魔都に烟る~part9~
ローズがレイの屋敷に来て数日。
いくつかの宴に顔を出し、レイとローズの関係はすっかり知れ渡っていた。
どこに行っても、レイは女性陣からの熱い視線を受け、ローズは男性からの視線と共に女性からは羨望と嫉妬の視線も受ける。
その状況にも、いずれは慣れて来るものである。
そして、そうしている間にも被害者は出ていた。
二人はある事実に改めて気づく。
街が赤く烟るのは、何故か、クラーク子爵の宴が催される晩、であることに。
「……偶然……なのかしら?」
「……限りなく怪しいですが、今の段階ではまだ何とも言えませんね」
無機質にレイが答えた。だが、無表情に見える顔からは違う答えが見え隠れしている。その様子を見ていたローズは、あることをふと思い出した。
「レイ。そう言えば訊くのを忘れていたけど、初めてクラーク子爵の宴に行った時、アレンに何を相談されたの?」
ローズの方をチラリと見たレイは、すぐに自分のカップに視線を戻し、お茶を一口。
「私の足止めですよ。……彼女たちに頼まれて、ね」
その言葉の調子には、感情や狼狽が混じった様子はない。だが、ローズは「嘘だ」と直感した。
「……ふーん……そう……」
━が、敢えては追及せず、自分もお茶を含みながら、上目遣いにレイの顔を窺う。しかし、その表情からは相変わらず感情は読み取れなかった。
「……ローズ」突然の呼びかけに、思わずソーサーに置こうとしたカップを落としそうになる。
「今宵は、そのクラーク子爵邸での宴ですが……」
「ええ、そうね……」
いちいちそんなわかりきったことを確認するために、何故、自分の方がこんなに慌てなければならないのか。そう思いながらの気の抜けた返事。
「……もしかしたら、ですが……今日は事態が動く、かも知れません」
「えっ?」
だが、レイからの意味深な言葉に、ローズの意識は釘付けになった。しかし説明を待っても、彼からそれ以上の言葉はない。
「レイ。ちゃんと説明してよ」
ローズが少し苛立ちながら促す。再びローズを見遣るレイの目が、無言の圧力をかけて来るのがわかった。一瞬、怯む。━が。
「凄んで私を黙らせようとしないで。一応、共同戦線を張っているのに、何の説明もフォローもなしだなんて……フェアじゃないと思わない?」
食い下がるローズを一瞥し、レイは口を開いた。
「私にもはっきりとはわからないのですよ……まだ」
「……は?」思わず、素っ頓狂な声をあげるローズ。
結局、そのひと言だけでレイの口は噤まれた。尻切れトンボのような状況は腹立たしいことこの上ないが、これ以上は何を言っても無駄であることを悟って諦める。
レイは、この一連の事件のことをどう思っているのか。何を知っているのか。
彼は一向にローズに心中を明かすことはなかった。しかし、それはローズも同じことであり、故に、強硬に追及することも出来ない。
ただ、気になるのは、初めて会った時のレイの言葉。
「ただ『視た』だけです。きみが『何者』なのかを知るために」
あの言葉の本当の意味。
もし、あれが真の意味を含んでいたのであれば、自分の素性はおろか目的までも、全て知られているのではないのか。
だとすれば、逆にレイの本当の目的は何なのか。
「……もしかしたら今日……」
突然、レイが小さく呟いた。意識を引き戻されたローズが顔を上げると、
「少しばかり……ハードになるかも知れません」
他人事のように言うレイの、何の感情も含んでいないような顔を眺めながら、ローズは結論を出すことも諦めた。夜になってみればわかることだ、と思い直して。
*
━その夜。
レイがローズを伴って宴に参ずると、待ち構えていた面々が一斉に色めき立つ。もう、望みがないとわかってはいても、さしずめ目の保養、とでも言うように。
ローズは何だかんだ言いながらも、レイの婚約者と言う立場をしっかりと熟していた。立ち居振る舞いも会話も、そしてダンスまでも。
その様子に、強烈な視線は兎も角として、直接ローズに絡んで来るような女の存在はすっかりなくなっていた。
しかし、こう言った宴の際、レイは休憩を装ってローズとテラスへ出て、周りに聞かれたくない会話をしている。
「……ローズ。何か気づいたことはありますか?」
どう言う意味で訊いているのか。レイが気づいていないことを指しているのか。それとも、本人は気づいていることをローズが気づいているか、を試しているのか。
「今日は一度もアレンの姿を見てないわ」
レイは静かに頷いた。
「クラーク子爵の話の流れから察するに、欠席、と言う訳ではなさそうでした。……とすると、どこにいるのか。まさか、主催者の跡取りが姿を見せないなどありえないでしょうから……」
「……レイ……!」レイの言葉を遮るようにローズが緊迫した声を発する。
「……におうわ……近い……」
「……どっちですか?」
「あっちよ」
指し示したローズに、口の中で何かを呟いたレイは、彼女に信じられない言葉を放った。
「きみはここで待っていてください」
一瞬、自分が何を言われたのか理解出来ず、ローズは全ての機能を止めたように固まり、レイの顔を凝視する。
「……どう言うこと?」
「聞いたままです。ここにいてください」
坦々と答えるレイに、ローズが怒りを爆発させた。
「ふざけないでよ!ここに来て私に残れですって!?一体、どう言うつもり……」
そこまで叫んだローズは、次の瞬間、息を飲んだ。
「説明は後です。何度でも言いますが、ここにいてください」
初めて会った時の目、そして、あの独特の声音。
「……動けなくして行ってもいいのですよ?」
ローズの身体に震えが走る。そして本能的に理解した。
この男は本気だ、と。
もし、自分が逆らえば、間違いなく身動きひとつ出来ないようにするだろう。
だが、素直に返事をするなど、ローズには到底出来なかった。ただ、震える拳を握り締め、立ち尽くす。
その様子を『諾』と取ったのか、レイはローズから視線を外し、テラスから翔び去った。
「……何よ……偉そうに……」
木々のざわめき以外は聞こえない、不気味なほど静かな子爵邸の庭に、その後ろ姿を見送りながら呟いたローズの声だけが響いていた。
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