呼び合うもの〔弐〕〜かりやど番外編〜
視線を交えた優一(ゆういち)と大樹(だいき)は、初めて会った者同士とは思えぬ何かを互いに感じていた。
「初めてお会いした気がしません」
「私もです」
大樹の言葉に優一が応える。
副島(そえじま)には似ていない、むしろ柔和な顔立ちをした大樹の、だが恐ろしく頭の回転の早そうな眼差し。
因果な運命を分け合った同じ歳の男たちは、視線を交え、真っ直ぐに互いの顔を見つめ合った。
その時、ノックの音が響き、沈黙の中にあった緊張感が一瞬だけゆるむ。
「失礼致します」
先程の女が静かに茶器を置き、すぐ退室した。
「事の真相は話した通りだ。私には何ら弁解の余地はない」
言い切った副島をちらりと横目で見、大樹が優一に笑いかけ、そして頭を下げる。
「貴方と母上には、父のせいでご迷惑をおかけしました。申し訳ない」
「いえ、そんな……」
優一が恐縮すると、逆に沙代(さよ)の方が申し訳なさそうに頭(こうべ)を垂れた。
「私は端から存じ上げていながらお受けしたのです。私の方こそ、大樹さまとお母上様には申し訳ないことを致しました……」
「母さん……」
優一が母の肩を支える。
「いや、全ての責は私にあるのです、沙代さん。大奥様にも、生涯、消えない重荷を背負わせてしまい、本当に申し訳ないことをしました」
はっきりと言い切った副島は、深く頭を下げ、意外なことを口にした。
「目先のことと言いましたが、それだけでなく、あの頃の私はおかしな妄執に囚われていた。
もちろん、それだけではなかったが、もし真実、純粋に大奥様や沙代さん、小半や大樹たちのことだけを考えていたなら、こんな方法を提案するなどあり得なかった」
優一と沙代が顔を見合わせると、視線を外した副島がやや睫毛を翳らせた。
「心のどこかで、大奥様と深い秘密を共有したい、大奥様が決して私のことを心から離さぬように、と……そんな風に考えていたのだ。恐らく、私は……」
「先生……」
そこに至り、優一は祖母・冴子(さえこ)に憧れ抜いたと言う副島の言葉に行き当たった。憧れていた相手と何かを共有したかった、と言う想いならば理解することは容易い。
「……副島さま。あの時、他の方法はありませんでした。少なくとも、奥様と私には考え付かなかったこと……それは確かなのです。副島さまを頼るしかなかったのですから。
ただ、大樹さまと優一……いえ、優一さまには申し訳ないことをしてしまいました……」
「母さん! やめてくれよ、優一さまだなんて……!」
誰もが、それぞれの責任の重さに居たたまれなくなったその時──。
「もう責任の出所はいいでしょう。そもそも、始まりの人たちは、もうこの世にはいないのですから。
何より、今日ここに集まったのは、そのことを話すためではない。それは既に終わったものとして、が前提のはずです。
さっき、ぼくが謝ったのは、話を蒸し返すためではありません」
笑顔さえ浮かべた穏やかな、かと言って有無を言わせない不思議な声音で大樹が言い切った。
(……この人は……)
大樹のその圧倒的な様子は、間違いなく彼が副島の血を引く者であることを優一に確信させた。
大樹の容貌には、若い頃の副島のように見るからに鋭い印象はない。ただ、人の奥深いところに話を届かせる何か、を持っていることは感じられる。
「大樹さんの仰る通りです。私としても、先日の先生とのお話でその件は納得済みです」
実際には、納得しようがしまいがどうしようもない、と言うのが正確なところではあったが、一先ず心の整理はついていた。
副島に向かって小さく頷いた大樹は、視線を戻して穏やかに微笑んだ。静かな笑みの中に潜む何かが優一を圧倒する。
そして、大樹は静かに語り始めた。
彼の知り得ることを。
「小半さん……いえ、優一さんでいいですか?」
「はい、もちろんです」
入れ替わった二人にとって、互いを苗字で呼ぶのは不思議な感覚だった。本来は自分のものであるはずの名で相手を呼ぶのだから。
「優一さん。ぼくは、きみの従弟である緒方昇吾(おがたしょうご)くんとも、その従兄である小松崎朗(こまつざきろう)くんとも会っています」
「えっ……!?」
突然の言葉に優一は驚いた。同時に浮かんだのは『妹』のことであった。
「なら、もしかして妹とも……?」
震えを堪えた優一の声に、大樹は申し訳なさそうに唇を結ぶ。
「妹さんを見かけたことはあります。話も聞いてはおります。けれど、残念ながら直接の面識はありません。今日、貴方に話したいと思っていたのは、父にも話していない、昇吾くんと朗くんの話なのです」
「大樹……?」
先に反応したのは副島であった。
「すみません、お父さん。本人との約束で、あの時は話せないこともあったんです」
ハッキリと答える大樹に、副島もそれ以上問い詰めたりはせず、納得したように頷いた。そして、優一に視線を戻した大樹が、単刀直入に口にしたのは結論であった。
「ぼくは、きみの従弟である昇吾くんの身代わりになっていた朗くんと、4年近く共に暮らしていました。その後、ほんの数ヶ月ですが、昇吾くんとも……」
「身代わり……!?」
驚きを隠せないのは優一だけではなかった。副島も、そして沙代も、息を飲んで大樹を見つめ、次の言葉を待つ。
「そうです。偶然、ぼくが見つけて保護したのは、成り済ます、と言うと聞こえが悪いですが、昇吾くんのフリをした朗くんでした。もっとも、それを知ったのは、かなり後になってからですが……」
副島の表情を見た優一は、本当に知らなかったのだと確信した。
「どうして小松崎朗は従弟の……緒方昇吾の身代わりなどに? まさか、従弟が彼を陥れた、などと言うことは……」
「それはありません」
優一の不安を、大樹は躊躇なく否定した。
「では、一体……」
不思議なことに、優一の中に特に感じる必要のない感情が生じていた。
その感情とは、もし昇吾に悪意があったとするなら、小松崎朗に対して申し訳ないと言う気持ち、とでも言うべきもの。即ち、昇吾に対する『身内意識』とも言えるものであり、まるで弟でもあるかのような意識が生まれていたことに他ならない。
「完全にぼくを信用するまでは、決して明かしてくれなかったけれど、彼は自分が緒方昇吾として行方をくらませば、本当の昇吾くんが安全だと考えていたようです。そうすれば、昇吾くんは気兼ねなく妹さんの傍にいられるだろうと……」
「えっ……?」
優一の様子に、大樹は何か思い当たったように小さく頷く。
「ああ、貴方は実際には、公の立場で彼らに会ったことがないんでしたね」
「……従弟の顔は、まだ彼が子どもの頃に、緒方グループのニュースで見たことがある程度です。小松崎家の内情は、基本的に知ろうとすることがタブーでしたし……」
『公の立場』などと言い回しが気にはなったが、優一は正直に答えた。大樹のことは、既に信用出来る人間として認識しており、その感覚は松宮家から受け継いだ力とも言える。
「昇吾くんと朗くんは、まるで一卵性双生児のように似ているんですよ。本人たちが言うには、幼い頃はそこまでではなく、思春期近くなって顕著になったと。恐らく、初見で区別のつく人は少ないはずです。そのくらい似ています」
「そんなに……」
ただひとりの従弟と、双子のように似ていると言う小松崎朗。興味が湧かないはずはなく、会ってみたい、と言う気持ちが生じるのも当然と言えた。
だが、それよりも優一を驚かせたのは、大樹の次の言葉であった。自分の耳が信じられず、優一はただ訊き返すことしか出来ない。
「今、何て……?」
「貴方は昇吾くんには会ったことがあるんですよ」
「…………!」
「大樹……!?」
驚いたのは副島も同様であった。
「どう言うことですか……!? 私が従弟に会っているって……!?」
身を乗り出す優一に、大樹が静かに頷く。
「父から聞いたのですが……優一さんは妹さんとはお会いになってるんですよね?」
「はい。その時はそうとは知りませんでしたが、『夏川美薗(なつかわみその)』としての妹には会っています」
「その時に同行していた青年を覚えていますか?」
「え? ええ……新堂龍樹(しんどうたつき)さんのことで……」
そこまで言いかけ、優一はハッとしたように目を見開いた。大樹の目を凝視する。
「……まさか……」
「そうです。その青年が昇吾くんです」
大樹の返事に、優一が腰を浮かしたかけた。
「……そんな……」
優一が呆然とつぶやく。
「大樹、それは本当なのか……!?」
副島も信じられない、と言う風に訊き返した。
「本当です。『新堂龍樹』と言うのも仮の戸籍で、日常的には小松崎朗を名乗っていたようです。新堂龍樹を名乗るのは特殊な時で、ある程度の変装をしていたそうですから……」
「……それは……」
優一だけでなく、さすがの副島も絶句した。
「……彼が……」
副島が呆けたようにソファの背にもたれかかる。
『夏川美薗』が『松宮美鳥』であると知った時に、何故そこに思い当たらなかったのか、と。
「小松崎朗は……彼にとっても従弟であるとは言え、何故、昇吾を助けるために身代わりになったんでしょう? どうして、そこまで……」
「彼らは、従兄弟同士であると言う以上に、生まれた時からの無二の親友だと言っていました。逆の立場なら、恐らく昇吾くんも同じことをするだろうと確信していた。そして、本当なら朗くんを身代わりにするなど、昇吾くんが受け入れるはずないとも……それほどにわかり合っていると……」
「ならば……」
一体、何が彼らにそこまでさせたのか──。
優一は、ただ息を詰めて大樹の説明に聞き入った。
~つづく~
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