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魔都に烟る~part25~

 
 
 
 「ふん。今さらそんなことを言っても、ガブリエルにはもう届かんぞ」

 ニヤリとしながらオーソン男爵が言い放つ。しかしそれに対して、やはりレイは無反応のままであった。

 「さて……そろそろ、用件を済ませるとするかな」

 ゆっくりと男爵が一歩踏み出した。━瞬間。

 「うおっ!?」

 男爵の驚愕の声と共に、足元から青い火花が飛び散った。男爵が足を止めても、細い稲妻のような光が、細かく空間を走っている。

 「……これはっ……貴様、何をした……!?」

 そこでようやく、レイは本当の意味で男爵に目を向けた。今までは同じ人物━オーソン男爵=ガブリエル━の姿を見てはいても、その目に映っているのは内面に潜むガブリエルだけで、男爵本体は素通りしていたかのように。

 「外界との接触を断つため、あなたが屋敷に侵入してすぐ、この屋敷を完全に結界で覆いました。外からは一切介入出来ませんし、中の影響が洩れることもありません。そして……」

 最後の一語で、レイの声の温度が一気に下がる。

 「この部屋は完全に遮断しました」

 「……小僧……!」

 男爵は忌々しげにレイを睨み付け、だが、すぐに気を取り直したように余裕の笑みを浮かべた。

 「……まあ、いい。何をしようと、お前ではガブリエルの潜在能力には勝てん。ガブリエルこそゴドー家の正統な血と、わしの血筋を併せ持つサラブレッドなのだからな。どこの誰とも知れぬ東洋の女の血などを継いだお前に勝ち目はない」

 などと得意気に言い放つ男爵を、ローズは訝しく思う。

 (……レイを『どこの誰とも知れぬ……』だなんて。ガブリエルは頻りにレイを『禁断の血筋』呼ばわりしていたけれど……お祖父様はレイの素性を知らないのかしら?)

 レイの顔を見上げると、真っ直ぐに男爵を見据え、ローズの疑問に解く言葉を投げかけた。

 「ガブリエルは、あなたに私のことを話していなかったのですね」

 「……何だと?」

 男爵の口元から笑みが消える。

 「ガブリエルが私の素性を知っていたので、てっきりあなたも知っているものと思っていましたが……」

 再び、男爵の顔が険しくなった。

 「お前の素性など、私に何の関係がある?母親が東洋の女だと言うだけのことだろう」

 あからさまに蔑みを含んだ物言いに、それでもレイは眉ひとつ動かさない。どれだけ忍耐強いのか……ローズが思わず心の中で量りそうになった瞬間。

 「……まさかご存知なかったとは……」

 言葉尻や態度は坦々としているが、明らかに男爵を上から見下ろした口調。男爵の目が一気に吊り上がった。

 「……ほう。お前の母親が一体誰だと言うのか訊いてみたいものだ」

 「……あなたもこの世界に生きている者として、一度くらいは聞いたことがある名前かと思いますが……」

 静かな中に、勿体ぶったような含み。

 「私の母の名は、ヤマト・ゴドウ(護堂 倭)です」

 男爵の動きが一瞬止まる。

 「……ヤマト……ゴドウ……?」

 少し考える様子を見せた男爵の目が、次の瞬間、見開かれた。

 「ヤマト・ゴドウ!?」

 「……ご存知だと思っておりました」

 冷たく言い放つレイの顔を、男爵は身動きひとつせずに凝視した。その表情には、明らかな驚愕の色。

 「……バカな……まさか、あのゴドウ家の巫女に子どもなどいるはずが……」

 その言葉から、確かにレイの母親の素性を知っていることが窺える。

 「まあ、普通はそう思うでしょうね」

 レイは相変わらずの様子で返した。しかし、逆にそれが真実味を引き立てたのか、男爵の目が鋭さを増す。

 「……なるほどな。だがそれでも、ガブリエルの真の力、お前は知るまい」

 自信ありげに言い放つと、男爵の目の前で『何か』がひび割れたような音がした。静かに伸ばした男爵の手が、見えない『何か』を突き抜ける。

 「この程度のものでわしを止められるなどと思ってはいまい?」

 そう言った男爵の身体から放出される邪悪な気配。それだけは、ローズにもはっきりと感じられた。鳥肌が立つようなおぞましさ。姿形だけはガブリエルのままであるが故に、なおさら際立つ。

 「……思っていませんよ。この程度で済まそうなどとは……」

 ローズは耳を疑った。レイの放つ、初めての好戦的な言葉。

 (レイ……もしかして怒ってる……?)

 言葉の調子には何の感情も含まれていないように聞こえる。だが、言葉自体に感じる怒気。

 「面白い……お前の力、とくと見せてもらおうか!」

 言うや否や、男爵は懐から取り出した『何か』を投げつけた。

 レイが左手でローズを庇いながら、薙ぎ払うように右手を動かすと、蒸発するかのように煙が立ち昇る。間髪入れずに、レイも『何か』を男爵に向かって投げつけた。

 男爵がマントで弾くように防ぐ。

 「まだまだ、序の口だ!」

 如何にも楽しそうな笑みで、男爵は何かを唱え出し、それを聞いたレイの顔が、心なしか引き締まったのをローズは見て取った。

 次の瞬間、ローズの身体が完全にレイの背中の陰に引き入れられる。

 「………………!」

 つんのめりそうになりながら、ローズがレイの背中にしがみついたのと、レイの目の前で激しく火花が散ったのは同時だった。

 激しい音と煙、その中で直視出来ないほどの火花。思わず目を瞑り、光を腕で遮る。

 「……ほう。よくぞ防いだ。その程度で済むとは。久方ぶりにゾクゾクして来たわ」

 その言葉にハッとしたローズは、背後からレイの顔を見上げる。

 「……レイ……!」

 レイの頬には、薄い刃物でつけた傷のように血が滲み、数ヶ所は火傷のように黒く煤けていた。

 ローズの言葉を腕で制したレイに、そのまま背後に留まるよう促される。自分が足手まといになることだけは避けたいと考えていたローズは、おとなしくレイの背後に退いた。

 「女を庇っている場合かな?」

 そう言い放ち、男爵が再び何かを唱和し出す。その言葉の旋律だけで、ローズの身体中に鳥肌が立った。

 ━瞬間。

 「……あっ!」

 ローズはレイによって左後方へと突き飛ばすように押され、身体を床に投げ出された。
 
 同時に背後で凄まじい衝撃を感じ、咄嗟に振り返る。

 そこにあったはずのレイの姿はなかった。視線を巡らせた先、壁に叩き付けられ、前のめりになっているレイを認め、ローズの頭から血の気が引いたようになる。
 
 「……レイ……!」

 呼びかけて、ローズはレイの口から微かに血が流れ出していることをも認め、身動き出来なくなった。

 当のレイ自身は、口から血を流しながらも、変わらぬ表情のまま、やや上目遣いに男爵の得意気な笑みを見据えている。

 「本当に大したものだな」

 男爵の言葉に、レイは静かに、しかし深く息を吐きながら、ゆっくりと元の位置に戻った。

 「……こんなものではないでしょう?ガブリエルの力は」

 レイの言葉に、男爵はさらに笑みを増す。

 「そうとも。ガブリエルの真の力、たっぷりと味わうが良い」

 「全て出し切って戴きましょう。私もまだ、お見せしていないものがあります」

 男爵の目が凍る。

 「どう言う意味だ?」

 「あなたが先ほど言った左眼とはこれ……」

 顔を上げたレイの左目が、あの金色の光を帯びて妖しく煌めいた。

 「ほお、確かに。先代の……貴様の父親の左眼、一度だけ見たことがあったが……見事な色だな」

 楽しげに語る男爵に、レイはつけ加える。

 「……そうです。しかし、私が受け継いでいるのはこれだけではありませんよ」

 そう言ったレイの全身から立ち昇る、赤と金色が混じったように揺らめく気配。正に、噴出する、と言う表現が正しいほどに。

 「私もそろそろ終わりにしたいのですよ……男爵」

 その言葉の裏に、何か含みを感じたローズは、自分の胸が不安に震え出したのを感じた。
 
 
 
 
 
 
 

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