽子せんぱぁ〜い!おめでとうございますぅ!でも寂しいから~日本に帰って来たら、遊びに来てくださいねぇ〜~~」

 しかし、そんなおれの感慨も、先輩に抱きついた南原さんの叫び声に儚く掻き消された。

「友萌(とも)、ありがとう。また連絡するわね」

 へばりついている南原さんの頭を撫でながら言うと、ふいに並んでいる机に目を向けた。

「東郷くんは?」

 いつもなら、真っ先に食い付いて来るはずの東郷の不在に、先輩は不思議そうな、微妙にホッとしたような表情を浮かべる。

「東郷は出張中で……そろそろ帰国予定なんで、間に合うかと思ってたんですけど……」

「そう。まあ、別に今生の別れってワケでもなし、よろしく伝えておいてね」

「はい」

 今度は米州部のシマに向かおうと、クルリと向きを変えた先輩の動きがピタリと止まった。

「……先輩?」

 不思議に思って先輩の視線の方を見るも、特に変わった様子はない。片桐課長は、今井先輩のすぐ後に大部屋に入って来た藤堂先輩、雪村先輩と打ち合わせをしている。あとは、根本先輩と朽木が座っているだけだ。

 ほんの数秒、じっとしていた先輩は、真っ直ぐに米州部に向かって歩いて行った。

(……何だ……?)

 先輩のその様子が気になり、目が米州部に釘付けになる。だが、おれの心配を余所に、先輩は根本先輩と朽木に声をかけ、普通に話しているように見えた。もちろん、片桐課長は知らんフリを貫いていて笑える。

(わっかりやすい人だな)

 思わず吹き出しそうになったおれは、目の端に映ったものに意識を鷲掴まれた。入り口に姿を現した人物に。

(……え……?)

 自分の目を疑った瞬間。

「「……あ……!」」

 南原さんとおれの声がハモり、その直後、アジア部の松本さんと沢田が立ち上がった。

「良かった。間に合ったみたいね」

「「坂巻先輩!!!」」

 今度は、松本さんと沢田の声がハモる。ふたりの叫びにも似た声に、入り口に立っている人物に部屋中の視線が注がれた。

「……瑠衣……!」

 今井先輩もビックリしている。どうやら示し合わせていたワケではないらしい。

「里伽子、結婚おめでとう」

 さすがの片桐課長も、打ち合わせの手を止めて立ち上がった。当たり前だが、藤堂先輩は驚き以上に何となく居心地が悪そうだ。雪村先輩は動じていないのに、と笑いが洩れそうになる。

「……瑠衣、どうして……来週くらいになっちゃう、って言ってたから諦めてたのに……」

 今井先輩の驚きように満足したのか、坂巻先輩が艶やかな笑みを浮かべた。だが何も答えずに、そのまま片桐課長の前に進み出る。

「片桐課長。このたびはおめでとうございます」

「……ああ……ありがとう、坂巻さん。長い赴任、お疲れさん」

 そこまで来て、ようやく坂巻先輩は今井先輩と向き合った。

「間に合うように、大急ぎで津島課長に引き継いで帰って来たのよ」

 しれっと言う坂巻先輩。おれはその言葉に「嘘つけ」と、心の中で呟いた。絶対に狙っていたはずだ。この瞬間を。坂巻先輩はそう言う人だ。

「そう。ありがとう」

 しかし、さすがは今井先輩。予想していたらしく、しれっと棒返し。おれはまた吹き出しそうになるのを堪える。

「あなたと、もう一緒に仕事出来ないなんて残念だわ」

 坂巻先輩の言葉に、片桐課長の目線が泳いだ。遠回しにイヤミを言われた心持ちなんだろう。思わず同情してしまう。

「ところで瑠衣……荷物は?空港から直接来たんでしょ?」

 そんなこと全く気にしていないかのように今井先輩が訊ねると、坂巻先輩が妖しく笑った。……怖すぎる展開だ。

 他の営業の面子もそれがわかっているのか、何故か全員が突っ立ったまま微動だにしない。今井先輩と坂巻先輩のやり取りを、固唾を飲んで見守っている。と言うより、身動きひとつ出来ないでいる。片桐課長でさえ棒立ちで、目線だけがふたりの間を行ったリ来たりしている。

「荷物?ああ、荷物は運んでもらってるから」

「誰に?」

「……ん?彼に……」

 そこで、また皆の視線が集中した。

「彼?」

「そう。彼」

「ふーん……」

 と、会話が終わりそうになったその時、遠くからパタパタと足音。

「はあ~……やっと帰って来れた~。お待たせ~。荷物、車に積んだままでいいよ……」

 相変わらず、と言うのか、緊迫感のない物言いで飛び込んで来たのは東郷だった。だが重要なのはソコじゃない。

「…………ね?………………って………………え、なに………?……この雰囲気……」

 大部屋内の全員の視線が、今度は一斉に東郷に注がれた。一種異様なその雰囲気に、さすがのノーテンキ東郷も固まる。

「……え?え?え?……なんかあったんですか?」

 挙動不審なくらいに、首を左右に振って皆を見回す東郷の隣に、坂巻先輩が小悪魔のように口角を上げて寄り添った。

「「「…………え…………えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」」」

 全員の、歓喜ならぬ驚愕の合唱が、綺麗にハモってこだまする。さすがの鉄面皮・今井先輩の目も丸くなり、藤堂先輩でさえも四白眼になっていた。

「……瑠衣……」

 今井先輩の消え入りそうな声に、坂巻先輩のドヤ顔。恐らく、ではあるが、今井先輩の結婚報告への、一種の対抗、であることは容易に想像出来た。が──。

「……あなた、いつからそう言う……」

 そのひと言に、一瞬で坂巻先輩の眉間がコイル巻きになり、周りはと言えば、とうとう堪え切れずに吹き出す輩の流出。

「何よ、その言い方!彼に失礼じゃない!」

 当然、負けず嫌いの坂巻先輩は臨戦態勢に入った。しかし、東郷がオロオロするも、今井先輩の表情はいつも通り。

「……東郷くんがどうこう言ってるんじゃないわよ?あなた、昔、私に何て言ったっけ?」

 その冷静な口調に、坂巻先輩の顔がギクリとする。

「……ここで言う?」

「い、いいわよ!もう……」

 東郷が不思議そうにふたりの顔を見つめた。

「……何のことですかぁ?」

「……い、いいの!あなたには関係ない昔のことなんだから!」

「そんな風に言われたら、なおさら気になる……」

「いいから、黙っててよ!」

 その剣幕に東郷が黙りこんだ。滅多にない、坂巻先輩の慌てふためく様子が、更に周囲の笑いを誘う。どうやら、先輩は策に溺れたようだ。

 肩をすくめた今井先輩は、だがニッコリと笑いかけた。

「良かったね、瑠衣」

 それ以上、何も言わせない微笑み……怖い。どうやらこの勝負、今井先輩の勝ちのようだ。

 だけど、これだけは言える。

 このニュースが海外営業部の皆を、ひいては社内全体を驚かせたのは確かだった、ってことは。

 そして、東郷が入社した時、既に赴任していた坂巻先輩。ふたりが、いつ、どこで接点を持ったのかは、この後もウワサの種になる。
 
 
 
 
 
〜おしまい〜
 
 
 
 
 
 
 
 

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