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里伽子さんのツン☆テケ日記〔11〕

 
 
 
 文字通り、血相変えて必死で駆けつけてくれた片桐課長とミルクティーを飲みながら、事の顛末を話して笑い合った。

 昨日、課長には、私が何となく元気がないように見えたらしく、もう私が具合が悪いと言う選択肢しか浮かばなくて、倒れてでもいるんじゃないかと慌てて様子を見に来てくれたらしい。

 課長は自分で自分の早とちりに苦笑いしていたけど、私はそこのトコは笑えなかった。私が携帯電話をバッグに入れっぱなしで忘れていたことも原因の一端だったし、それに、そんなに心配してくれたことを何で笑えるだろうか。

 あんなに取り乱した課長を見たのは初めてだった。仕事の時は、どんなに際どい交渉の時でも、もう万事休すくらいの切迫した時でも、あんな顔は見たことがなかったのに。そんな顔をさせてしまったのは私だ。

 携帯電話のことを謝って、駆けつけてくれたことを感謝する以外、私には他に出来ることはなくて。

 私の言葉に、課長は一瞬驚いたような顔をし、次いで、優しい、嬉しそうな表情を浮かべて目を細めた。

 だけど、その後、見たことがなかった課長の私服姿と髪型に、誰なのか全くわからなくて固まったことだけは笑い話にさせてもらった。だって、ホントに声を聞いてようやくわかったんだもの。

 課長は納得した様子を見せながらも、何か一瞬だけ、ちょっと落ち込んでいたような?

 そんなことを話していると、またインターフォンが鳴った。

「あ、今度こそ宅急便かしら」

 もう、午前中じゃなくなっちゃう、なんて思いながら、

「課長、ちょっとすみません」

 と断って立ち上がり、今度はちゃんと受話器を取る。さっきは慌て過ぎてダイレクトに玄関を開けてしまったけど、これだって『危機感がない』と言われても仕方ないことだと気づいたからだ。

 宅急便であることを確認して出ると、よく配達に来てくれる見覚えがある人。重いものであることはわかっていたので、下に置いてくれるように頼むと「重いので気をつけてください」と言いながら上がり口に降ろしてくれた。

 ハンコを押して送り状を渡すと、後ろから、

「運ぼうか?」

 声とともに課長がいきなり姿を現わした。突然、現われた長身の課長に、宅配の人が一瞬ビビったような表情を浮かべる。

(あ~『重い』って言うのが聞こえちゃってたんだ)

 課長って、ホントに気が回るし優しいよなぁ~なんて思いながらも、ここへ来てそんなことまで……と思って口を開こうとすると、私が言葉を発する前に段ボールを軽々と担ぎ上げた。

 ……何だろう?心なしか課長の目つきが……何だろう?ものすごく好戦的な表情になってる気がするんだけど……。よくよく見れば、宅配の人も課長をジッと見ていて。

 え、え、え、え……何だろう、この空気。何か、微妙な空気に挟まれてすごい圧迫感を感じるのは……気のせいなの?

 課長と宅配の人を交互に見ていると、よくわかんないけど、妙に張り詰めた空気を感じる。うわ~ちょっと耐えられない、この感じ。

「ご苦労様でした」

 その状況を打破すべく、宅配の人に声をかけて玄関の扉を閉めた。私が鍵をかけると同時に、課長が箱を持ったままリビングに戻る気配を感じたので慌てて追いかける。

「課長、申し訳ありません」

「ん、いや……どこに置く?」

 追いついて課長に声をかけると、私を振り返りながらそう訊いてくれた。

「あ、ここに……」

 キッチンの端っこに降ろしてもらう。

「ありがとうございます」

「ここでいいのか?」

「はい、大丈夫です」

 私に置場所の確認をしてくれた課長は、頷いてリビングに戻った。後ろからついて行き、時計を見るとお昼過ぎ。さて、やっと宅急便も来たことだし……。

「課長。お昼、食べに行きませんか?」

 とりあえず訊いてみる。何か用事があれば仕方ないけど、と思っていると、時計を確認した課長も何やらひとり頷いている。

「何か作りたかったんですけど、買い出しに行かないと冷蔵庫が空っぽで……」

 ……そうなのだ。お茶を飲んだら買い出しに行こう、と思っていた矢先のことだったのだ。今、届いた段ボールの中身以外の食材は、ほぼほぼ尽きている。

 その時、課長が笑う寸前で堪えた、みたいな微妙感丸出しの表情を浮かべたのを、私は見逃さなかった。また何か私のヘンなトコを想像しかけたに違いない。思わず上目遣いになった私の、その顔を見た課長が、さらに笑いを堪えてるのがわかる。む~。

「そうだな。腹減って来たし……メシ食いに行こう」

 気を取り直したみたいに言う課長に、私も気を取り直し、笑って頷ずくしかなかった。マグカップを洗って、部屋からバッグを持って来る。

「お待たせしました」

「よし。じゃあ、行くか」

 マンションを出たトコに、さっきの宅配の人がトラックを停めて作業をしていた。いつも配達してくれる人だし、挨拶くらい、と思った途端、課長が私をガードするように道路側に回り込んで立つ。

 背の高い課長が目隠しになり、その人の姿は見えなくなってしまったので諦めてそのまま駅前に向かった。

 ……何だろう?何か、課長の空気がピリピリしてる気がするんだけど……気のせいなの?

 最寄り駅の周りには、飲食店もスーパーも個人商店もあり、商店街としてもかなり充実している。こーゆう環境は、特に私のようにエンゲル係数が高い女にとっては重要だ。それもあってこの街を選んだ、と言うのも大きな理由のひとつ。

 昨日の夜はイタリアンだったので、課長と和定食のお店に入った。休日のランチはちょっと割高なんだけど、平日よりメニューも多いし、何より結構美味しいお店なのだ。課長とは違うメニューを選ぶことにした。

 運ばれて来た定食を食べながら、そう言えば休日に課長と逢うなんて初めてだなぁ~なんて考える。それ言ったら、社食以外でお昼ごはんを食べるのも、そもそも昼間逢うことも初めてだったと気づいた。

(結構、新鮮かも)

 すっかり私の大食いはバレてしまったので、もう今では普通に食べることにしている。いや、くどいようだけど、たくさん食べなくても大丈夫と言えば大丈夫なんだけどね。食べれば食べれちゃうのよ、うん。

 ……と、突然、大事なことを忘れていたのを思い出した!

「どうした?」

 課長が不思議そうな顔で訊いて来る。

「すみません、課長。先日、お借りした服を……昨日、お返しするつもりで忘れてしまって。さっき来て戴いた時にお渡しすれば良かったのに、また忘れてしまいました」

 もう、私ってば。ボンヤリにも程がある。何回、忘れたら気が済むんだろう。情けない。

「あぁ……別にそんなのは構わないけど、社に持って来るのも面倒だよな。いいよ、もう一度、取りに戻ろう」

 課長は事も無げに言ってくれたけど……。

「でも、せっかく駅の近くまで来たのに……」

「大した距離じゃないし……じゃあ、ついでに買い出しもして行けば?たくさん買っても荷物持ちがいるぞ?」

 課長が冗談めかしてニヤニヤ笑いながら言い、そのまま立ち上がろうと動いたので、私も勢いよく立ち上がった。ここは、負けられないわ!

「課長!せめて、ここは私に払わせてくださいね!」

 そう言って伝票を掴もうとすると、私より早く掠め取るように掴んだ課長がさっさとレジに向かって行ってしまった。後ろから見ていると、課長の肩が明らかにプルプルしてる。あれ、絶対、笑いを堪えてる!む~。思わず、また上目遣いになる。

 お店を出てからも上目遣いで課長の顔を見上げると、課長は笑いを堪え切れていない顔で、楽しそうにニヤニヤしながら私の顔を眺めている。

「……今日のお詫びと、いつもごちそうになって、しかも送って戴いてるせめてものお礼に、と思ったのに……」

 今日こそは、と思っていたのに。ごちそうしてもらって文句言うのもナンだけど、でも何かスッキリしなくて口の中で呟いていると、

「まあ、そう言うなよ。おれの方がいい時間をもらってお礼を言いたいくらいなんだから」

 課長は笑いながら、またさらりと返して来る。

 いつもそんな風に言って……ホント、ずるい。そんな風に言われたら、ごちそうしてもらっても、お返ししようと必死になっても、どっちにしても自分の行動が子どもじみてる、って実感させられてしまう。

 そんでもって、また私のぶーたれ顔を眺めて楽しそうだし!む~。

「……ごちそうさまでした……」

 仕方なく諦めてお礼を言う。我ながらすごい顔だと思う。とてもお礼を言ってるようには見えないだろう。なのに課長は楽しそうにニコニコしてるし。

 頷いて歩き始めた課長の少し後ろをついて行くと、たまに私を振り返りながら優しい笑顔を向けて来る。何でそんなに優しい顔するの?何でそんなに楽しそうなの?私は一緒にいてそんな楽しいタイプの女じゃないと思うのに。

 課長の広背筋を……じゃなくて、大きな背中を眺めながらぼんやり考える。

 すると突然、

「ところで、さっきの箱、結構な重さだったけど何が入ってたんだ?」

 課長がさっき届いた段ボール箱のことを訊いて来た。

「あ、すみませんでした。……あの……野菜と言うか、主に根菜類です」

 私の答えに、納得したみたいに頷いている。やっぱり重かったわよね。

「知り合いに『食べる?』って訊かれて、『食べる』って言ったらあんなにたくさん……」

 ホントのことだけど、大食いの私が言うと、何か言い訳がましく聞こえなくもない。

「へぇ~。今井さんはどんなもの作るの?」

 え、そこ、突っ込むワケ?

「ん~……一番、多いのは煮物類ですね。里芋とか好きなので。でも何でも食べますよ」

 いや、これもホントなんだってば。

「里芋の煮物か。うまそうだな」

 ……課長のその言葉を聞いた瞬間。

(こ、こ、こ、これは……社交辞令なんだろうか。一般論なんだろうか。それとも……それとも……?)

 私の脳内をグルグル駆け巡るあれやこれや。

(もしかして、もしかすると、遠回しな催促だったり……?……いやいや、課長に限ってそれはないかしら?でもヘンな社交辞令も言わなさそうよね?一般論……えーーーっ!どっちなんだろう!?)

 課長の顔を窺いながら、必死で答えを探していた私。……だけど。

「………………あの………………召し上がります?」

 とりあえず、賭けに出てみることに……した。

「……え?」

 面喰らった課長の表情に「はずしたかぁ~」と思いつつ、ここまで言っちゃったんだから、ここは押し切ってみるべし!営業心得第一条。……いや、ウソだけど。

「あの……お口に合うかは保証出来ませんけど……せめてものお礼に……夕食で作りますから……」

 珍しいくらいにポカンとした顔の課長。この顔を見れただけでも勝った気分だわ、とか何とか自分を慰めてみる。

「……え、いや……いいのか?」

 もう、お願いだからこのまま乗ってください、課長。

「はい。本当に大したお礼にはなりませんけど……」

 営業心得第一条により、営業課長を押し切った私。結局、この後、ガッツリと買い出し地獄で上司を荷物持ちとして扱き使うことになった。
 
 
 
 
 
~里伽子さんのツン☆テケ日記〔12〕へ つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 

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